衝撃の甲子園デビューになるのではないか──。

 今夏の静岡大会を取材した際、聖隷クリストファーの2年生左腕・髙部陸の投球を見て、そんな予感を抱いた。

 身長175センチ、体重68キロと、体格的に目を引くわけではない。最高球速は147キロだが、超高校級というほどの数字でもない。だが、髙部のボールをひと目でも見たら、その非凡さにうならされる。

 強烈な回転のかかったストレートは失速することなく、捕手のミットに突き刺さる。スピードガンの数字以上に圧力を感じるボールだ。

 静岡大会準決勝・藤枝明誠戦では、6者連続奪三振をマーク。髙部の快速球は、ことごとく打者のバットの上を空過した。

 甲子園でも同じようなパフォーマンスを披露できれば、高校野球ファンは髙部の逸材ぶりを実感するはず。そんな私の予想は、意外な形で裏切られることになる。

 こう書くと失望したように受け取られてしまうかもしれないが、むしろ逆だ。当事者の証言をもとに、髙部の甲子園デビューを振り返ってみたい。

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【視覚と脳を超越するボール】

 8月9日、聖隷クリストファー対明秀学園日立(茨城)の甲子園1回戦。試合前の会見で明秀学園日立・金沢成奉監督に「髙部投手の映像を見て、どんな印象を持ちましたか?」と聞いてみた。

すると、金沢監督はこう答えた。

「あのストレートは一級品ですよね。カットボールもいい。このふたつが全投球の8~9割を占めてくる。まだ2年生なのに、自信満々で投げてくるし。将来プロにいけるピッチャーだと思います。茨城県では見たことのないレベルです」

 そして、金沢監督は興味深い考察を示した。

「人間は視覚と脳の関係で、だいたいのピッチャーは『このへんで打とう』とイメージどおりにボールがくれば、打てるわけです。でも、高部くんはたぶん、視覚と脳のギャップが強いはずです。こういう球が投げられるピッチャーは、なかなかいません。ただ速いだけのピッチャーはたくさんいるんですけどね。ウチは過去にも大島高校(鹿児島)の大野稼頭央くん(現・ソフトバンク)とか、いい左ピッチャーとも対戦してきました。

髙部くんもトップクラスなのだろうと思います」

 視覚と脳を超越するボール。だからこそ、髙部のストレートは140キロ前後の球速であっても、空振りを奪えるのだろう。

 一方、髙部を指導するベテラン指揮官・上村敏正監督は、試合前から柔和な表情で意外な内情を明かした。

「(髙部は)ものすごく気合の入る子なんですけど、緊張感もすごく持つ子なので。今日なんて食事がノドをとおらなかったみたいで......」

 埼玉県出身の髙部は、中学時代に武蔵嵐山ボーイズで全国大会優勝を経験するなど、場数は踏んでいる。だが、甲子園ともなると、別次元の感覚なのだろう。

 大会前、上村監督に「髙部投手にとって、どんな全国デビューになる予感がしますか?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「2年生ですから、まだ弱いところもあります。体も細身ですから。とにかく、2年生で甲子園に出られたのは大きいこと。思いきってやってほしいですね。球が走らなくても、彼にとってはいい経験になると思います」

 よほど状態を崩しているのだろうか......。

そう勘繰ってしまうほど、弱気なトーンに聞こえた。とはいえ、大事な教え子が心配で仕方ない、親心にも感じられた。

【こんなに奥行きが使えるとは】

 試合は波乱の幕開けになった。1回表に聖隷クリストファーが1点を先取。その裏、髙部が初めて甲子園のマウンドに立った。

 明秀学園日立の1番打者・脇山琉維(2年)が左打席に入る。その初球、髙部がワインドアップから投じたストレートは高めに抜け、強いシュート回転がかかって脇山の右肩付近にめり込んだ。マウンド上の髙部は硬い表情で帽子を取り、脇山に謝罪した。

「初回にマウンドに上がった時、スタンドが見えるんですけど、人がいっぱいいて緊張してしまいました。気持ちが高ぶりすぎて、浮ついている感じがあって。いきなりデッドボールで、焦りました」

