中日の中田翔内野手(36)が、今季限りで現役を引退する意向を固めたことが14日、分かった。プロ18年目。

3球団目となる中日に移籍して2年目の今季は、開幕スタメンに名を連ねた。4月に出場2試合連続本塁打を放つなど復活の兆しを見せていたが、5月中旬に腰痛で出場選手登録を抹消。8月7日に1軍へ昇格したものの、同12日にコンディション不良で再び抹消されていた。近日中に会見が行われる見通し。通算309本塁打のスラッガーが、プロ生活に区切りをつけた。

 一時代を築いたスラッガーが、バットを置くことを決めた。中日・中田は、この日までに現役を退く意向を固めて球団に伝えた。プロ18年目。21年ごろからは腰痛に悩まされた。2年契約2年目の今季も完治しなかった。

 昨季は4番を任され、山内一弘に次いで2人目となる3球団での開幕戦アーチを記録した。だが、度重なる故障で1、2軍を行き来した。

オフに腰への負担を軽減しようと、115キロから15キロの減量に成功。一時は快方に向かったものの、違和感は残った。移籍2年目は「ラストチャンス。後悔なく、最後まで全うしたい」と強い覚悟で臨んだ。開幕スタメンをつかみ、4月19日のDeNA戦(バンテリンD)、22日の巨人戦(東京D)で2試合連続本塁打を放ったが、5月中旬に出場選手登録抹消。原因を追求しようと、何度も病院に足を運んだ。痛み止めの注射、電気治療…。あらゆることを試しても、手応えはなかった。5月下旬のリハビリ期間中には「思い切りバットを振ろうと思っても、(回転するときに)フワッと力が抜けてしまう感じ。しがみついてまではやりたくない」と漏らしていた。

 中田は大阪桐蔭1年夏の甲子園で聖地デビュー。春日部共栄(埼玉)との1回戦で中堅左に特大本塁打を放って勝利投手になるなど、4強入りに貢献した。

当時最多の高校通算87本塁打で、07年の高校生ドラフトでは、4球団が1巡目で競合した末に、日本ハムに入団した。栗山監督が就任した12年から4番に定着。16年は日本一に貢献し、18年には平成生まれでは初の通算200本塁打をマーク。春季キャンプで「レベチ(レベルが違う)」と、好仕上がりを口にした20年に自己最多31本塁打を放った。3度の打点王と5度のベストナインに輝き、チームの顔となった。13、17年のWBCに出場し、15年のプレミア12では銅メダル獲得に貢献した。

 21年8月に無償トレードで巨人に移籍。22年は不振で2軍調整中に長嶋茂雄さんから熱血指導を受け、24本塁打を記録した。23年は、けがと門脇らの台頭で出場機会が減少。同年11月に3年契約を破棄できるオプトアウトを行使して退団。中日に移籍した。

 大きな体に金のネックレス。

近寄りがたい外見とは異なり、家族思いで後輩からも慕われる。イグアナを飼うほど、動物好きの一面もある。広島遠征では実家に後輩を招く。巨人時代から秋広(ソフトバンク)らが愛弟子。ブライトや細川にも、「引退が近づいている中で、微力だけど(若い選手に)残していけたらいい」と、知識と技術を惜しみなく伝えてきた。

 以前から「思い切りスイングができなくなった時は引退の時」と覚悟を決めていた。3球団を渡り歩き、主砲として戦い続けた中田翔。打席で演じてきた「SHOW TIME」は、永遠にファンの心に刻まれる。

 ◆中田 翔(なかた・しょう)1989年4月22日、広島市生まれ。36歳。大阪桐蔭では甲子園に3度出場。07年高校生ドラフト1巡目で日本ハム入団。

14、16、20年に打点王。ベストナイン5度(13、14年は外野手部門、15、16、20年は一塁手部門)。ゴールデン・グラブ賞5度。21年に巨人へ移籍。23年12月に中日入団。184センチ、107キロ。右投右打。

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