西武・渡部聖弥インタビュー(前編)

 昨年のドラフトで西武からドラフト2位で指名された渡部聖弥。今季開幕戦では、球団の新人では21年ぶりとなるクリーンアップでのスタメン出場を果たした。

右足首痛で9試合の欠場はあったが、5月19日現在、31試合に出場してリーグ2位の打率.312をマークするなど、チームを勝利に導く活躍を続けている。新人王の有力候補にも挙がる、そのパフォーマンスの秘訣に迫る。

西武・渡部聖弥は打てなかった打席に価値を見出す ルーキーとは...の画像はこちら >>

【2試合連続無安打がニュースに⁉︎】

── 開幕戦から5番、故障明けから3番に座って活躍を続けています。ここまでの内容を自身でどう評価していますか。

渡部 すごくいい滑り出しではあったんですけど、正直それはもう過去というか。初めは打率.450ぐらい打っていたけど、それが1年間続くわけではないので。ヒットが出ていない時にどれだけすぐに立て直して、自分のスイングをして、結果を残していけるかだと思っています。

── 5月5、6日のソフトバンク戦では「プロ入り初の2試合連続無安打」がニュースになりました。逆に、それを取り上げられること自体がすごいと思いました。

渡部 それまでは1試合ヒットが出なくても、しっかり課題を見つけて、次の試合でヒットが出ていたという流れでした。(だからニュースを見て)うわぁ......そうだなと思って。5日の試合は内容が悪かったのですが、6日の1、2打席目はしっかり狙ったボールに対していい打球を打てました。ヒットゾーンには落ちませんでしたが、感覚的にはそこまで悪いものではなかったです。

反省すべきは、最後の打席の三振。しっかり最後のボールを見逃せたらよかったので、これから生かしていければと思います。

── 6日の試合の最後の打席は、リバン・モイネロ投手のカーブが内角低めにワンバウンドで来て、空振り三振。打席では結果も大事でしょうが、プロセスを踏まえ、次にどうしていくかという作業をずっとしているのですか。

渡部 そうですね。低めのボール球を振って、片手とかでうまくセンター前に持っていけたら、結果的にはいいと思います。でもその日以降、低めのボールを打てると認識して手を出してしまうより、見逃してフォアボールを取るほうが打率は残ると思うので絶対にいい。自分の打撃の芯を大事にしていきたいなと思っています。

── 報道陣は「打率4割」「プロ入り初の2試合連続無安打」と注目しますが、全然違う世界観にいるんですね。

渡部 そうですね。率を追ってしまうと、数字が下がってきた時に調子まで落ちてしまうと思うので......。そういったものではなく、自分のなかで「これができた」「これができなかった」というものをしっかりやる。

流されず、自分が追い求められるものをまっとうするという感じです。

【中学時代から配球は意識していた】

── 4月29日の楽天戦後、「すべての打席で収穫がないと成長できない。狙い球を決めていくことで次の打席にも生きる。1打席1打席、しっかり割り切ることはやっています」と話していました。そういう意識はいつからですか。

渡部 学生時代から心がけていました。高校時代も考えてやっていましたが、レベルアップするにつれ、考える内容やスキルも上がってきたかなと思います。

── 話を聞くたび、プロで長らくプレーしている選手に取材しているような感覚を覚えます。渡部選手が今の思考法に至るうえで、大きなきっかけとなったのは?

渡部 中学時代から配球は読んでいました。小さい町のチームでプレーしていて、4番を任されていたのですが、自分だけ配球が違うことがあって。そのようにマークされながらも結果を出すには、考えないといけないと思うようになりました。

── なかでも転機となったのは?

