高木豊が選ぶ「グラブさばきがうまい」内野手 

歴代選手編

(現役選手編:源田や菊池のすごさ、「守備の名手」が減った理由も語った>>)

 高木豊氏に聞く「グラブさばきがうまい」内野手。前編の現役選手に続き、後編では歴代の選手の中から厳選する。

チームメイトだったレジェンドをはじめ、意外な選手の名前も挙がった。

(※)高木氏の定義......グラブさばき=ボールに対するグラブの当て方、ハンドリング=手首や腕の使い方

プロ野球の歴代内野手で「グラブさばきが」が一番うまかったのは...の画像はこちら >>

野球史に残る名手がズラり】

――歴代でグラブさばきがうまかった内野手を挙げるなら?

高木豊(以下:高木) 僕が実際にプレーを見た中で一番うまいと思ったのは、篠塚和典さん(元巨人/二塁手)です。グラブさばきが柔らかくて、打球の勢いを瞬時に殺せるんですよ。

 あとは山下大輔さん(元大洋/二塁手、遊撃手、三塁手)も外せません。山下さんはハンドリングが抜群なんです。当時は今みたいに人工芝ではなく土のグラウンドで捕球のタイミングが合わないことも多かったのですが、ハンドリングのうまさで対応していました。

――山下さんは、守備の名手としてよく名前が挙がりますね。



高木 ハンドリングが柔らかくて、荒れた土のグラウンドでもミスをしませんでしたね。スピードに乗った硬い打球は、力を抜いて柔らかく構えていないと弾いてしまいますが、柔らかさでボールを吸収するように捕っていました。天才的でしたよ。

――他に挙げるとすれば?

高木 宮本慎也(元ヤクルト/二塁手、遊撃手、三塁手)ですね。彼は動きの連動性が高くて、最初のステップから打球に対する入り方が崩れません。一定の形を保ったまま打球に入っていけますし、グラブで捕るというよりも、体の正面を向けて打球に入っていき、"体の芯"で捕る感覚です。


「基本」と「応用」という言葉を用いるのであれば、山下さんは応用で、宮本は基本。見ていて派手さはなく、「うまい!」と思われやすいプレーではないのですが、形が一定していて崩れないからミスが少ないんです。

――連動性があって形が崩れないといえば、宮本さん同様にショートやサードを守っていた石毛宏典さん(元西武など)にも同様のイメージがありました。

高木 石毛さんもそうですね。打球への入り方から捕球、スローイングまでの一連の動きがほとんどブレませんでした。井端弘和(元中日など/二塁手、遊撃手)も似ています。
派手さはないけど、とにかくミスをしません。

 辻発彦(元西武など/二塁手)もうまかったですね。石毛さんや井端は必ず打球の正面に入ろうとしますが、辻が守っていたセカンドは、ショートと違って時間的な余裕が少しあるので応用が利くんです。

 正面に入るより逆シングルのほうが早く打球がさばける場合は逆シングルで入りますし、送球を強くしたい時にわざと正面に入らず、体を回転させて勢いをつけるとか、そういう応用が利いていたのが辻なんです。セカンドはそういうタイプの選手が多くて、現役でいえば菊地涼介(広島/二塁手)もそうですね。

【歴代で一番うまいと思うサード】

――ショートでリーグ最高守備率を5度記録した小坂誠さん(元ロッテなど)はどうですか?

高木 小坂もうまかったですが、グラブさばきや肩の強さ、スローイングの正確性では宮本や井端より劣りますかね。打球への反応、一歩目のスタートといった俊敏性においては"歴代ナンバーワン"と言ってもいいと思います。



 ショートでいえば、弓岡敬二郎(元阪急~オリックス/遊撃手)のグラブさばきがうまかった。打球に対して捕球のタイミングが合っている時は誰でも捕れるんですけど、合わない時も絶対にあるんです。その時には、いかに手首や腕を柔らかく使えるかが重要になりますが、弓岡はその点が長けていた。僕と彼は同級生で、東洋大姫路高の時から守備をよく見ていましたが、常々「うまいな」と思っていました。

 それと、酒井忠晴(元中日など/二塁手、三塁手、遊撃手)のグラブさばきも一級品でした。ショートだけでなく、セカンドやサードを守ってもうまかったです。


――ファーストで挙げるとすれば?

高木 駒田徳広(元巨人など/一塁手)はハンドリングがうまかったです。長い腕を柔らかく使っていました。スローイングも正確で、大柄だったので他の内野手が送球する時に的が大きくて安心感も与えます。福浦和也(元ロッテ)や中田翔(巨人)のファーストの守備もうまいですが、駒田の比ではありません。

――サードはどうですか?

高木 歴代で一番うまいと思うサードは、現役時代に一緒にプレーしたことがある石井琢朗(元横浜大洋~横浜など/遊撃手、三塁手、投手)です。ショートのイメージが強いと思いますし、確かにショートもうまかったのですが、宮本や井端らに比べると少し劣ります。


 ただ、サードを守らせたら抜群にうまかった。サードに求められる速い打球の反応をはじめ、ボールへのグラブの合わせ方もよかったですし、送球も安定していました。1993年シーズンの横浜は、当初は僕がサードを守っていたのですが、琢朗がサードに来たので自分はファーストにコンバートされる形になりました。

 琢朗とショートのポジションを争っていた進藤達哉(横浜大洋~横浜など/二塁手、遊撃手、三塁手)もうまかったですよ。進藤はボールに対しての入り方、バウンドの合わせ方がうまかった。ただ、「どこからでもスローイングができる」というわけじゃないのが欠点でした。例えば低い打球に対しては、捕った後に低い位置から投げなければいけないのですが、彼は上からしか投げなかったんです。そういう面で応用はうまくなかったですが、自分の形を崩さない場合は抜群にうまかったです。

