◆イースタン・リーグ 西武3―6巨人=延長10回タイブレーク=(16日・カーミニーク)

 巨人2軍は西武戦(カーミニーク)に6―3で勝利し、2年ぶり29度目となるイースタン優勝を決めた。就任2年目となった桑田真澄2軍監督(57)の下、チームは76勝38敗2分けの貯金38、2位・西武に11・5ゲーム差をつける独走で頂点に立った。

来月4日のファーム日本選手権(サンマリン宮崎)でウエスタン王者と対戦し、16年以来9度目となるファーム日本一を目指す。

 涙はなかった。桑田2軍監督は、たくましさを増したナインに身を委ねて3度、宙を舞った。2年ぶり、自身初のリーグ制覇。現役時代の背番号にちなみ「18回」という声もあったが、「いつも『量より質』だと言っているので3回でと。『野球は3という数字を大事にして戦うといい』というのが自分の野球哲学。うれしかった」とかみしめた。

 23年10月に2軍監督に就任。「供給、調整、育成」を使命とし、チーム作りが始まった。スポーツ医科学を活用して選手の状態を管理。降格した選手と面談を行い、心技体の課題を整理し1軍復帰への方向性を定めた。1軍で求められる「仮説と検証」「目標から逆算する思考」や、「この練習が正しい」という無意識の思い込みを取り除く大切さも伝え続けた。

 練習では選手の個別性・独自性を重視。コーチ陣、専門職スタッフと一丸になって時間、情熱、愛情を注ぎ「失敗を恐れずに挑戦を続けよう」と背中を押した。公式戦デビューから8連勝の園田やドラ1・石塚、三塚ら若手の才能が芽吹いた。

 歓喜の裏に、涙があった。7月27日、母・敏恵さんが83歳で死去。「心の支えでした」という最愛の人だった。午後4時ごろに最期をみとった。同5時からイースタン・西武戦(Gタウン)を予定。球場まで車で約15分の距離だったが「試合にはいけない」。一度はそう考えたが、思いとどまった。

 「この時間に永眠したというのは、“試合を休んじゃダメよ。行ってきなさい”ということだと解釈した。

『終わったらまた帰ってくればいいから』。そんな言葉が聞こえて、気持ちを切り替えた。涙が止まらなかったけど、球場に入ったら何もなかったかのようにね」。指揮を執って3―2で勝利後、再び母の元へと戻った。それ以降、チームは28勝8敗の勝率7割7分8厘と驚異的なペースで白星を重ねた。

 「3年、5年、10年後の巨人軍を見据えながら、育成もしていかなきゃいけない。常に勝利を目指しながら、彼らの成長につなげていきたい」。目指すのは勝利と育成を両立させ、中長期的な視点で強い巨人を支えるファームの構築。桑田真澄の挑戦は終わらない。(小島 和之)

 〇…桑田2軍監督は優勝後、ファンと球団のサポートに感謝を示した。今年3月に新ファーム球場・ジャイアンツタウンスタジアム(Gタウン)が開場。ここまで新本拠地でのイースタン公式戦では8万人以上が来場しており、「(選手は)たくさんのファンの方の前でプレーし、背中を押してもらったことで何か気付いたり、きっかけをつかめて成長したと思う。

ファンの皆さん、環境を整えていただいた球団に感謝」と語った。

 ◆桑田 真澄(くわた・ますみ)1968年4月1日、大阪府生まれ。57歳。PL学園から85年ドラフト1位で巨人入り。最優秀防御率2度、最多奪三振、MVP、沢村賞を各1度。2006年限りで巨人を退団し、07年パイレーツ。08年3月引退。21年に投手チーフコーチ補佐として巨人に復帰し、24年から2軍監督。NPB通算442登板で173勝141敗14セーブ、防御率3.55。右投右打。

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