ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(16) 後編

(中編:ドリー・ファンク・ジュニアの「信じられない動き」長州力・谷津嘉章とのタッグマッチで何が?>>)

 ケンドーコバヤシさんが語る、ドリー・ファンク・ジュニアさんの"不穏試合"の3試合目は、ジャイアント馬場さんもリングに上がったタッグマッチ。そこで起きた異変とは。

【プロレス】ジャイアント馬場がドリー・ファンク・ジュニアを完...の画像はこちら >>

【"グレート・テキサン"のふらつきに胸騒ぎ】

――いよいよ、ドリーさんの不穏試合の最後となる3試合目ですね。

「その試合は、ファンの間でも有名な試合です。全日本プロレス創立24周年記念試合で、ドリーさんがジャイアント馬場さん、田上明さんとトリオを結成して、ジャンボ鶴田さん、三沢光晴さん、秋山準さんと対戦した試合です」

――30年前の1996年10月18日に行なわれた、日本武道館大会ですね。試合は田上さんが鶴田さんをのど輪落としで沈めましたが、どうしてこの一戦が不穏なんですか?

「この試合が、(前編の記事で話した)"書籍で残っている不穏試合"です。何年か前に、いろんな秘話を探る本が相次いで出版された時期がありましたよね。そのなかで誰が証言していたかは定かではないんですが、この試合の真相を明かす内容を僕は読んだんです」

――どんな証言があったんですか?

「その前に、この試合で起きた明らかな異変について触れたいと思います。試合序盤にドリーさんが秋山さんとマッチアップして、ドリーさんがいつもどおりロックアップにいこうとした時、秋山さんも組むとみせかけてドリーさんの顔面にヒジを入れたんです。強烈なエルボーを受けたドリーさんは、怒ることはなく、寂しい顔してヘタヘタとしゃがみ込んでしまった。

 それでも"グレート・テキサン"は、拳を握って立ち上がったんですが......。明らかに足もとがふらついていたんです。ドリーさんがあんなにふらついている姿を見たことがなかったので、テレビを見ていた俺は『あれ?』と妙な胸騒ぎがしました」

【三沢もいきなりのエルボー】

――確かに、ドリーさんが試合中にふらつくシーンは記憶にないですね。

「今となっては、秋山準というプロレスラーがえげつないことをやる男で、『実は鈴木みのるさんより意地悪くて怖いんじゃないか』ということを我々ファンは知っています。秋山さんはそこが魅力でもあるんですけど、当時の秋山さんはデビュー5年目で、頭髪もピシッと刈り上げて前髪を爽やかに上げていたし、タイツもブルーだった時代。爽やかでハツラツとしたイメージしかなかった男が、偉大なるレスラーのドリーさんにえげつないエルボーを突き刺した。

ファンが知らない秋山準がそこにいたんです」

――当時の秋山さんは、冷徹な一面をまったく見せていませんでしたね。

「そうなんです。だから俺は、ドリーさんに寂しそうな顔をさせた秋山さんを見て、『どうしたんや?』と頭のなかにクエスチョンマークがグルグルと渦巻いたんです。しかも、不穏な動きはそれで終わらなかった。

 その直後、タッチして三沢さんが出てきました。三沢さんはドリーさんからプロレスの技術を授かった方だから、『これで試合は落ち着くな』と思っていた矢先、三沢さんもドリーさんの顔面にえげつなく硬いヒジを入れたんですよ」

――三沢さんもドリーさんとのロックアップを拒絶したんですか?

「いや、三沢さんはロックアップして、ドリーさんと腕を奪い合う正統的な攻防も繰り広げたんですが......。その展開のなかでヒジを入れたんです。ホースト・ホフマンに憧れ、『俺は強いって言われるより、うまいねって言われるほうがうれしい』と語っていたあの三沢さんが、ドリーさんの顔面に強烈なエルボーを入れた。それを食らったドリーさんは、また寂しそうな顔になって場外へエスケープしたんです。明らかに異常事態でした」

【ジャイアント馬場は無視】

――プロレスに崇高な美学を持つ三沢さんですから、信じられませんね。

「でも、この試合はそこで終わらないんですよ。そのあと、三沢さんと秋山さんのパートナーで、コーナーで控えていたジャンボ鶴田さんが『この試合はダメだ』と言わんばかりに両手を大きく広げて観衆に訴えたんです。俺の目には、鶴田さんが『この試合は不成立です』とアピールしているように見えた。

そこで、リング上で大変な事態が起きていることをあらためて認識しました」

――鶴田さんにとって、ドリーさんは師匠です。敵とはいえ、追い詰められた師匠を助ける対応をしなかったんですか?

