連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第12回 浅田真央 前編(全3回)

 今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。そんな偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターたちの活躍や苦悩があったからこそのものだろう。

 2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載第12回は、2010年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央を取り上げる。前編は、「天才少女」と呼ばれ世界トップへと駆け上がっていったノービス、ジュニア時代について。

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【ノービスで異例の全日本出場】

 2002年のジュニアGPファイナル、当時14歳の安藤美姫が公認大会で女子初となる4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させ、日本では女子フィギュアスケートへの注目が一気に高まっていた。そんななか、その年の全日本選手権で一躍注目されるようになったのが、ノービスの小学6年ながら特例で初出場した浅田真央だった。

 浅田は、そのフリーで冒頭のトリプルアクセルを回転不足ながら着氷すると、3回転フリップから3回転ループ、3回転トーループと続ける3連続ジャンプに挑戦。不完全ながらも着氷し、総合7位で入賞を果たした。

「トリプルアクセルは2年前に練習を始めましたが、去年の夏にきれいに降りられるようになりました。先生たちに『アクセルを絶対に決めなさい』と言われていて、自分も跳びたかったので降りた瞬間は本当にうれしかったです」

 浅田は無邪気な表情でそう話していた。これを機に「天才少女」と呼ばれるようになり、ジュニア移行の2004−2005シーズンは初参戦のジュニアGPシリーズでいきなり2勝し、ジュニアGPファイナルではトリプルアクセルを成功させて優勝。初出場の世界ジュニア選手権は、ジュニア世界歴代最高得点の179.24点で制した。

 さらに、3回目の出場だった全日本選手権では自己採点を「90点」としたショートプログラム(SP)4位から、最終滑走だったフリーで最初のトリプルアクセルを成功させる。その後、3回転ジャンプにミスがありながらも、安藤に次ぐ総合2位に入った。浅田はその結果を素直に喜んでいた。

「いつもの試合より緊張しましたが、滑り出した時はもう大丈夫でした。楽しんで滑ってショートのようにノーミスができればいいと思っていた。順位を見た時はすごくビックリしたし、すごくうれしかった。(フリーの自己採点は)99点です」

【え、びっくり! 初出場でGPファイナル制覇】

 翌2005−2006トリノ五輪シーズン。五輪前年7月1日時点で15歳以上という年齢制限を3カ月ほどの差で満たせず、出場はできなかった。このシーズンにシニアのGPシリーズに初参戦した浅田は、前季同様に勢いがあった。

 GPシリーズ初戦の中国大会では、2002年ソルトレイクシティ五輪2位で前季世界選手権優勝のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)には敗れたが、2004年世界選手権優勝の荒川静香を上回る2位になった。次のフランス大会は自己ベストの得点を出して優勝し、GPファイナルへ初進出した。

 そのGPファイナルのSPは、64.38点。その後に演技したスルツカヤが58.90点にとどまり、浅田の首位発進が決まると、「え! すごい! ビックリ」と何度も繰り返し、無邪気に喜んでいた。

 翌日のフリーは、スルツカヤがノーミスの滑りで合計181.48点にしたあとの演技だった。当初2本入れる予定だったトリプルアクセルだが、「6分間練習が終わってスルツカヤさんが演技をしている時に不安になった」と1本に変更。その1本をしっかり決めると、コンビネーションジャンプを後半に3本入れた難しい構成をノーミスで滑りきり、自己最高得点の合計189.62点に。

2003年の村主章枝以来の日本女子2人目の優勝を初出場で果たした。

「トリプルアクセルは会場に来てからは跳べていたので自信はありましたが、演技順が近づくとだんだん自信がなくなってきました。落ち着いてできてよかったですが、最後はすごく疲れていたので終わった時に『ガッツポーズをしている場合じゃないな』と思いました。優勝できてびっくりしたのと、うれしさでいっぱいです」

 浅田は次の目標について、「トリプルアクセル2本か、4回転ジャンプ」と話していた。その1週間後の全日本選手権では他の選手が五輪代表争いでナーバスななか、浅田はのびのびと滑り、フリーでは非公認大会ながら女子史上初のトリプルアクセル2本を成功。合計を188.10点にして村主に次ぐ準優勝を果たした。

