オリックス・バファローズ
アンダーソン・エスピノーザ インタビュー(前編)
今から2年前の2024年シーズン序盤、西武の本拠地ベルーナドームによく現れるMLB球団のスカウトがいた。今季アストロズに入団した今井達也に加え、高橋光成、平良海馬という将来のメジャー移籍を望む投手たちを視察するためだった。
ところが彼らの誰も先発しないある日、そのスカウトが姿を見せた。その理由を尋ねると、スカウトはこう答えた。
「エスピノーザを見に来たんだ。メジャーでトッププロスペクト(有望株)だったんだよ。日本に来て成長する外国人ピッチャーはたくさんいるからね」
それから2年後の今季、オリックス入団3年目のアンダーソン・エスピノーザは、パ・リーグ屈指の安定感を発揮している。
【日本に来て手にした武器】
開幕から10試合に登板して6勝2敗、防御率1.97(今季の成績は6月17日時点)。上位争いを演じているチームに不可欠な先発の柱だ。
エスピノーザは好調の秘訣をこう話した。
「このオフは本当に練習したよ。フォームを磨き、制球力を高めることはもちろん、どうすれば打者をもっと攻められるのか、どうすれば四球を減らせるのかを徹底的に考えながら取り組んできた。そうした努力の積み重ねが、今の防御率にも表れていると思う。ウエイトトレーニングにも力を入れたし、スタミナをつけて少しでも長いイニングを投げられるよう準備してきたんだ」
成果のひとつが与四球率(BB/9)だ。来日1年目の2024年は3.23、2025年は3.26だったが、今季は2.37と向上。
「制球力は、とくに改善したかったひとつだ。四球を減らせば、防御率はよくなる。防御率がよくなれば、より長いイニングを投げられて、チームの力になれる。いかに早いカウントから積極的に攻めて、できるだけ少ない球数でアウトをとるか。普段のスローイングプログラムやブルペンでも、常にその点を意識している」
アメリカ時代は制球力に課題を抱えていた。与四球率を見ると、2021年は1Aで4.84(17試合)、2022年はMLBで7.85(7試合)、2023年は3Aで4.99(28試合)だった。なぜ、日本に来てよくなったのか。
「一番大きいのはメンタリティだね。日本にはすばらしい投手がたくさんいて、本当にレベルが高い。そういう環境にいると、『自分も彼らと同じか、それ以上になりたい』と思わされるんだ。そういう競争意識が、フォームや制球力をさらに磨こうという原動力になる」
投球割合の半分を占めるツーシーム(シンカー)を軸とするスタイルや、ヒーローインタビューで「まいど、エスピで~す。
【トッププロスペクトを襲った試練】
ベネズエラのバリオという経済的に恵まれない地区で生まれ育ち、2014年に16歳でレッドソックスと契約。2年後のシーズン途中にパドレスへ移籍し、翌年には球団のプロスペクトランキング1位に選ばれるほど期待を寄せられた。
だが同年、トミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)で全休する。1年に及ぶリハビリで復帰するも、2019年、2度目の同手術を受けた。
19歳から21歳にかけた長期離脱は、どれほど辛かったのか。エスピノーザは苦しかった当時を振り返った。
「本当に辛かったよ。当時、自分にはメジャーに昇格するという大きな夢があった。あの頃、サンディエゴ・パドレスのトッププロスペクトだったからね。自分自身に大きな期待を抱いていたし、周囲からの期待も大きかった。コーチ、GM、球団関係者のみんなが、『こんな投手になるはずだ』と夢見るような投手になると思われていたんだ。だから、『なんでこんなことが起こるのか......』と感じたよ。
でも、あの出来事は起こるべくして起こったと思う。あの経験があったから、『このままではダメだ』と気づくことができたんだ。もっと別の努力の仕方が必要だった。もっと規律を持たなければいけなかった。食事も変えなければいけなかったし、トレーニングも、休み方も変えなければいけなかった。
2017年と2019年に経験した苦しい時期と、その後の長い道のりが現在の自分をつくってくれたから、今はすべてに感謝している。もしあの出来事がなかったら、今ここにいなかったかもしれない。今は自分をどうケアし、準備すべきか。その"コツ"がわかっている。でも、当時は本当にきつかったよ。たくさん泣いた。夜、眠れないことが何度もあった。
