「筋肉は苦手」だったテレ朝・三谷紬アナがプロレス担当に抜擢されて…新人研修の“黒歴史”から一転、「プロレスの父」棚橋弘至との出会い
「筋肉は苦手」だったテレ朝・三谷紬アナがプロレス担当に抜擢されて…新人研修の“黒歴史”から一転、「プロレスの父」棚橋弘至との出会い

番組を担当するサッカー、競馬に限らずあらゆるスポーツに精通しているテレビ朝日アナウンサーの三谷紬さん。ただ入社当初、「筋肉とプロレスだけは苦手」だったという。

そんな彼女が何故プロレス番組の担当に抜擢されたのか。新人研修で実況することができず、黒歴史となった彼女に託された番組の意外な狙いとは。

筋肉は苦手だけどプロレスは好き

筋肉に苦手意識があるけれど、プロレスは大好き。矛盾していますよね…。でも、これにはしっかりとした理由があるんです。

はじめてプロレスに触れたのは入社1年目の新人研修。それまでプロレスを観たことはほとんどありませんでした。

同期3人で会議室にこもり、毎日鍛えられていた当時、ある日のテーマが実況研修でした。

「今日はこの映像を見たまま実況してもらいます」(先輩)

そう言ってTVに映し出されたのが、プロレスでした。

「ルールも人も何もわからなくていいから、とにかく見たままを喋って!」(先輩)

え、なにこれ、怖い。強そうな男性が壮絶な殴り合いや投げ合いをしている…

私の頭の中は混乱していましたが、同期は食らいつくように映像を見たまま実況していました。私も喋らないと!

「強そうな男が2人、殴り合っています……」

これ以上言葉が出てきません。それどころか、この映像をずっと見ていられないとさえ感じました。

結局まともに話せずに2時間の研修が終了。最後に先輩から告げられた言葉を、今も鮮明に覚えています。

「三谷はプロレスは苦手だね。無理しなくていいからね」(先輩)

なんでも頑張る気概で入社した私でしたが、早々にNGが判明してしまいました。

NGなんて偉そうな言い方ができる立場ではないことは重々承知の上で、ここでは敢えてこう言わせてください…。

プロレスが怖くて見られない

仕事としておそらく唯一、関わることができない分野が発覚した瞬間でした。それからはもちろん、プロレスとは無縁の会社員人生を歩んでいました。

ところが5年前のこと。

テレビ局は4月と10月に大きな改編があり、担当番組が変わることも多々あります。そのためアナウンス部内は、なんとなく1ヶ月前くらいからソワソワした空気感が漂うもの。そんな5年前の9月頃、アナウンス部長に会議室へ呼び出されました。

私も改編で何かあるんだなとドキドキしながら会議室に向かいました。

扉を開けるとそこには、アナウンス部長ともう一人。

「早速ですが、三谷さんには10月からプロレス番組を担当してもらおうと思っています」(アナウンス部長)

(予想外すぎる。金輪際プロレスとは関わらないと思っていたのに…)

「…え? 私プロレス苦手なんですけれど、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。もちろんそれも知ってます」(アナウンス部長)

するともう一人(後にプロレス班のプロデューサーだったことがわかりました)が、熱を込めて語り始めました。

「むしろ、それがいいと思っているんです。三谷さんのようにプロレスが“怖い”、“苦手”だと思っている人が世の中にはたくさんいるはず。三谷さんがだんだんプロレスを好きになっていく姿を通して、ファンを増やしていく番組にしたいんです」(プロデューサー)

これまで担当してきたのは、ありがたいことに自分の好きなスポーツばかり。ネガティブな印象を持っているスポーツを担当したことは、もちろんありませんでした。

「でも私、本当にルールもわからないですし、選手やファンの皆さんに失礼になるかもしれないですけど、本当に大丈夫なんですか?」

炎上や、バッシングもある世の中です。不安を口にする私に、プロデューサーは笑顔で答えました。

「大丈夫です。番組のスタッフは全員プロレスファンです。わからないことがあればなんでも聞いてください! プロレスを楽しく学んでいきましょう!」(プロデューサー)

「わかりました、頑張ってみます…!」

「とりあえず初回の収録は何も勉強してこなくて大丈夫です」(プロデューサー)

(ほぇ~~、本当に大丈夫か…)

こうして何も知らないまま、私のプロレス担当生活が始まりを告げました。

プロレスの父、棚橋弘至さん

番組開始時はコロナ禍で、プロレスは無観客で行われていたため、選手と直接スタジオ収録をすることが難しい状況。

つまり初回収録は画面越しです。

企画は、選手の人となりを知るためのクイズでした。

それはもうドキドキで、飛び交う用語も何もわからないまま選手の顔と名前を必死に一致させる。正直、ほとんど記憶にありません。

ただ唯一、記憶に残っていることがあります。“こんな私にも、選手のみなさんが親身になってくださった”ということ。

プロレスのことは何もわからないし筋肉は苦手だったけど、プロレスラーは怖くないかもしれない…! そう感じた瞬間でした。

収録を重ねていくうちに、少しずつ選手一人一人のキャラクターを知りました。そうしていくうちに、不思議なことが起こり始めたんです。

苦手だったはずの筋肉が目に入らなくなり、代わりに“この人たちを応援したい”という気持ちが湧き上がってきました。

気づけば、プロレスに対する恐怖心は跡形もなく消えていました。

こうなるまでに一番お世話になったのは、間違いなく棚橋弘至さん。棚橋さんは私にとって“プロレスの父”のような存在です。

何も知らない私と同じ目線に立ってくださり、各選手の人柄はもちろんのこと、プロレス観戦の楽しみ方、技の成り立ちなど、幅広く学ばせていただきました。

棚橋さんがいらっしゃらなかったら、きっと今の私はない。心からそう思います。

そんな棚橋さんが、今年1月4日に引退されました。

正直、現役選手でなくなる日が来ることを想定できていませんでした。

引退を発表されてからは、プロレスファンの方にはご存知のとおり、東京ドーム大会が満員札止めになったり対戦相手がオカダ・カズチカ選手に決まったり。その中で段々と現実であるという現実を受け止めていきました。

ついに迎えた当日、私は控え室リポートの仕事を担当しました。いちファンでもある私は、正直かなりどんよりした気持ちで会場へ。

すでに棚橋さんはいらっしゃって、「三谷ちゃん!おはよう! 今日はよろしくね」と、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれました。

ああ、悲しんでいる場合ではない。

ハッとさせられた瞬間でした。

プロレスについて取材をしていただくと、「棚橋さんのこぼれ話って何かありますか?」と必ず聞かれるのですが、本当に、どの瞬間を切り取っても皆さんが知っている棚橋さんそのもので。

どれだけ切っても変わらない、金太郎飴みたいな人なんです。

その変わらない安定感と可愛らしさが、人気の秘訣なんだと思います。引退を迎えたその日も棚橋さんはいつも通り。試合直前の控え室でも、いつも通り。尊敬の念がさらに強くなりました。

引退試合は、番組開始時からずっとお世話になっている番組スタッフのみんなと、わんわん泣きながら見届けました。

棚橋さんには、感謝の気持ちしかありません。

今更ですが、本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。

私は、苦手な筋肉やプロレスへの恐怖心を凌駕する、選手一人一人の人柄に魅了されて『プロレスが大好き』になりました。

番組を見て私のような人が一人でも増えていたらいいな、と思います。

これから先も棚橋社長への恩返しの気持ちで、微力ながらプロレスを盛り上げていきます。

文/三谷紬

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