国鉄(現ヤクルト)で本塁打王を獲得し、巨人ではコーチ、2軍監督などを歴任した町田行彦さんが、胆管がんのため都内の自宅で亡くなっていたことが22日、分かった。91歳だった。

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 巨人担当をしていた時、2軍打撃コーチや2軍監督だった町田さん。いつ話を聞きに行っても穏やかに取材に応じてくれた。声を荒らげたことは見たことがない。ユニホームを脱いだ92年からはフロントに転身、編成担当となった。93年からスタートしたFA制度、他球団の選手の動向や移籍希望を調査する役割を担うことになった。

 FAそのものが日本に浸透していない時代。選手が簡単に意思表明することもなかった。「どうすれば、いいのか。とにかくプレーを見なくては」と記者席の横にいつも座っていた。「何か情報があれば教えてくださいね」と言いながら。家が近所だったこともあり、酒席にもよく誘っていただいた。

 プロ野球OB会で顔を合わせた時も、楽しそうに昔話をしてくださった。

ただ、ヤクルト・村上が21歳で本塁打王になった4年前、コメントが欲しくて町田さんに電話をしたのだが、体調がおもわしくないのか通じなかった。もう一度、声が聞きたかった。(湯浅 佳典)

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