「(トリプルアクセル2本は)少し不安はあったけれど、迷ったら跳べないので自信を持って跳ぶことを意識しました。優勝はあまり気にしていませんでしたが、とりあえずトリプルアクセルを2本跳べたのがうれしいです」

 一方で浅田は、「演技にスピードがなかったのと、最後にバテてしまったのが反省点。ジャンプは得意だけど、スピンやスパイラルといった表現がまだまだだなと思いました」と課題も口にした。それでも、GPファイナル優勝に次ぐ全日本2位で、五輪代表選手以上に存在感をアピールしていた。

【ライバル、キム・ヨナに初めて敗北】

 そんな浅田にとってこのシーズンの最大の目標は、前季に優勝した世界ジュニア選手権での連覇だった。日本だけではなく、世界に目を向けても、このシーズンを終えればトップ選手が世代交代していく状況だった。

 そして、トリノ五輪直後に開催されるこの大会で、急成長してきていた同い年のキム・ヨナ(韓国)と対決。4年後のバンクーバー五輪の優勝争いへ向け、最初のステージになると注目されたのだ。

 大会初日、フリー演技で競う予選を浅田は全体トップの得点で通過したが、最初のトリプルアクセルではGOE(出来ばえ点)で減点されていた。それでも翌日のSPでは、「朝の練習で意外と調子がよかった」と、冒頭にトリプルアクセルからの連続ジャンプを入れた。だが、そのセカンドのループが1回転になりGOEで減点。コンビネーションスピンでもわずかに減点される結果で56.10点と得点を伸ばせず、ノーミスで滑ったキムに5点近い差をつけられる2位発進になった。

「ショートでトリプルアクセルが跳べたのはうれしかったけど、そのあとのミスがあったので複雑な気持ちです。連覇を目指しているのでショート2位とわかった時には『あぁ......』という感じでした」

 逆転を狙った2日後のフリーは、最初のトリプルアクセルがシングルになる滑り出し。「あきらめてはいけないと思った」と立て直したが、終盤の3回転フリップ+2回転ループはフリップのオーバーターンでセカンドは1回転にとどまり、最後は3回転ルッツが1回転になって連続ジャンプをできず。合計は153.35点でキムに大差をつけられる2位に終わった。

「フリーで1位を取りたい気持ちがあったのでいつもより緊張しましたが、ジャンプでパンクして一番ダメな試合だったと思いました。ジャンプを回ってコケたりするならまだいいけど、試合でパンクしてしまっては思いました。

シニアのほうではのびのびとできていますが、ジュニアだと1位とか表彰台に上がらなければいけないのでノーミスで優勝したいという気持ちがありました。自分(の強み)はジャンプだけだと思うので、失敗したら負けてしまう。スピンやステップ、スパイラルをもっとレベルアップしていきたいです」

 山田満知子コーチは、その結果を振り返ってこう話した。

「試合の2日前に4回転ジャンプをあきらめてからは気持ちがラクになってアクセルもよくなりましたが、ピタッと決めるべきポジションが細かいところで合っていない部分もありました。真央は天才だけど、努力の天才でもないと頂点には到達できない。練習でも4回転はその気になっていますが、気持ちが乗らないスピンやスパイラルなど、ほかのところもやる気になって直していけば、もっと素敵になる。本人は『もっと素敵になれる』ということがわかっていないと思うから、帰ってゆっくり話したいです」

 ジュニアの国際大会では負け知らずだった浅田にとって初めての敗戦。浅田はキムに対し、「いいライバルだと思うし、自分ももっと頑張らなければいけないと思いました」と話した。この大会こそが世界の舞台でこれから繰り広げられていった、浅田とヨナの対決の幕開けだった。

中編につづく

<プロフィール>
浅田真央 あさだ・まお/1990年、名古屋市生まれ。ノービス時代から全日本選手権に出場し、トリプルアクセルを武器に世界のトップで活躍。2010年バンクーバー五輪銀メダル、世界選手権優勝3回など数々の実績を残した。

2017年に現役引退後はアイスショーのプロデュースや解説など幅広く活躍し、2025年からは指導者として活動。

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