MABP、初のトラックシーズン総括(前編)
【非常に厳しいポジションにいることを自覚している】
「うーん。厳しいですね」
7月19日、ホクレンディスタンスチャレンジ(以下、ホクレンDC)第5戦・網走大会のレース後、MABPマーヴェリックの神野大地プレイングマネージャー(31歳)の表情がゆがんだ。
2027年のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)出場を目指して立ち上がった新たな実業団チームにあって、神野は以前、「(ニューイヤー駅伝の予選となる)東日本実業団対抗駅伝を突破するために、チームの選手たちは5000mで13分40秒を、10000mで28分20秒を切るのをひとつの目標にしています」と語っていた。
だが、フタを開けてみると、そこには遠く及ばない結果に終わった。
「6月11日の深川大会では、山平(怜生)が5000mで(13分33秒85と)自己ベストを更新しただけでなく、(7月の)日本選手権の申込資格記録(13分38秒00)も突破する結果を残してくれました。ただ、7月の千歳、北見、網走の3大会では、(網走で好走した)鬼塚(翔太)以外はいいところがありませんでした。
これからライバルとなる各実業団チームの今季のトラックの記録を整理して、自分たちの現在地を把握する予定ですが、現状では東日本実業団駅伝の突破圏内には入っていない。非常に厳しいポジションにいることを自覚しています」
千歳は気温が低く、走りやすい環境だったが、北見と網走は気温、湿度ともに高く、難しいレースコンディションだった。それでも各組の上位選手は設定タイムをクリアするなど、しっかりとした走りを見せていた。
そういうなか、MABPの選手たちは厳しい結果に終わった。5000mに出場したキャプテンの木付琳は14分20秒29(千歳)と14分35秒87(網走)、板垣俊佑は14分26秒91(千歳)と14分50秒27(網走)、中川雄太は14分18秒72(北見)、栗原直央は14分34秒15(網走)だった。
ケニア人のふたりも低調だった。ムモ・ジョセフは13分47秒21(北見)と13分56秒73(網走)、チェルイヨット・フェスタスは14分02秒30(北見)。初めての日本で、日々の生活や食事に慣れる時間が必要であり、日本の蒸し暑さにもダメージを受けているが、それにしても期待には届いていない。
この結果を受け、神野は次のように語る。
「網走でのレース後のミーティングの時、このチームで初めて厳しいことを言いました。練習というより、レースに臨むうえでの生活面で気になったことがあったからです。練習でがんばるのは当たり前。レースで結果を出すためには、睡眠時間をしっかり確保する、レース前の食事に気を配るなど、いろいろありますが、レースのためにどれだけ自制ができるか。レースできつくなった時、そういう自制が粘り強さにつながってくると思うんです。
それぞれにこだわりや意識するポイントを持っていることは理解しますが、僕は睡眠や食事を含めた生活面が非常に大切だと考えているので、これからも言い続けていきます」
【レースに臨む準備のところでの意識の問題】
マラソン選手としてオリンピック出場を目指していた頃の神野を取材した時に感じたのは、レース前に限らず、日々の生活でもつねにストイックだということ。特に、食べ物については慎重で、海外遠征に行った際、ビュッフェで並べられているものを動画で撮って栄養士に送り、何を食べたらいいのか、指示を仰ぐほどだった。
実は、ビュッフェは選手の食事への意識を見るうえで非常に有効だと言われている。何をどのくらい食べるのか。指導者はそれを見て、選手のコンディションやアスリートの意識を測る。例えば、レース直前の揚げ物や生ものは論外だろう。「勝負の神は細部に宿る」という言葉もあるように、神野はそこにこだわってきた。
「みんな、練習ができていないわけではないんです。むしろ、ホクレンに向けては意欲的に取り組んでくれていたけど、結果に結びついていない。もちろん100%の練習や準備をして、調子がいいと感じていても、結果がともなわないこともあります。それにしても、今回の結果は厳しかった。その原因のひとつは、レースに臨む準備のところでの意識の問題かなと思います。
今回は鬼塚が結果を残しましたが、『(自分と違って)鬼塚さんは合宿に行かせてもらっていたから結果を出せた』とだけ思うのか、最後の調整段階でも食事や睡眠などやるべき準備をできていたかというところにも目を向けるのか。そこをどうとらえるかで、これからの結果や伸びしろに違いが出てくると思います」
新チームながらMABPの環境は悪くない。寮はないが、新設したクラブハウスがある。サウナに水風呂、ジムを備え、栄養士が考えた食事も朝夕2回出る。「よいパフォーマンスを発揮するために」というポリシーのもと、充実したサポートが提供されている。この環境のなかで競技力をどうアップしていくのか。
今回の結果を受け、神野は方針を転換する予定だという。
「ホクレンの結果を受けて選手が悔しさや危機感を覚えているのはわかりますが、そうかといって、何も言わずにいると何も変わらない。今後は、締めるところは締めていこうと思っています。今のままじゃ東日本で勝てないですから」
厳しい言い方をすれば、今回の結果は選手たち自身の責任とも言える。結果を出していれば何も言われない。だが、陸上はタイムを競う競技であり、レースでは勝ちきることがすべてだ。それができないのであれば、立ち止まって、従来のやり方を見直していくことが必要だろう。
【僕も東日本までに仕上げないといけない】
一方で、神野は指導する側としての反省も語った。
「4月からホクレンまで、合宿を一度もやっていないんです。6月以降、例年に増して暑かった東京で、選手も不満を漏らすことなく練習に取り組んでくれました。ただ、もっと気象コンディションを勘案した練習内容にすべきだったとか、ホクレンをチームとしてのターゲットレースにするからには、合宿を入れるなど環境をもう少し整えるべきでした。
また、千歳大会から網走大会まで北海道に滞在しましたけど、ホクレンに向けてみんなで気持ちを高めてレースに臨もうという雰囲気づくりなど、まだできることがあったかなと思います」
神野自身もまた、指導者としてのあり方、また、チームの運営方法について模索中だ。
「みんな、もう大人なのでジャブ程度に言うことがあっても、基本的には個々の選手のやり方にまかせてきました。でも、俯瞰して見すぎたと思っています。今のまま東日本実業団駅伝を迎えてダメだったら、すごく後悔が残る。そうならないように、僕もスタッフもやれることをやっていきます。
選手側から見れば、僕を含めてスタッフも初めてで、不安があるなかでがんばってくれていると思うので、これからもお互いがお互いのせいにせず、試行錯誤しながら一緒にいいチームをつくっていきたいです」
指導者なら誰もが通る道であり、戦えるチームづくり、選手の成長が第一という信念もブレていない。プレイングマネージャーになってまだ数カ月だが、表情には選手時代とは異なる厳しさが宿ってきているように見える。
「今回、網走のレースを見ていてスイッチが入りました」
神野はそう言った。いったい、何のスイッチが入ったのだろうか。
「チームの戦力を客観的に見たときに、僕も東日本までに仕上げないといけないと思いました。そこに向けてガムシャラに取り組みます。僕の取り組む姿勢や走りを見せることで、選手のみんなに何かを感じてもらえたらなといいかなと。
神野自身は6月末、この2年間ほど悩まされていたジストニア(神経系の障害により、筋肉が自分の意思とは関係なく動いてしまう病気)の手術を受け、まだ本格的には走れていないが、勝負の夏合宿ではチームを引っ張る姿が見られるかもしれない。
>>>後編「箱根駅伝後の低迷を経て、実力者・鬼塚翔太は新たな実業団チーム、MABPで自分の走りを取り戻した」に続く。