今は「ゾンビ萌え」の時代になりました!
とか言ったらゾンビのえらい人たちに殴られそうなので言いませんが、ゾンビに対する見方はずいぶん広がりましたよ。
ゾンビとは「自らの意思を持たない死体(または死んでいるかのような状態)」というのが定説だったのに、今のマンガ・ラノベ文化では「ゾンビ=死んでるけど動いてる」というポイントだけうまく抽出して、元気に走り回る明るく楽しいゾンビさんが増えました。

いやいや、自分の意思がはっきり残っていて、死んでいる=死なないってんなら、ゾンビ生活の方が楽しいんじゃないの?って思っちゃいますよ。実に都合がいい。まあ腐敗臭とか顔色とか肉食とか、不便は残りますが。
この考えからゾンビ生活って実は明るく楽しいんじゃね?っていうのを前面に押し出しながらキュートに描いたのが、さと作『りびんぐでっど!』
タイトルの通り、ゾンビの女の子が主人公のマンガです。サブタイトルも毎回「○○オブ・ザ・デッド」。いいね。


表紙が一番端的にこの作品を物語ってます。首がもげるというのはホラー的な出来事ですが、どっかで見たことありませんか?
そうです、『Dr.スランプ』ですよ。あるいは『究極超人あ~る』
首がもげる、腕がもげる、体が真っ二つになる。リアルにみたら気絶しそうな出来事ですが、あちらはロボットだから大丈夫。死なない、治ります。

こちらはゾンビだから死にません。っていうか死んでます。治ります。木工用ボンドで。
ね、ゾンビ便利でしょう?
そんなスラップスティック・コメディ。まあゾンビは頭を割ったら動けなくなる、みたいな考え方もありますが、そのへんもアバウト。
頭真っ二つになってもこの作品のヒロイン灰田もなこは復活します。
便利だね!

重要なポイントとして、ヒロインのもなこが全然ゾンビになったことを気にしていないのがいいんですよ。
ゾンビ物の最大のテーマの一つは、死ぬことに対しての人間の根源的な恐怖です。死んだ後も動き続けるという地獄です。
しかしもなこは一言で片付けます。
「気にすんなよ」
あ、はい。

生前バカみたいに明るかったので、死んだことに対する苦悩とか悲しみとか一切ないんですね。
まあカラスに食べられそうになったり(死体だから)、肉をあさって突然凶暴化したり(ゾンビだから)と不便な生活であることは間違いないのですが、それ以上にゾンビ生活楽しんでます。
だよなあ。意識残ってるんなら、ここから先車に跳ねられても死なないなんて楽しすぎるもんなあ。ポジティブシンキング。

なんでもなこがゾンビになったのかはいまいちはっきりしていませんが、とりあえずいい居場所ということで主人公の青山くんの家に転がり込むことになります。

青山くんは生前もなこが好きで、お葬式の時に彼女の棺にラブレターを入れたのです。でもゾンビになっちゃった。ゾンビになったら……読んじゃうよね。これを脅迫状にしつつ、青山くんとゾンビもなこの明るく楽しいお馬鹿生活がはじまります。
もうはっきり言って、重たい展開ゼロ。皆無。

腕がもげたら「あちゃー」。
ドアに挟まれて縦に半分になっても「あちゃー」。
腸がどろっとはみだしたら「あちゃー」。
マッドサイエンティストの青年にバラバラに刻まれて「えらいこっちゃ」と言われたら、バラバラなまま「マジで!?」。
おい、もなこ。
いくらゾンビでも軽すぎだろう、お前の人生観。
あ、違う。死んでるのか。ゾンビ生観。
……うーん、ま、むしろ死なないんならその分楽しんだほうがお得だからいいのか……いいのか?

女の子の萌えキャラ属性として「ロボット」というのは大分昔から定着していましたが、これからゾンビ、来るかもしれないですね。
確かに理性を失った『ステーシー』のような人形的なゾンビ少女も、フランケンシュタインの怪物のように苦悩するゾンビもいいんですが、この「りびんぐでっど!」みたいに明るく楽しくゾンビライフを送る子、魅力的ですよ。
ようは、「死」という一つのエンディングが既にないので、見ていて気楽なんですよ。破壊されてもすぐ元に戻るっていう気楽さもイイ。
そういう意味ではこれからアニメ化される『さんかれあ』も面白いのですが、あちらよりも恋愛観や背徳感もなく、ふんわりとライト。
21世紀版の「アラレちゃん」としてさらっとゾンビを愛でましょう。
さりげなくバール(「ハーフライフ」)やクリケットバット(「ショーン・オブ・ザ・デッド」)、アラン・スミシー(架空の映画監督)など映画・ゲームネタが入っているのも好感度高し。
あ、ゾンビだから当然内臓のグロ描写はありますので、その点だけご注意を。
なんて言わなくてもわかりますよね。ゾンビだし。
「ゾンビだし」って便利な言葉だなあ。

にしても、もなこって……ぱんつはいてないよね。
まあぱんつどころか内臓の中の中まで見えてしまっているわけですが。
うん。「気にすんなよ」
(たまごまご)