ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回は石原慎太郎の著書『天才』を題材に語り合います。


「石原慎太郎が一人称文体で描いた奇書」


石原慎太郎が田中角栄の霊言を語る『天才』に込めた想いを読み解く

飯田 石原慎太郎『天才』は田中角栄の一生を、その金権政治を批判した政敵であった石原慎太郎が一人称文体で描いた奇書。大川隆法ばりの霊言スタイルだと評判になってます。
 ……だけど、前情報をなしに読むと「ふーん?」で終わる小説だと思う。これっておもしろいの? と。ただ、石原慎太郎のたどってきた歴史を知っておくとおもしろく読める。

藤田 ……これ、ヘンな作品ですよねぇ? 帯には「衝撃の霊言!」って書いてあって、ついにそっちの業界に参入したのか!? って思った。奥付を見たら「すべては筆者によるフィクションであることをお断りしておきます」って書いてあった。
どういうジャンルなのかが、すごくわからない。
 文体は、淡々と、あったことを「~た」「~だった」みたいに並べている、小学生の作文みたいなんだけど、時々熱が入る。田中角栄の言葉を借りて、慎太郎自身の政治家として言いたかったであろう箇所が、少し滲みでているのかなと、感じなくもない。

飯田 「評伝」でもないし。

藤田 これは個人的に思っていることなのですが、石原慎太郎さんって、政治家としての側面――特に失言――が取り上げられて、作品がまともに読まれていないじゃないですか。

飯田 とはいえ文学的な価値という意味でいえば、最近では中森明夫×樋口穀宏『「政治家・石原慎太郎」を大嫌いな人のための「作家・石原慎太郎」入門』や栗原裕一郎・豊崎由美『石原慎太郎を読んでみた』などで再評価されている。
ジャズ評論家のマイク・モラスキーが『戦後日本のジャズ文化』で慎太郎の短編「ファンキー・ジャンプ」をビバップ小説の傑作だと言ったり(もともと三島由紀夫に激賞されていた作品ではあるけれど)。

藤田 栗原・豊崎両氏が、石原慎太郎論の本を刊行されたとき、石原さんから呼ばれて断ったらしいとTwitterで見ましたが、案外、純粋に話したかったのかもしれませんね。最近、小説も積極的に書かれているみたいだし。帰ってくる場所は文学なのか、的な感慨があります。
 ぼくがこの本で一番感動したのは、実はあとがきで、早稲田大学の森元考さんが『石原慎太郎の社会現象学』という本を刊行して会って話したエピソードで――彼の勧めで本作が書かれたらしいのですが、「政治家であったがために不当に埋没させられてきた私の文学の救済となる労作をものしてくれた」っていう言い方をしているところですね。

飯田 石原慎太郎って自分を本気で論じてくれる批評家は大事にしてきた作家だと思う。
文芸評論家の福田和也が『作家の値打ち』で慎太郎の『わが人生の時の時』を大絶賛したら福田和也の本を引用するようになったり、友人であり、福田和也の師匠筋にあたる江藤淳からは政治方面の思想でも影響を受けている(よくもわるくも!)。
 というか、肉体と肉体、知性と知性をぶつけ合って相剋するみたいなのが根本的に好きな人でしょう。『NOと言える日本』をはじめ、アメリカ批判をしまくっているけど、アメリカ人で反論してきたひとと仲良くなったりしているし。そもそも『天才』の題材である田中角栄との関係がそう。

藤田 『作家の値打ち』における石原慎太郎の作品の異常な高評価には、ちょっと異論があるw
 アメリカ批判の部分は、江藤淳の思想に近いですね。旧制湘南中学高校で江藤淳のひとつ上に石原さんがいて、交友は長く続いたはず。


飯田 石原慎太郎が興味深いのは、大江健三郎は政治家としての石原慎太郎は批判しているけど、文学関係のパーティで会えば旧友として話はする関係らしい、ということ。かつては石原慎太郎も含めて同世代の文人として仲間と呼べる関係であった江藤淳と大江健三郎が政治思想の考えによって決裂したあとには、何回もふたりの仲を取り持とうとしたみたいだし。ここの、政治では認めないが文学では認めるという大江―石原の関係と、政治でも文学でも認めない仲になってしまったらしい大江―江藤の関係はいったい何が違ったのか。

藤田 小谷野敦さんの『江藤淳と大江健三郎』という本で、二人の関係が掘り下げられていましたね。なかなか面白いドラマが書いてある力作評伝なので、読んでみてください。
 大江健三郎は、江藤とは違い、敗戦によるアメリカの占領やその後の民主主義や文化の変化を、ポジティヴにとらえている。

 江藤淳の『閉された言論空間』などに顕著だけど、アメリカがとにかく悪い、日本の文化的な情緒が破壊されるという意識が江藤淳にはある。
問題となるのは、江藤が提示した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」、通称「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」です。これが実在したのか、していないのかについて、未だに議論が続いている。これが重要なのは、日本が精神的に独立するためには、この「洗脳」を解いて、「戦争」についての「正しい」歴史観を得なければいけない、という理由からですね。
 話を『天才』に戻しますが、角栄はアメリカにハメられて、自由にはなれなかったという話ですよね。日本は真の独立国にならなければいけないみたいな政治思想が語られている。


飯田 『天才』は石原慎太郎が「自分もかつてはアメリカに洗脳されていた」と言っている本。贖罪でもあるんでしょう。
 石原慎太郎はレイモン・アロンを敬服しているけれども、アロンはサルトルと一時期は盟友で、その後、絶交し、政治的にもアロンは保守派、サルトルは左翼と道を違えた。これは石原慎太郎・江藤淳陣営と大江健三郎に比してよい関係だと思う。

