全日本プロレスは7日、長尾一大心(ながお・たいしん)選手が亡くなったことを発表した。21歳だった。
長尾選手は5月31日に巡業バスとの事故で腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックで神奈川県内の病院へ救急搬送された。集中治療室で懸命な治療を行っていたがこの日、亡くなった。
全日本は死因について「遺体を警察にお預けし調査を進めておりますので分かり次第ご報告致します」と明かし「突然のことで、関係者の皆様にはご心配とご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。あわせて、長尾一大心選手へのこれまでの皆様のご支援、ご声援に感謝申し上げますと共に、謹んでご通知申し上げます。長尾一大心選手のご冥福を深くお祈り申し上げます。今後につきましてはご両親と相談の上、お知らせ致します」と発表した。
長尾選手は、2003年9月13日、北海道釧路市生まれの21歳。小中学校ではアイスホッケー、高校では柔道を経験した。2023年12月に東京・新木場1stRINGで行われた公開入門テストに合格し24年4月1日に入門。同年10月22日に後楽園ホールでの井上凌戦でデビューした。身長164センチ、体重75キロと小柄な体格ながらも得意技のドロップキックを武器にした闘志あふれるファイトで将来が期待されていた。
昨年のデビュー戦では、敗れたが「悔しかったけど、本当に楽しかったです」と声を弾ませていた長尾選手は、世界ジュニア王者を目指し日々、強さと技術を磨いていた。
入場時はいつも花道を全力疾走でリングに上がり、試合を重ねるごとに先輩レスラーに臆することなく挑む姿は、月日が経つにつれ緑色のショートタイツにたくましさが増していった。「頑張っているね」と声をかけると「まだまだです。もっと強くなります」と照れくさそうにほほ笑んだ姿が忘れられない。
中でも今年1月18日に新宿FACEで行われた「新春ファン感謝デー 2025」で入門前から憧れていたエースの宮原健斗とのシングルマッチは長尾選手の将来を大きく期待させてくれた。
前売り券が全席完売し超満員札止めの人気となった会場で長尾選手は「試練の3番勝負 番外編」で宮原に挑んだ。
ドロップキック、エルボーで必死に食い下がる長尾を宮原は、エルボー、厳しい場外戦、しゃちほこ逆エビ固めなどでメインイベンターの洗礼を浴びせた。最後は、16分03秒、二段階式ジャーマンスープレックスホールドで宮原が貫禄の勝利を収めた。
実は長尾選手は、中学生時代にふるさとの釧路に全日本プロレスが試合をした時に宮原のサイン会に並び写真を撮っていた。そんなあこがれの存在とデビューわずか3か月で対戦。やられてもやられても立ち上がる姿に取材した私は、胸が熱くなった。
試合後、マイクを持った宮原は「一大心、お前が8年前、どうやらこの俺とサイン会で写真を撮ったらしいじゃないか」と語りかけ「そんな8年前の少年が夢をかなえ、このスーパースターの前に立ったんだ。自分の人生誇らしく思え。
バックステージで長尾選手は「負けた分、やり返すのは全員一緒です。必ず負けた分、強くなって全員にやり返します」と雪辱を誓った両目は、魂がこもったプロレスラーの表情だった。
長尾選手は、高校卒業後、一度は就職したがプロレスラーになる思いが捨てきれず一念発起し全日本プロレスに入団した。21歳の死は、あまりにも若い、若すぎる。世界ジュニア王者、宮原への雪辱…リングでやりたいことは、有り余るほどあったことだろう。その夢が今、消えてしまった現実に私は言葉を失う。
現在まで巡業バスによる事故の詳細は不明な点が多い。全日本プロレスは、長尾選手のためにもすべての真実を公表し、二度とこうした悲劇を繰り返さないように再発防止策もあわせて打ち出し明らかにしてほしい。
(福留 崇広)