車いすの部で、24年パリ・パラリンピック男子シングルス金メダルの世界王者・小田凱人(ときと、19)=東海理化=が、4大大会とパラリンピック全てを制する生涯ゴールデンスラム(GS)を達成した。世界4位のグスタボ・フェルナンデス(31)=アルゼンチン=を6―2、3―6、7―6で破った。

生涯GSは男女シングルスで史上3人目、同種目では国枝慎吾以来で19歳は史上最年少の快挙。女子は上地結衣(31)=三井住友銀行=が李暁輝(中国)に逆転勝ちし、8年ぶり3度目の優勝を果たした。

 小田の心の叫びが響き渡った。パリ・パラリンピック以降、見失っていた、たぎる思いが、よみがえった。「この試合は生涯忘れない!」。2本目のマッチポイントでフォアのリターンを決めると、喜びを爆発させた。両手で顔を覆い、コート上で1回転すると、車いすごと倒れ込んだ。

 口にはしなかったが、前夜は「寝ることができなかった」。有言実行。ビッグマウスが信条だ。弱みを見せるなど、小田の生きざまにはない。しかし、最終セット、ラケットの振りは、怖さで若干の迷いを含んだ。

5―3リードから3ゲームを失い、タイブレイクでは後手に。6―9で3本連続、10―11で1本、計4本のマッチポイントを握られた。「やばい気持ちがあった」。崖っぷちで開き直り、迷いなくラケットを振った。

 優勝スピーチで、珍しく感極まった。英語の後、日本語で「チームのみんな、ありがとう」と感謝した。しかし、その次の言葉が、声が震え出なかった。珍しく弱音を吐いた。「言わなかったが、すごいプレッシャーがあった。嫌な思い出もフラッシュバックした」

 最大の夢だったパリ・パラを制し、18歳にして人生で最高の瞬間を味わった。しかし、逆に「パラリンピックが終わって1年。これだという試合がなくて」。

新たな夢や目標を探し続けた。そして、この日「あの時(パラ決勝)の試合を多分超えられた」。

 小田には壮大な夢がある。「日本でもっと車いすテニスを広めたい」。そのためにも「もっと驚かせたい」。10代の4大大会とパラリンピックは終わった。20歳の来年は「少し素直になろう」と、涙の向こうで笑った。

 ◆小田 凱人(おだ・ときと)2006年5月8日、愛知・一宮市生まれ。19歳。9歳で左足に骨肉腫を発症。車いす生活となり、国枝慎吾を見て、10歳で車いすテニスを始める。21年にジュニア世界1位となると、22年にプロ転向。

23年全仏で4大大会に初優勝し、17歳1か月の史上最年少で世界1位。24年パリ・パラリンピック男子シングルス金メダル。趣味はスニーカー収集。家族は両親と姉、弟。

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