藤田 石原慎太郎が江藤と似ているのは、最終的に女に甘えるところw これが、弱点でもあり、魅力なんじゃないでしょうか。「院内」という、議会のやりとりにうんざりする短編があるんですが、そこから抜け出て、少女にロマンチックな思慕が発生していくようになる。『天才』でも、「三番クン」との淡い恋心とか、純な感情みたいなものに、何度も舞い戻る。そこが面白いところですよね。

石原慎太郎が政治家になったわけ


藤田 石原慎太郎が戦後の文学史・文化史においては、無視できない存在であるのは間違いないし、国会議員や都知事を経験した人が「小説」を書くというのは、作家の存在として貴重ですよ。「政治」の生々しさを書けるわけですから。

飯田 ただ、慎太郎の長いキャリアのなかでは比較的近著と言える2008年刊行の『オンリー・イエスタディ』ですら「私はよく、「折角政治に身を投じ泥水をすすり、余人の覗けぬ世界を眺め貴重な体験をしているのだからなぜ本格的な政治小説を書かないのですか」といわれるが、そのつもりは全くない。 /確かに政治は私にさまざまな体験を与えてくれたし、ただの物書きでいるよりもはるかに多くの物事の芯についても教えてくれ私の想像力を刺激しているが、といって政治そのものは私の文学の主題では決してない」と言っていた。それを前言撤回して(?)書いた政治小説が『天才』。

藤田 芥川賞が現在のようなメディアイベントになったのには石原慎太郎のスター性が重要だったらしいですし、大江健三郎らとともに「怒れる若者たち」という文学グループにいたり、大江健三郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司、開高健らと「若い若者の会」にいたわけですよね。
『太陽の季節』の映画版は、センセーショナルな反発を生み出し、映倫の元になる団体を生み出したりしたし。弟の石原裕次郎のスター化を行い、「太陽族映画」などでメディアミックスもした、不思議な作家だと思っています。「若い日本の会」は、後の思想や作品から見ると、同じグループとは思えない。

飯田 「若い日本の会」でまともに安保条約の文面を読んでいたのは江藤淳だけだっただろう、と石原慎太郎は書いている。で、石原・江藤・曾野綾子は「どう考えても批判勢力よりも自民党が言ってることがいちばんまともだ」と考えて、のちに抜けるわけだけれども。

藤田 今は言っていることが一番まともじゃない感じで批判されちゃうようになっちゃってますがw

飯田 曾野綾子も「南アフリカのアパルトヘイトはよかったんだ」みたいなこと言って炎上してたし。

藤田 それはともかく、石原さんの「保守」観にいつも矛盾を感じるのは、自分がデビューした頃の作品って、明らかに、古い日本的な風俗を振り捨てているところが魅力なんですよ。ボクシングとか、対等に張り合ってくる女性とか、ヨット遊びとか。「日本的」じゃない。……まぁ、そういう若者が最後に罰が当たるんだけど、全体としては、「日本的なもの」を振り切った明るさこそが作品の魅力だったはず。特に、映画の方では。
 映画は作家の責任じゃないのかもしれないけど、映画と文学と身体(弟)を横断することで成功したのだから、そこは無関係とも言えまい。

飯田 保守というかリアリストという自負のようですが。あと、ある種の(ねじくれた)反米であって、べつに和の心を愛しているひとではないからね。むしろ毛沢東の『矛盾論』に影響を受けている。関係というものは、衝突して摩擦を起こすもので、その矛盾の力を使って止揚しないといけない。だから過激な発言をする。
 芥川賞の選考委員として自分を追い落とすような才能を感じたことは一度もない、みたいな発言をして一部でひんしゅくを買ったけど、あれは本気で自分を斬りに来る作家がいないことへの不満なんだと思う。(スポーツのように)本気で言葉で殴り合う関係を求めている人なんですよ、きっと。

藤田 とにかく戦っていないと、生きている感じがしない、という人物は、作品の中では良く出てきますよね。『太陽の季節』の主人公もそうだった。初期作は、世間では相当叩かれたみたいなので、彼の文学と政治的発言には、「叩かれる状況」として何某かの繋がりがあるはずだと思っています。……それだと単なる炎上好き、炎上中毒、という話になりそうだけれどw 破らなければならない「タブー」があり、それを壊して「正しいこと」を言っているという意識において、発言を正当化しているのだろうけれど。

飯田 より濃いコンフリクトに身を置きたい、激しく炎上したい(?)という情念が、政治という道を選ばせたのかもしれない。本人いわく、政治の道に入った理由は、ベトナム戦争に読売新聞の依頼で取材に行って帰ってきたら急性肝炎でぶっ倒れて半年臥せり、でも小説の〆切がたくさんあって書かなきゃいけない、そんなときに「俺はこんなんで終わる男じゃない」みたいなことを思い、かつまた三島由紀夫から、こんな機会なのだから天下国家のことを考えるといい、的なことを手紙でもらったのがきっかけ。「表現の手段」として政治を選んだ、という言い方をしている。
 彼はサルトルたち実存主義者の影響も受けていたから、議員になることはすなわち状況に参画すること、アンガジュマン、政治参加の手段であったのだと思う。
 あと伊藤整に「俳優でもなんでもやったらいい。失敗しても文士は全部作品の肥やしになる」みたいなことを言われているんだよね。それもあるかもしれない。