この記事をまとめると
■トヨタとスバルの共同開発で誕生したスポーツカーが86&BRZ■発売から10年以上が経過して2代目も登場
■この2車が「成功したのか」というテーマを考えてみた
正常進化の2代目が誕生したことは「成功」の一端
初代モデルの誕生は2012年、2021年には2代目となる現行型へとフルモデルチェンジを果たしたトヨタ86(GR86)&スバルBRZ。いまや日本を代表するスポーツカーとしてクルマ好きであれば誰もが知るモデルとなっている。
価格面でも扱いやすさでも、ハードルの低いスポーツカーとしての評価は高く、カスタマイズメニューも数え切れないほど存在する。
スバル由来の水平対向エンジンをフロントに積むことで実現した低いノーズのクーペボディ、コントロール性を重視して選ばれたFRという駆動方式、操る楽しみを実感できる6速MTの設定といった基本思想も高く評価されているといえる。
はたして、86&BRZは「成功したスポーツカー」といえるのだろうか。
考察の前提として、スポーツカーとしての「成功」を定義するのは難しいといえる。
仮に、その目的がモータースポーツで勝つためのベース車両というのであれば、販売台数が少なくともレースで勝利している限りにおいて成功していると判断して差し支えないだろう。

同様に、限られたユーザーに売れればいい超高級スポーツカーもたくさん売れればビジネスとして成功しているとはいえない。

一方、86&BRZのようなアフォーダブル(手ごろな)価格のスポーツカーにおいては、それなりに売れることがビジネスとしての成功を判断する基準となる。ただし、スポーツカーが軽スーパーハイトワゴンやミニバンのような売れ行きを示すとは、スポーツカーファンもメーカー自身も考えていないだろう。

トヨタとスバルの共同開発という複雑な出自を持つ86&BRZがフルモデルチェンジを果たしたということは、両社のコラボレーションを継続するに値するだけのビジネスとして成功していると理解することができる。
そして、86&BRZが正常進化のフルモデルチェンジを果たしたことで、デビュー当初に語られることが多かった目的も果たしていると感じられる。
「スポーツカーは、カルチャーです」というのは86デビュー当時のキャッチコピーとして知られる一文だが、新車が売れればそれでスポーツカー文化が発展するわけではない。
コルベットや911のように「あって当たり前」になることが重要
86というネーミングの元になったのは、トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノの「AE86」という車両型式であることは言うまでもないことだが、AE86がいまでも愛されるモデルであり続けているのは、中古車になっても愛され続けたことだ。

いまやAE86の中古車は希少価値から価格が高騰しているが、初代86&BRZの中古車相場は十分にリーズナブルなものとなっている。初代86のデビュー時に「若者向けスポーツカーというのは期待したほど安くない」という批判もあったが、作り手からは「新車は中高年が購入、若者が手に入れやすくなるのは中古車になってからというのが裏テーマです」といった話もあった。
自動車メーカーの立場としては新車を売ってナンボではあるが、中古車で買いやすくなることがスポーツカー文化を育てるという認識があったのだ。実際、中古車マーケットで86&BRZが手に入れやすくなっているわけで、その意味では86&BRZは手ごろなスポーツカーとして成功したといえる。

もし、86&BRZが一代で終わっていたら中古車相場が高止まりしていたことは確実で、前段で記したようにビジネスとして成立させることができ、フルモデルチェンジを果たしたことが初代の中古車相場を落ち着かせている面もあろう。
しかしながら、2代目へと進化して初代の中古車が買いやすくなっているというだけで86&BRZが成功したスポーツカーと言い切ってしまうには、まだ気が早いかもしれない。
過去の例が示すように、スポーツカーにとって難しいのは継続することだ。
国産スポーツカーとして最長寿モデルといえるマツダ・ロードスターの歴史は4世代・34年である。

世界に目を向ければ、ポルシェ911は60周年を迎えているし、シボレー・コルベットは70周年となっている。

こうしたスポーツカーの先達と比べると、2世代を数えるだけの86&BRZは、まだまだひよっこだ。
世界的な電動化トレンドによってエンジンを積んだスポーツカーが、今後ずっと生き残っていくのは難しいかもしれない。そうした変革のなかで、パワートレインを電動化してでもスポーツカーとして進化を続け、トヨタとスバルのラインアップにおいて86とBRZが「あって当たり前」の名前になってこそ、スポーツカーとして真の成功といえるのではないだろうか。