渡部 大学4年生の春、全然打てない時期があって。「こんなに打てないの?」と思うぐらい打てなくて......。

それまではノーヒットの試合があっても、次の試合ではしっかり結果を出せていたんです。でもその時は、考えてやっても結果に結びつかず、ほんとに何カ月もの間ずっと不振が続いていました。

── 大学4年春のリーグ戦は打率.220でした。

渡部 リーグ戦だと、やっぱり打率を気にしてしまうんですよね。1試合にこれだけ打たないと周りに追いつけないとか考えてしまって。特に大学4年時は副キャプテンで4番も打っていたから、「自分が打たないとチームを引っ張っていけない」という外部要因もあって、単純にピッチャーと対決できていなかったんです。打席のなかで、自分が何をして、何を得たかというのが薄いから次の打席に生きないし、なかなか修正できない日が続きました。

── 大学4年秋は打率.438で首位打者&MVPを獲得。どんな取り組みで不振を抜け出したのですか。

渡部 大学の監督などからアドバイスをいただいて、自分を客観視できるようになっていきました。リーグ戦で低調な結果に終わって落ち込むところもあったけど、すぐに次が始まる。じゃあどうやったら打てるんだろうって考えた時に、一歩引いた目で自分を見て、「これができてないな」「これもできなかった」というのがありました。

そうした課題と向き合い、少しずつクリアしていった感じです。

── 切り替えがうまくできたのですね。

渡部 春のリーグ戦のあと、大学ジャパン(日本代表)の試合がチェコとオランダであって、その時にけっこう打席に立たせてもらったんです。そのなかで、しっかりピッチャーに向き合うことができました。大学ジャパンは自チームではないし、副キャプテンでもないから、そこまで「自分がやらないと......」と思う必要がなかった。純粋に、打ってチームに貢献することだけを考えることができました。そのなかで「あっ、こんな感じだったな」と徐々に感覚をつかんでいって、秋はいい結果で終わることができました。

【ドラフト2位指名の悔しさ】

── プロになって環境は変わっても、自分のなかで同様のアプローチができているのですか。

渡部 そうですね。いい時には打率.450やマルチヒットが続くけど、悪い時は2試合ノーヒットもあります。でも大事なのはそこじゃなくて、たとえば5打数2安打だった時に、2本のヒットを喜ぶのではなく、打ち取られた3本は何がダメだったのかを求めていかないと、結果を出し続けることは難しいと思います。

 野球では「3割バッターはすごい」と言われるけど、10本のうち7本は凡退じゃないですか。

その凡退をどう考えてやるかによって、打率3割が4割になるかもしれないし、その可能性はゼロではない。打率を残すためには、打てなかった打席をどう考えるかが大事だと思います。

── 西武は、不調だった大学4年春から秋に復調するプロセスを見て、渡部選手を高く評価したと聞きました。

渡部 それは知らなかったです。でも当時、秋に結果を残せたことで、ひと皮剥けたというか、レベルアップできたなという実感はありました。

── 迎えた2024年のドラフト会議では、広陵高時代に同級生だった宗山塁選手(明治大→楽天)、大学ジャパンのチームメイト・西川史礁選手(青山学院大→ロッテ)ら6人の大学生が1位指名されましたが、渡部選手は西武の2位指名となり、「悔しい」と話していました。

渡部 大学2、3年生くらいからプロを意識して、ドラフト1位で行きたいと思っていました。プロで活躍するのが長い目標ではありますが、通過点としてドラフト1位で入団したい。「ドラフト1位=期待されて入る」わけですから、一番チャンスを与えてもらいやすい。だからこそ、こだわっていました。

 特に一緒に大学ジャパンでプレーしていた同級生の宗山や西川が1位でプロに行ったので、やっぱり悔しいという気持ちがあって......。単純に自分の評価が低かった、自分に劣っているところがあったことが悔しかったです。

── ドラフト後に悔しさをぶつけて練習したというのは、そういう背景もあったのですか。

渡部 はい。2位だったことで、余計に練習できたところもありました。「絶対に1位で指名された選手よりも活躍する」と誓って、ドラフトの次の日から練習していたんです。そういったことも頑張れる要因になったかなと思いますね。

── 悔しい気持ちはあっても、すぐに前向きになれるタイプですか。

渡部 悔しいことが原動力になるんだと、あの時は素直にそう思えましたね。

つづく>>


渡部聖弥(わたなべ・せいや)/2002年8月31日生まれ。広島県出身。広陵高から大阪商業大に進み、1年春からレギュラーとして出場。2年秋にはリーグ新記録となるシーズン5本塁打をマーク。4年秋には首位打者とMVPを獲得。同年ドラフトで西武から2位で指名され入団。開幕スタメンを果たすなど、1年目からチームの中心選手として活躍中。

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