関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(20)
(連載19を読む:新生UWFの解散後、藤原喜明に舞い込んだ新団体設立のオファー「船木誠勝と鈴木みのるを引っ張れ」>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第20回は、新団体「藤原組」の設立の経緯について語った。
【なぜ団体名が「藤原組」に?】
藤原は新生UWFの解散後、大手眼鏡チェーン「メガネスーパー」の創業者で、プロレス団体「SWS」のオーナーだった田中八郎氏の支援を受けて「藤原組」を設立した。所属選手は藤原のほかに、UWFに在籍していた船木誠勝、鈴木みのる、冨宅祐輔(現・飛駈)。旗揚げ戦は1991年3月4日、後楽園ホールで行なわれ、主催者発表で超満員札止めとなる2300人の観衆を集めた。
団体の正式名称は、当初は「新UWF藤原組」だったが、「プロフェッショナルレスリング藤原組」と変わった。その命名は、レフェリーで外国人招聘を担当した空中正三(ミスター空中)と話し合って決めたという。
「俺は、なんとかカンパニーとか、コーポレーションみたいな横文字が嫌いだからな。空中さんと話している時に、俺が『藤原組とか......』ってつぶやいたんだよ。新日本にいた頃、試合前に若い連中と俺がスパーリングしてた時に、それを見ていた記者連中が『おっ、藤原組が始まったな』と言ってたんだ。その言葉を思い出してな。そしたら、空中さんが『えぇな! 藤原組。それでいこうか』って言うから、じゃあ、それでいいかって」
新団体には、敬愛するカール・ゴッチを最高顧問に迎えた。団体のロゴマークは、藤原が自ら描いた。
「あのデザインの意味は簡単で、ゴッチさんが獅子座なんだ。だから、獅子を西洋風に描いただけだよ。それでな、ゴッチさんがよくおっしゃっていた『ONE FOR ALL ALL FOR ONE』という言葉を入れた。『みんなはひとりのために。ひとりはみんなのために』っていうラグビーで有名な言葉。当時の俺は、そんな有名な言葉だって知らなかったけど、『いい言葉だなぁ』って思ってな。ゴッチさんにも、『ロゴに入れろ』って言われたから入れたんだよ」
【SWSと合流しなかった理由】
藤原組は、足立区内の道場運営から大会の資金面など、田中氏の支援を受けた。藤原は新団体を作る時に田中氏がオーナーを務める「SWS」に合流することも思い描いていたという。しかし、田中氏は「藤原組」を、「SWS」とは別団体として旗揚げすることを決めた。
「藤原組を作った時に、田中さんが俺に言ったんだよ。
田中氏が発した「印象が悪くなる」という言葉には、ある背景があった。SWSは多額の資金をバックに、全日本プロレス、新日本プロレスから人気選手を引き抜いたため、専門誌『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社刊)が、毎週のように「金権プロレス」といったバッシングを展開したのだ。
同誌はプロレスファンに絶大な影響力があったため、一部のプロレスファンが「SWS」を誹謗中傷するようになった。そのため田中氏は、旗揚げしたばかりの「藤原組」の行く末を心配し、「SWS」とは別の団体として活動させることを決断したのだ。
その田中氏は、2010年12月17日に71歳で亡くなった。藤原は今も田中氏への恩義を忘れない。
「俺たちプロレスラーにも気を遣っていただいてな。ありがたい方だったよ。あの頃、田中さんのことをおかしく言う連中がいたけど、そいつらが憎たらしいというか、『バカじゃないのか』って思ってたな。
なぜ田中氏は、UWFが解散した直後、藤原に新団体設立を持ちかけたのだろうか。
「UWFにいた頃は田中さんと接点がなかったから、わかんねぇんだよ。ただ、これは人からウワサ話みたいな感じで聞いたんだけど、田中さんの息子さんが俺の試合を見るのが好きだったらしいんだよ。
田中さんが、息子さんとUWFの試合を後楽園ホールに見に来たことがあったらしくてな。息子さんが『UWFいいな』って言ったら、田中さんが『この団体を誕生日プレゼントに、そっくり買ってやろうか』と言った、なんて話も聞いたことがあるけどな。フフフ......本当かどうかは知らんけどな」
【船木を団体のエースに旗揚げも......】
こうして迎えた旗揚げ戦は、全4試合がラインナップされた。藤原は第2試合でジョニー・バレットと対戦し、アキレス腱固めで勝利した。メインイベントは船木が務め、UWFの常連外国人選手だった米国人のバート・ベイルをフェイスロックで破った。その試合順からもわかるように、藤原は一歩引いて、船木を団体のエースに据える方針を取った。
「あの頃、船木が少し人気があったからだよ。ただ、俺は冷静に見て『まだそんな器じゃない』と思ってたけどな」
田中が事実上のオーナーを務めた藤原組だったが、格闘技スタイルを追求する試合内容は変わらなかった。ただ、団体の方向性でUWF時代と違ったのは、SWSへの参戦だった。
第一弾は、SWSとして初のドーム興行、3月30日に行なわれた東京ドーム大会。そこに船木が参戦し、新日本時代の先輩である佐野直喜(現・巧真)に勝利した。続く4月1日の神戸ワールド記念ホール大会には、船木、鈴木、藤原も参戦した。「SWSと藤原組による対抗戦」と銘打たれ、船木はまたも佐野に勝利し、藤原は新日本時代の後輩である新倉史祐に快勝した。
しかし、アポロ菅原と対戦した鈴木は、まったく試合がかみ合わず、菅原が試合を放棄する不穏試合となり、禍根を残した。この試合を藤原はどう見たのかを聞くと、「そんなもん知らん。鈴木に聞いてくれ」と沈黙した。ちなみにこの神戸大会は、WWF(現WWE)のジョン・テンタと対戦した北尾光司が、試合後にマイクを持って「この八百長野郎!」と罵倒し、大騒動が起きた"いわくつき"の大会だった。
SWSへの参戦は、藤原にとって田中への恩義を含めて当然の方針だった。だが、UWFから続く、従来のプロレスとは一線を画す格闘技プロレスを追求したかったほかの選手たちは、旧プロレスへ後戻りするような展開に違和感を覚えていた。そして次第に、藤原との間に溝が生まれていくことになる。
(敬称略。



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