巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第8回は元中日の谷沢健一さん(77)だ。
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1974年に巨人の10連覇を阻止し、初めて優勝を経験した。名古屋での優勝パレードは10月14日。長嶋さんの引退試合となる、後楽園での中日とのダブルヘッダーと重なってしまった。
巨人戦には1軍半の選手が行って、主力組はパレードに参加した。シーズンも終わってなくて、2日後にロッテとの日本シリーズが開幕する。なんでこのタイミングなんだ?っていう思いは正直あった。長嶋さんのスピーチは、パレードからナゴヤ球場に戻ってきて、球団事務所で見た。パレードには65万人ものファンが来てくれてありがたかった反面、「ああ、この場(引退試合)にいたかったな…」っていう感情があったね。
プロ7年目の76年、打率3割5分5厘で初めて首位打者になった。王貞治さんと食事する機会があって、「3割を狙うには3割5分を狙わないといけない」と心構えをアドバイスされ、ついに3割の壁を破れた。
引退のいきさつもね…。86年の10月初めに球団に呼ばれた。「来年から星野仙一君が監督をやる。君はその構想に入っていない」。一方で「年俸はこのくらいでどうだ?」と大幅減の金額提示も受けた。矛盾しているよね…。他の球団に行くことも考えたけど、結局は辞める決意をした。
11月1日に星野さんに呼ばれた。
【注2】引退記者会見は86年11月7日。谷沢は「もう1年プレーするつもりでいた。新監督の気持ちを察して身を引くことにした」と無念さをにじませた。
◆谷沢 健一(やざわ・けんいち)1947年9月22日、千葉・柏市生まれ。