【サードで起用されるかもしれなかった名捕手】

――ちなみに、高木さんご自身はどうですか? 1983年にダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を二塁手部門で受賞されていますし、1987年には二塁手として当時の日本記録となる守備率.997を記録されています。

高木 篠塚さんの守備を見ているので挙げられないです。僕は堅実ではあったと思いますが、篠塚さんにはとても敵いません。篠塚さんのボールの勢いを殺すグラブさばき、ハンドリングの柔らかさはずっと参考にしていましたが、自分のものにはできなかったですから。あれは天性のもの。僕は脚力などでカバーしていただけです。

 あと、キャッチャーですが谷繁元信(横浜大洋~横浜など/捕手)はサードをやらせたら抜群にうまかったですよ。キャッチャーはずっと座っているイメージがありますが、フットワークが大事。谷繁はフットワークがよく、ピッチャーのいろいろな球を捕っているのでグラブさばきも、ハンドリングもすごくうまかったです。

 森祇晶さんが横浜の監督だった時、僕が内野守備・走塁コーチを務めていたのですが、サードがいない時があったんですよ。それで森監督に「豊、サードの候補って誰かいるか?」と聞かれた時、「やらせるんだったら、谷繁にやらせてください。キャッチャーとして使わない時には、サードとして使えますよ」と言ったんです。

――いつ、谷繁さんのサードの守備を見る機会があったのですか?

高木 谷繁が遊び感覚でサードにノックを受けにきたことがあって。サードからファーストに送球する練習をしていたんですが、送球の正確性や強さ、打球の捕り方も、少し練習すればすぐにサードができるレベルでした。コーチ会議の時にサードの候補として谷繁の名前を出したことは覚えていますし、実戦で使う寸前までいきましたね。

――谷繁さんに対して「サードを守ってもらうことがあるかもしれない」と伝えていた?

高木 いや、それを言うと気持ちがブレてしまうので、本人には言っていなかったはずです。ただ、実際の試合ではプレッシャーもありますし、使ったらどうなっていたかはわかりませんけどね。古田敦也(元ヤクルト/捕手)も絶対にサードができたと思いますよ。

【天才に教えられた守備の心構え】

――ピッチャーはいかがですか?

高木 桑田真澄(元巨人など/投手)です。彼なら二遊間も守れたでしょう。グラブさばきはもちろん、ハンドリングも柔らかいですし、打球に対する反応も抜群でした。斎藤雅樹(元巨人/投手)もそうでしたね。

――ちなみに、桑田さんと対戦した時にセーフティーバントを試みたことはありますか?

高木 桑田が投げている時はやらなかったです。確か、送りバントもしたことがなかったと思います。それだけ打球への反応、フィールディングがよかったですし、"ボールと親しんでいる"という感じがしたのは桑田でした。

――守備について、選手同士で話した印象的な話はありますか?

高木 大洋時代、山下さんと話したことですね。ナゴヤ球場での中日戦だったのですが、試合が終盤で大洋がピンチを迎えたんです。グラウンドもかなり荒れていましたし、山下さんに「こういう時って嫌じゃないですか?」と聞いたんですよ。そうしたら、「豊、それは運だから。イレギュラーも含めて。もっとラクに考えろ」と(笑)。こんなに楽観的に考えているんだなって思いました。だから体の力が抜けて、いい守備ができるんだなと。

――技術はもちろん、気持ちの持ちようも大事?

高木 大事でしょうね。山下さんの考えでは、「イレギュラーしたボールを捕れ」というほうが難しいし、それを自分の責任にせずにリラックスしろということ。打球に向かってスタートを切るという点でも、下半身には力を入れておかないといけないけど、逆に上体は力を抜いておかないと手が動かない。バッティングでもそうです。土台となる下半身はしっかり構え、上体はいかにリラックスさせるかが大事です。

――山下さんの話を聞いて、守備の心構えは変わりましたか?

高木 そうですね。天才の言うことはなかなか理解するのは難しかったですが、こういうことなんだろうと、上体の力を抜くように意識していました。それ以前も力は抜けていたのかもしれませんが、意識して力を抜くようになったんです。

 あと、宮本が面白いことを言っていたのですが、「エラーをするってことは、その日は運がないってこと」らしいんです。つまり名手の場合、エラーしても自分のせいじゃないんですよ(笑)。山下さんは、エラーしたらグラブを変えていましたし。「このグラブが悪いんだ」と言っていたわけではないのですが、まわりの人間からはそう見えるんです。気分転換もしたかったんでしょうね。打者も、打てなかったら違うバットを使ったりしますが、そういう感覚だったんじゃないですか。

【プロフィール】
高木豊(たかぎ・ゆたか)

1958年10月22日、山口県生まれ。1980年のドラフト3位で中央大学から横浜大洋ホエールズ(現・ 横浜DeNAベイスターズ)に入団。二塁手のスタメンを勝ち取り、加藤博一、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」として活躍。ベストナイン3回、盗塁王1回など、数々のタイトルを受賞した。通算打率.297、1716安打、321盗塁といった記録を残して1994年に現役を引退。2004年にはアテネ五輪に臨む日本代表の守備・走塁コーチ、DeNAのヘッドコーチを2012年から2年務めるなど指導者としても活躍。そのほか、野球解説やタレントなど幅広く活動し、2018年に開設したYouTubeチャンネルも人気を博している。