10月23日にプロ野球・ドラフト会議が行われる。社会人のホンダ鈴鹿では、最速155キロの川原嗣貴(しき、21)と、MAX157キロの田中大聖(やまと、23)の両右腕らが指名候補に挙がっている。
川原の指先から放たれた白球はうなりを上げ、捕手のミットに収まった。ホンダ鈴鹿の最年少は、高卒3年目でドラフト解禁を迎えた。「若さは一番の武器」。7月の社会人日本代表との練習試合で、自己最速を3キロ更新する155キロを計測した。眞鍋健太郎監督(45)は「球が強くて『ドーン』と来る。制球もいい」と太鼓判を押す。
入社1年目に森田(現巨人)が紹介してくれた治療院に通い始めて投球が変わった。「可動域が極端に広がって、体のバランスが良くなった」と、球速も球威も上がった。
生まれて初めて触った球が、野球のボールだった。幼少期はやんちゃで、実業団でバレーボールをしていた母・綾子さんの手を焼かせた。大阪桐蔭の3年センバツでは、1学年下の前田悠伍(現ソフトバンク)とともに2勝を挙げて優勝投手に輝いた。「負けるということが、自分の中ではあり得ない」と、自信に満ちあふれていた。エリート街道まっしぐらと思えた道すがら、壁にぶつかった。背番号1で臨んだ3年夏の甲子園。下関国際(山口)との準々決勝は9回に逆転され、春夏連覇はならなかった。試合終了の瞬間は「体が動かなくて、ベンチからグラウンドを見つめることしかできなかった」。マウンドに立つことすらできなかった悔しさは、今でも鮮明だ。
その後のU18W杯では銅メダル獲得に貢献。
かつては“王様気質”だったが、ホンダ鈴鹿でプレーも、人としても成長した。「高校の時は自分中心だったけど、社会人になって、周りの人に支えられていると感じる」。今夏の都市対抗大会は1回戦で敗退。2回戦で登板予定だったため、アピールはかなわなかった。「ドラフトへ怖さはある」と吐露した。
プロ入りがかなえば、最も感謝を伝えたいのが綾子さん。「厳しかったけど、あれ以上の母親はいない」。少し遠回りしたかもしれない。それでも、この道は間違いではなかったと証明する。
川原 嗣貴(かわはら・しき)
★生まれとサイズ
2004年6月30日、大阪・吹田市生まれ。
★変化球
スライダー、スラーブ、カットボール、スプリット、ツーシームなど
★球歴
幼少時に軟式の「ポルテ」で野球を始める。東山田小3年で千里丘イーグルスに所属し、千里丘中では北摂リトルシニアでプレー。大阪桐蔭では2年春からベンチ入り。2年の明治神宮大会、3年のセンバツ、国体で優勝
★憧れの野球選手
★憧れの芸能人
女優の出口夏希。出演作品は全て視聴済み。SNSで応援アカウントをつくるほどの熱烈ファン
★好きな言葉
「The Power of Dreams」。ホンダのグローバルブランドスローガン
★仕事内容
エンジン工場勤務。金属を熱で溶かし、鋳型に流し込む作業