「助けなかったんです。師匠のドリーさんがあれほど悲しげな表情をしているのに、我関せず。それどころか、一番の不穏なシーンはこのあとに起きるんです」

――まだ、あるんですか? 不穏の連鎖ですね。

「ドリーさんと馬場さんがふたりで連携して、相手選手をロープに振るシーンがありました。『あぁ、ダブルの水平チョップを浴びせるんやな』と思ったら、馬場さんがいきなり前に出て、ひとりで水平チョップを決めちゃったんです」

――馬場さんとドリーさんは、テリーが一時引退した直後にタッグを組んでいた名コンビだったはずですが......。

「それなのに、馬場さんはドリーさんを完全に無視した。リング上で、ドリーさんへのいじめが行なわれているような修羅場と化しました。ふたりでロープに振った意味もわからないし、そんな馬場さんを見たこともなかった。俺はますます、『何が起こってるんや......』と混乱しました。

 ずっとモヤモヤを抱えていたんですが、冒頭でも話しましたけど、この不穏試合の背景が語られている書籍があって。あくまでも証言の内容であって、真実ではないかもしれません。

その点は読者のみなさんもご了承いただきたいと思います。

 その方の証言だったかも覚えていませんが、どうやらドリーさんが再婚した奥さんがすごい方だったらしいんです。全日本プロレスの掟を破り、馬場さんと奥さんの元子さんを激怒させたらしいんです」

【馬場夫婦が怒った理由】

――何をして馬場夫婦を怒らせたんですか?

「当時の全日本プロレスは、馬場夫妻が仕切る『株式会社ジャイアントサービス』という会社が会場などで売るグッズをすべて管理していたんですけど......。あろうことか、ドリーさんの奥さんが勝手に、ドリーさんのTシャツを会場で売っていたらしいんです。

 当時の全日本は会場に入ると、グッズ売り場で馬場さんが葉巻をくわえながら鎮座されていて、グッズを買うとサインしてくれるサービスをやっていました。その売り場の横に、ドリーさんの奥さんが夫のTシャツを売るコーナーを勝手に設営して、奥さん自らが売っていたらしくて。馬場さんはスタッフに『これ、ウチの新商品か?』と聞いたんでしょう。それで『知りません』となって、元子さんが激怒したと」

――元子さんを怒らせたらいけませんね。

「元子さんは、馬場さんに『ドリーに注意してください』とお願いして、ドリーさんを問い詰めたそうです。そうしたらドリーさんが、『じゃあ、こっちからも言わせてくれ。なんで俺のギャラが上がらないんだ』と要求した。リング上では正統なレスリングを貫いたドリーさんが、めちゃめちゃシュートな部分を発揮したんです。

 俺はその証言を読んだ時、ドリーさんにそんな"テキサス魂"が潜んでいたのかと驚きました。この無断Tシャツ販売事件に端を発し、ギャラアップの要求もあって、あの不穏試合につながったということなんです」

――証言が真実かどうかはわかりませんが、すごい話ですね。

「実際に、ドリーさんはそこから全日本と疎遠になりました。ただ、のちに『PWF』の第4代会長にも就任しましたし、お亡くなりになった時には全日本の会場で追悼の10カウントゴングが捧げられました。我々が知らないところで複雑な人間関係があったとは思うんですが、全日本とドリーさんの絆が戻ってよかったです」

――そうですね。それにしても、ドリーさんにまつわる不穏試合はすべて深いお話でした。

「今気になるのは、やはり(前編で話した)ディンクくんです。俺が見落としているのかもしれませんが、ドリーさんが亡くなった時もディンクくんのコメントや情報は入ってこなかった。リングでブロディに襲撃されてから45年、俺の心のなかには『いったい、ディンクくんとは誰だったのか?』とポッカリと穴が開いたまま。ディンクくんは、我々が見たリングの妖精だったのか。その超常的な存在と闘える能力を、ブロディだけが持っていたのか。考えれば考えるほどわからなくなるんです。

 数年前に、フリッツ・フォン・エリックの一家を描いた映画『アイアンクロー』が公開されましたが、ファンク一家の謎に迫る映画もぜひ製作してほしいんです。映画のタイトルは『ファンクス』。シニアからドリーさんとテリー、そしてディンクくんへつながる道を作品として残してもらいたい。そこで、愛弟子である若き日のスタン・ハンセン、鶴田さんとの秘話も描けると思うんです。映画『ファンクス』、絶対にやるべきです」

――それはすばらしい構想ですね。

「あとは、馬場夫妻を激怒させたというドリーさんのTシャツも気になりますね。あらゆるプロレスTシャツを収集している俺としては、そのTシャツが欲しいんです。オークションサイトなどで常にチェックしているんですが、出品されなくて......。

 果たして、勝手に売られていたドリーさんのTシャツはどんなデザインだったのか。なんとしても幻のTシャツを発掘して、偉大なるグレート・テキサン、ドリーさんを後世に語り継いでいきたいです。あらためましてドリーさん、数々の素晴らしい試合をありがとうございました」

【プロフィール】

ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。

1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

松岡健治●取材・文 text by Kenji Matsuoka

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