 髙部はそう振り返る。

 それでも、動揺を引きずらなかった。「周り(チームメイト)をよく見て、切り替えよう」と、犠打と三塁ゴロで二死までこぎ着ける。

二死二塁で迎えた4番の強打者・野上士耀は、高めに伸びていく145キロのストレートで空振り三振に仕留めた。

 その後、守備の乱れもあって3回に1点を失ったものの、髙部は5回まで被安打2と明秀学園日立の強打線を封じる。ただし、奪三振は2に留まった。

 明秀学園日立の金沢監督は試合中、髙部に対して「イメージ以上や」と感じていたことを明かす。

「真っすぐでガンガンくると思っていたのに、こんなに奥行きが使えるピッチャーとは思わなかった。こんなにピッチングに幅があるなんて」

 金沢監督は髙部のストレートとカットボールのコンビネーションを強く警戒していた。しかし、実際には100キロ台のカーブや130キロ弱で落ちるチェンジアップの精度も高かった。髙部にさまざまな球種を使われたことで、打者は的を絞りにくくなった。三振は少なくても、凡打の山が築かれた。

【敵チームの応援も味方に】

 6回表に聖隷クリストファーが1点を勝ち越した直後、スタンドに異変が起きた。

 前夜の雨と交通渋滞で到着が遅れていた、明秀学園日立の吹奏楽部員がアルプススタンドに到着。すると、一段とボリュームアップした一塁側スタンドの応援につられるように、甲子園球場に手拍子が自然発生したのだ。その波は、バックネット裏で観戦するファンにまで伝播していく。

 まるで甲子園球場が一体となって、明秀学園日立を応援するようなムードが醸成された。甲子園では、これまで何度もこのような「異空間」が発生し、波乱の展開を演出してきた。高校生が平常心を保つことなど、不可能と思えるようなムードである。

 ところが、マウンドの髙部は何も変わらなかった。明秀学園日立のクリーンアップを淡々と打ち取り、三者凡退に。手拍子は沈静化し、呼応するように明秀学園日立の反撃ムードはしぼんでいった。

 この時、何を思っていたのか。試合後に報道陣に問われた髙部は、こう語っている。

「相手の応援団が入ってきて、自分的にリズムをつくることができて。相手の応援もあったから、自分もリズムよく投げられたのかなと思います」

 つまり、敵チームの応援だというのに、髙部は自身の投球リズムをつくるのに利用したというのだ。

 7回以降、テレビ中継のモニターで登板中の髙部の表情を確認して、私は言葉を失った。髙部は明秀学園日立のブラスバンドが奏でる音楽に合わせて、リズムを刻むように首を前後に動かしていたのだ。

 その顔には、無垢な笑顔が広がっていた。まるで、野外コンサートを楽しむ、ひとりの聴衆のようだった。

 試合後、「相手チームの応援のリズムに乗って、首を動かしていましたか?」と聞くと、髙部は爽やかに笑ってこう答えた。

「そのほうが楽しく投げられるんです」

 明秀学園日立の楽器応援が始まった6回以降、髙部は3イニング連続で三者凡退に封じている。

 8回表に聖隷クリストファーが3得点を奪い、スコアは5対1に。9回裏、明秀学園日立の野上が「1個下のピッチャーに抑えられていたので、最後にガツンといったろと思った」と意地の二塁打を放つ。さらに安打が出て一、三塁とチャンスをつくったが、明秀学園日立の反撃もここまでだった。

 結局、髙部は9回を投げて被安打4、失点1で完投勝利。期待された奪三振は4に留まった。

【味方の援護を引き出す戦略眼】

 試合後、髙部に「今日は打たせて取る投球に見えました」と印象を伝えると、こんな反応が返ってきた。

「守備からリズムをつくろうと思っていたので。初戦なので、まずは野手の足を動かそうと思いました」

 つまり、金沢監督を戦慄させた「ピッチングの幅」は、チーム全体のことを考えた策略だったのだ。

 髙部の武器は、超高校級のストレートだけではなかった。横の変化だけでなく、奥行きまで使える投球術。相手スタンドの応援すら味方につけてしまうメンタリティー。あえて打たせて取ることで、味方の援護を引き出す戦略眼。

 この日は太陽が絶えず雲に隠れており、過ごしやすい天候だった。球数も107球に抑えられており、髙部は「そこまで疲労を感じていません」と明かしている。

 聖隷クリストファーは、2回戦で3季連続甲子園出場の西日本短大付(福岡)と対戦。さらに3回戦では花巻東(岩手)と東洋大姫路(兵庫)の勝者と対戦する、「死のゾーン」に入っている。

 それでも、と思ってしまう。甲子園デビューで髙部が披露した才能の数々には、多くの可能性が宿っていた。

 ずば抜けた球速を出したわけでも、飛び抜けた三振数を奪ったわけでもない。しかし、髙部陸の投球からは、「伝説」の匂いが漂ってきた。

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