第107回全国高校野球選手権決勝で、西東京代表の日大三は沖縄尚学に1-3で敗れはしたが、チーム力を結集しての快進撃で鮮烈な印象を残した。強さの秘密はどこにあるのか。
頂点にこそあと一歩、たどり着かなかった。だが、安田は「誇らしいですね。準優勝、本当に素晴らしいと思います」とたたえ、名門の強さのポイントとして3つの要素を挙げた。
【1】練習量
小倉全由前監督の時代から、現在の三木有造監督になっても「練習はうそをつかない」が同校野球部の合言葉だ。
「三高は量をどこよりもやっています。特に今年の代は本当に量をこなした代なんです。厳しい練習に耐えて、乗り越えてきた選手だと思います」
日大三の名物といえば「冬合宿」。高校野球ファンにとっては「地獄」として知られるが、安田にとってはどんな時間だったのか。
「逃げ出したいと思いました。『人がやることじゃない』と思うぐらい。前が見えないんです。
凍てつく寒さの中、朝5時からのランメニューやジャンプトレーニングなど尋常ならざる体力強化メニューをこなす。仲間で励まし合い、己の限界を突破する。
「今年の代は僕らの時よりもやったと聞いています。冬合宿の成果は、一番はメンタルなんです。夏の大会で三木さんが試合前に『お前らと相手のチーム、どっちが苦しい練習を乗り越えてきたか? 絶対俺たちだよな! 負けるわけないよな!』って、話すと、みんな全身から自信がみなぎってくるんです。気持ちが強くなると思います」
【2】スマホなしの寮生活
ハードな練習の一方、寮生活は先輩後輩の垣根がなく、アットホームなのが日大三の伝統だ。安田も言う。
「小倉監督の時に築かれた、『3年生は下級生を大事にして、憧れられる存在になる。下級生は先輩たちのためにも、と頑張る』文化が今でも継承されているのは、うれしいですね」
注目のポイントは、スマホ持ち込みがNGなことだ。
「スマホがないので、練習するしかないんですよ。連絡は常に公衆電話です(笑)。全然、生活できますよ。いい環境だと思います。三高の選手の場合、野球に懸けている思いが違うんだと思います。みんなそれを承知で来ている。そういう環境で粘り強く頑張ったと思います」
個人的な話になるが、記者が高校3年だった90年代初頭はスマホはおろか、高校生が携帯電話を持つなんて考えられなかった。私は北関東の県立校に通う劣等生だったが、志望校に合格するために脇目も振らず、猛勉強に励んだ。もしあの当時、スマホがあったら…。サクラ咲く、となったかは疑わしい。
【3】チームの熱い絆
三高に入学してくる選手には、どんな傾向があるのか。
「ハングリーな選手が多いです。『もっとうまくなりたい』『だから三高でやりたい』と思う選手です。どうしても三高で、小倉さんや三木さんと野球がしたいという気持ちが、誰よりも強い選手が集まっています」
そして、こう続けた。
「自分は千葉のド田舎の、下手っぴな中学生でしたが、三木さんが『一緒にやろう』と受験を勧めてくれた。引退後のある日、『何であんなに下手クソだった僕に、声をかけてくれたんですか?』と聞いたことがあるんです。『お前の顔を見たら、3年間ウチで一生懸命にやってくれて、いい影響を及ぼしてくれると思った。まさかエースになるとは思わなかったよ。頑張ってくれて、ありがとう』と。厳しさの中にも愛があって、僕らの成長をいつも見守ってくれているんです」
先輩と後輩の絆。
「チームの和こそ三高の一番いいところだと思います。『三木さんを甲子園に連れて行こう』『三木さんを男にしよう』と、誰かのためにやるんだと思えば、すごい大きなパワーを発揮できる。今年は特にそんな『つながり』を感じたチームでした」
先輩たちの涙は下級生のエネルギーになって、新たな挑戦が始まる。代が変わっても、一生懸命に取り組む「SANKO PRIDE」は不変である。
◆安田 虎汰郎(やすだ・こたろう)2005年5月27日、千葉・鴨川市生まれ。20歳。日大三では2年秋からエース。3年夏の甲子園では1回戦の社戦で完封勝利。16強に進出。