巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第8回は元中日の谷沢健一さん(77)だ。

1974年に巨人の10連覇を阻んだ中日の主軸であり、持病のアキレス腱(けん)痛を克服してカムバックを果たした不屈のスラッガー。6月3日に永眠した長嶋茂雄さんとの縁や、復活の裏にあった「酒マッサージ」との出会いまで、「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫)

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 現役生活はアキレス腱の痛みとの闘いだった。早大2年の秋に左足首をひどく捻挫し、だましだましやっているうちに、両足に痛みが広がった。米粒大の軟骨が原因だった。1978年には症状が悪化して、出場70試合。79年2月の宮崎・串間キャンプでは1週間もたたないうちに走れなくなり、名古屋に帰ってきた。

 90%以上、引退するつもりでいたら、あるファンの人から、自宅に電話があった。「3年寝たきりだった私の母が、ある治療法で歩けるようになった」。それが「酒マッサージ」との出会いだった。

 訪ねた診療所は、愛知・春日井市にあった。工場地帯の隅っこの平屋。

70歳半ばくらいに見えるおじいちゃんが、何か容器で液体をふりかけながら、患者さんの体をさすっている。怪しいよね(笑)。帰ろうとしたけど、呼び止められた。

 おじいちゃんの名前は小山田秀雄さんといった。液体の正体は日本酒だった。血流をよくし、発汗効果があるのだという。後から聞いたところによると、小山田先生は戦時中、陸軍中野学校で養成された特務機関員、つまりスパイとして、中国戦線などで活動していた。酒マッサージは軍医から教わったとか。あるとき上海で捕虜になり、あすにも処刑というときに酒を差し入れてもらい、傷に塗って癒やした上で脱走したという逸話もある。

 酒を塗り、全身のスジをほぐす。3日ほど通ったら、足がぽかぽかしてきた。自分に合ってるかも、と思った。

「すぐには治らんけど、8月くらいには少しは走れるようになる」と先生に言ってもらった。

 もともと先生は福岡在住で、愛知と行き来していた。春日井での治療の後、女房と福岡へ行き、10日間くらい泊まりがけで治療してもらった。「まだやることあるだろう?」と励まされながらね。6月頃にダッシュができるようになり、8月には2軍の紅白戦でホームランも打てた。その年1軍では11試合で12打数2安打だったが、光が差してきた。

 翌年には痛みは半分以下まで緩和した。足首とかかとの部分をスポンジで覆う特殊なスパイクも開発してもらった。元祖ハイカットだ。最終的にはキャリアハイの3割6分9厘、27本塁打、80打点。2度目の首位打者になって、カムバック賞をもらった。

 小山田先生には引退までずっとお世話になった。

女房や娘も酒マッサージのやり方を教わって、一家で治療してくれた。完全に痛みがなくなることはなかったが、おかげで39歳まで現役を続けられたんだ。

 ◆谷沢 健一(やざわ・けんいち)1947年9月22日、千葉・柏市生まれ。77歳。習志野3年時の65年、第1回ドラフト会議で阪急から4位指名を受けるが、早大進学。69年ドラフト1位で中日入団。70年新人王。76、80年首位打者。ベストナイン5度。81年9月20、21日の巨人戦では4打席連続本塁打。85年10月23日の広島戦(広島市民)で2000安打、86年オフに引退。94、95年には西武で打撃コーチを務めた。

左投左打。

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