劉詩昆容疑者は、夫妻で運営する音楽学校のピアノ芸術センターで、コンサートを控えたソプラノ歌手のレッスンをしていたという。
ピアノ芸術センターの経営は、北京にも分校を開くなど順調で、劉容疑者は、離婚協議とは関係なくふたりが運営を続ける意向だったとされる。財務は妻の盖さんが掌握していたという。劉容疑者は「離婚は金銭問題や“第三者の存在”が原因ではない」と説明していた。
劉詩昆は1939年、天津で生まれた。1959年にはソ連(現ロシア)で行われたチャイコフスキーコンクールで2位に入賞(1位はバン・クライバーン)。同世代で55年のショパンコンクールで3位に入賞した傅聰(フー・ツォン)とともに、成立まもない中華人民共和国に、国際的レベルに達したピアニストが誕生したと期待された。
劉詩昆はモスクワ音楽院に留学した後、1962年に帰国。演奏活動のかたわら、中央音楽学院の教授を務めたが、文化大革命期に「造反」した教え子に暴行され、手や指を骨折した。その後、約5年にわたり監禁され、離婚を強要された。
一方、フー・ツォンは1960年から活動の中心をロンドンに移し、文化大革命中に父母が迫害死したため帰国をあきらめた。そのため、新中国第一世代のピアニストとして、国際的キャリアはフー・ツォンの方が充実している。しかし、劉詩昆も指揮者の小沢征爾と共演するなど、多くの実績を積み重ねた。
劉詩昆は1982年、「生活上の乱れ」を理由に、北京市内で警察の取り調べを受けた。その後、活躍の中心を香港に移した。
写真は2005年に米ニューヨークのリンカーン・センターで開催されたコンサートに出演した劉詩昆。(編集担当:如月隼人)
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