◆世界陸上 第2日(14日、国立競技場)
女子マラソンは初代表で早大サークル出身、小林香菜(大塚製薬)が2時間28分50秒で7位入賞を果たした。レース後のインタビューでは「こてんぱんにされると思って、嫌だな、嫌だなと思っていたが、練習を信じて頑張りました」と感情があふれた。
スタート直後から飛び出した小林は、積極的にレースを展開。メダル争い圏内に位置取りながら20キロを4番手で通過した。
レースが動いたのは約24キロ。5位集団を形成していたエチオピア勢らが急激にペースアップ。小林は集団にごっそり抜かれ、10位に後退した。メダル争いは厳しくなったが必死に前を追った。
入賞争いを視野に入れて終盤の勝負所へ。約31キロで9位、約35キロで8位、約37キロでは前を走っていた選手が倒れ込んで7位まで上がり、約38キロで1人に抜かされたが粘り、40キロ手前で1人抜き再び7位浮上し力強くフィニッシュ。終盤まで諦めない粘りの走りで、大健闘の7位入賞を成し遂げた。
周回コースの日本橋付近と、ゴールの国立競技場で両親と姉2人は大声援。序盤から積極的に攻めの走りをしていた小林に、母・美絵さんは沿道から「飛ばしすぎているんじゃないかなって心配だったので『マイペースだよ』って声かけをしました」と声を張り上げた。日本勢トップで堂々と国立競技場に帰ってきた娘の姿を見て、「うれしかったです。
大学時代は早大の「早稲田ホノルルマラソン完走会」に所属していた異例の経歴の持ち主。3年時に大阪国際女子マラソンに初出場しハーフ地点まで第2集団で粘ったことがきっかけで「本格的にやりたい」と気持ちが動いた。当時は朝と夕方、自転車を30分も走らせて競技場に通い、マラソン練習。ドラッグストアでのアルバイト、大学の授業、食事も栄養バランスを考えて自炊していた。その姿を見て、「実業団に入ることを応援してあげても良いのかなって思い始めました。こんなに好きなんだったらって」と背中を押した。
今年1月の大阪国際女子マラソンで、昨年のパリ五輪6位入賞の鈴木優花(第一生命グループ)をラスト約800メートルでかわして日本勢トップとなり、代表権をつかみ取ったシンデレラガール。同レースへ向けて、美絵さんは「一歩前に すこしの 勇気」と書かれたお守りを渡しており、今回は大切に預かってエールを送った。
家族からのパワーを受け取り、初の世界舞台で大健闘した小林。自身で道を切り開いた24歳はまだまだ足を磨いていく。
◆小林 香菜(こばやし・かな)2001年4月4日。