石破茂首相(68)=自民党総裁=は7日、首相官邸で記者会見し、退陣する意向を表明した。参院選惨敗を受け、閣内を含む党所属国会議員や地方組織に事実上のリコールとなる総裁選前倒し要求が広がり、政権運営が立ちゆかないと判断。

日米の関税交渉に区切りがついたことも理由に挙げた。昨年10月1日、国民的人気を受け、首相に就任して342日。裏金問題などの影響で、同月の衆院選では自公で過半数を確保できず、少数与党に転落した。石破氏は次の総裁選には出馬しないと明言した。

 「このたび、私は自由民主党総裁の職を辞することにいたしました」。黒っぽいスーツに青と白のネクタイ姿で会見場に現れた首相はどこか吹っ切れたような表情で退陣を表明した。「米国関税措置に関する交渉に一つの区切りがついた今こそがしかるべきタイミング」とし、後進に道を譲る決断をしたと話した。

 6日夜には、副総裁として、石破氏を支えた菅義偉元首相と小泉進次郎農相と公邸で極秘会談。会見で内容について詳細は語らなかったが「(菅氏はかねて)党の亀裂、分断はあってはならないと強くおっしゃっていた」とし、小泉氏からは「いろんな発言や示唆があった」と明かした。8日は党所属国会議員らに「総裁リコール」となる総裁選の実施の前倒しを求める意思確認を行う期限だった。「党内に決定的な分断を生みかねないと考えた」と説明した。

 派閥裏金による政治とカネの問題が最後まで大きな“傷”だった。

「国民の政治に対する不信を払拭(ふっしょく)することがいまだにできていないことは、私にとって最大の心残りだ」とした上で「国民の皆さま方にはこのような形で職を辞することになったこと、大変申し訳なく思っております。本当に申し訳ございません」と謝罪した。

 「選挙の責任は総裁が負わねばならない」。7月の参院選では有効な経済対策を打ち出せず、敗れた。6月の都議選大敗も踏まえ、空気は「石破おろし」へと一気に傾いた。もともと、党内基盤は脆弱(ぜいじゃく)だった上、側近とする「軍師」が不在で、若手メンバーからの支持も薄かった。首相を支えた党関係者は「参院選後の約50日、党内で自分の仲間を増やそうという動きができなかった。そこで何をするのか明確に示すべきだったが、何もできなかった」と嘆いた。

 報道各社の調査で「首相にしたいNO1」だった石破氏は昨年10月、首相に就任。アイドル、鉄道、軍事マニアで、知名度は抜群だった。だが、同月の衆院選では旧安部派などによる「政治とカネの問題」が浮上。野党から集中砲火を浴び、苦しい政権運営を強いられてきた。

自民党は早期に総裁選を実施し、党勢回復を急ぐ。残された期間について「果たすべき責任を着実に果たし、新しい総裁にその先を託したいと思います」と静かに語った。

 ◆石破 茂(いしば・しげる)1957年2月4日、鳥取県出身。68歳。慶大卒。銀行員を経て86年に衆院初当選。93年に自民党を離党し97年に復党した。防衛相、農相、党幹事長、地方創生担当相などを歴任し、24年10月に首相就任。鳥取1区、当選13回。

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