さらに、こう続けた。
「それでも、自分は本当に恵まれていたと思う。ずっと支えてくれる家族がいた。いい助言をくれる友人たちがいた。そしてパドレスも決して自分を見捨てなかった。アメリカでああいう状況になれば、放出されることもある。それなのに、彼らはずっとそばにいてくれた。
心理カウンセラーのローサにもすごく助けられた。彼女はドミニカ共和国出身で、当時パドレスの心理カウンセラーを務めていた。本当にたくさんのすばらしい人たちが支えてくれた。みんなのおかげで、自分は絶望に飲み込まれずに済んだ。そして今取り組んでいること、これから行なっていくこと、すべてがあの経験につながっていると理解できるようになった」
【進化を遂げた先に訪れた転機】
エスピノーザの通算成績を見ると、2017年から2020年の記録がない。
2016年8月31日を最後に公式戦から遠ざかっていたエスピノーザは1709日後の2021年5月6日、1Aで復帰。最速97マイル(約156.1キロ)を記録した。
長いトンネルを抜けると、ついに目指していた場所に到達した。2021年途中にカブスへ移籍すると、翌年、初のメジャー昇格を果たしたのだ。
メジャーで7試合に登板した2022年のデータを見ると、投球割合の75%がフォーシームで、シンカー(ツーシーム)は2%。現在の投球スタイルとはまるで異なっている。
モデルチェンジのきっかけは2023年、パドレスに復帰したことだった。
「その頃のアメリカでは、ストレートに"縦の伸び"(Vertical Break)が求められた。でも、自分のフォーシームには縦変化がそれほどなかった。それでスプリングトレーニングのブルペンでツーシームの握りに変えてみると、そのほうが縦方向に伸びが出るとわかった。『この球は動くし、コントロールもできる。
もうひとつの武器であるナックルカーブを投げ始めたのは2021年。以前はオーソドックスなカーブを投げていたが、友人のラモン・ペレスに握り方を教えてもらうと、しっくりきた。以降、エスピノーザにとって最も空振りを奪える球種になった。
パドレスの「トッププロスペクト」と期待されたエスピノーザは、紆余曲折しながら現在のスタイルを見つけ出したのだ。
「昔の自分は、ただ才能のある子どもだったと思う。でも経験を重ね、2度のトミー・ジョン手術を経て、まったく違う考え方を身につけた。ほかの投手たちから学び、彼らのいいところを少しずつ取り入れ、それを自分のなかに落とし込んでいった。球種やボールの質だけではなく、肉体や精神、ピッチングの組み立て方を含め、以前とは完全に違う投手になったと思う」
エスピノーザの最大の才能は、日々の経験を財産として積み上げていけることかもしれない。だからこそ、年数を重ねるごとに成長している。
「自分は人生の"学び手"だ。毎朝起きるたびに、『今日は何をもっとよくできるか』『何を練習すれば成長できるか』を考えている。もっと成長したいし、自分の投球に武器を増やしたい。その一環として、今はチェンジアップの習得にも取り組んでいる。野球が大好きだからこそ、毎日少しでも成長したいし、学び続けたい。その思いが自分の活力になっているし、野球への純粋な情熱を失わずにいられる理由だと思う」
16歳でプロ入りし、キャリア10年目を迎えた2024年。エスピノーザは人生の転機を迎える。一度も想像したことがなかった、日本からオファーが届いたのだ。
つづく>>
アンダーソン・エスピノーザ/1998年3月9日生まれ、ベネズエラ出身。2014年にレッドソックスと契約してプロ入り。将来を嘱望されるトッププロスペクトとして注目を集めたが、2度のトミー・ジョン手術を経験。パドレス、カブス傘下などでプレーしたのち、24年にオリックスへ入団した。長身から投げ下ろす力強いストレートと多彩な変化球を武器に先発ローテーションの一角として活躍。来日3年目の2026年にはパ・リーグを代表する先発投手へと成長し、安定した投球でチームを支えている。日本への愛着も強く、第一子に「賢造(けんぞう)」と名づけたことでも話題となった。
つづく>>










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