これは“近代版・宮本武蔵”なのではないか。
TBSの日曜劇場「天皇の料理番」の第1話(4月26日放送)を見て、私がまず思ったのはそれだった。


ドラマは、明治37(1904)年の正月を迎えた福井県武生(たけふ)の光景から始まった。人々が新年を祝うなか、僧侶たちが戸板にむしろをかぶせた遺体らしきものを乗せて運んでいく。やがて戸板はその土地の旧家にまで届けられ、家の者たちが何事かと出てくる。確認したところ、戸板に乗っていたのは遺体ではなかった。その家……秋山家の次男坊・篤蔵(佐藤健)が、修業先の寺で正月とばかり酒をしこたま飲み、すっかり酔いつぶれて運ばれてきたのだ。僧侶らは、酔ったあげく狼藉を働いた篤蔵を破門にしたと告げて帰っていく。
じつはそれ以前から、篤蔵は寺で悪さばかりしており、僧侶たちもすっかり手を焼いていたのだった。

激怒した父・秋山周蔵は、篤蔵を庭木の枝に縄で吊るし上げる。このシーンがまさに宮本武蔵そのものだ。これまで映画やドラマなどで繰り返し描かれてきたように、若き日の武蔵は乱暴狼藉の限りを尽くしたあげく沢庵和尚に捕まり、杉の梢に吊るし上げられて数日間放置される。もっとも、これは史実というよりは、昭和の国民的作家・吉川英治が小説『宮本武蔵』で描いたことで世に広まったエピソードだ。吉川描く武蔵は沢庵に反省の弁を述べ許しを請うのだが、篤蔵はこんなことでは懲りない。


もともと篤蔵は、いったん何かに憧れるとじっとはしていられない性分だった。寺に入る前にも、軍人や相場師などさまざまな職業に憧れては、親の止めるのも聞かず家を飛び出し、そのくせ行った先で気に入らないことがあるとすぐに戻って来てしまう。そんな篤蔵を、父や地元の者は、バカな子を意味する「のくてぇ子」という土地の言葉から「のく蔵」と呼んだ。ちなみにこの呼び名は、原作である杉森久英の小説『天皇の料理番』にも、主人公のモデルである秋山徳蔵の著書にも出てこないから、おそらくドラマのオリジナルだと思われる。

その「のく蔵」がいかにして「天皇の料理番・秋山篤蔵」となっていくのか。それこそがこのドラマのキモというわけだが、これまた、武蔵(たけぞう)と呼ばれていた乱暴者が、剣豪・宮本武蔵(むさし)となっていく過程を描いた小説『宮本武蔵』と重ね合わせてしまう。


『宮本武蔵』との類似を感じたのはもう一つ、篤蔵の妻となる高浜俊子(黒木華)の存在があげられる。吉川英治の小説では、木に吊るされた武蔵をお通という女が助け、一緒に逃亡する。そのお通と俊子がどこか似ているような気がしたのだ。

俊子の家は福井県鯖江の昆布商だ。篤蔵の父は息子を真人間にする最後の手段として、俊子の家に婿養子に出した。養子先でしばらくはうまくやっていた篤蔵だが、店の使いで行った地元の陸軍の連隊で、またあの性分がうずき出す。
連隊で田辺(伊藤英明)という軍人がカツレツをつくっているところに遭遇した篤蔵は、すっかり西洋料理に魅せられてしまったのだ。以来、毎日のように連隊に通っては田辺から料理の手ほどきを受けるうち、東京で本格的に料理を学ぼうと志すようになる。

そんな夫を俊子は温かく見守る。篤蔵が黙って東京に出て行ってしまったあとも、婿の両親に離縁だと激怒する父親に対し、もうしばらく待ってみましょうとなだめるのだった。これほどまでに夫を立てる妻というのは、いまどき時代劇にもあまり出てこないのではないか。同じ日曜劇場では一昨年の「半沢直樹」で、主人公・半沢の妻が原作小説とは違い専業主婦に変更されていたことが少し議論になったが、今回の俊子が女性視聴者にどう受け入れられるのか、ちょっと気になるところではある。


それはそうと、俊子はお通のように篤蔵と一緒に出奔こそしないとはいえ、男の行動を結果的に助ける点では共通する。ついでにいえば、先に島影真奈美さんの記事で紹介されていたとおり、俊子は原作小説にも出てこないドラマオリジナルの人物だ。お通も吉川英治が創作した架空の人物だから、この点でも両者は重なり合う。

さて、「天皇の料理番」では初回からカツレツやカレーなどおいしそうな料理があいついで出てきた。本作で脚本を手がける森下佳子は、その前にNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」(2013~14年)でもほぼ同時代を舞台として、洋食屋の娘をヒロインに料理にまつわる物語を描いた。今回の起用は、「ごちそうさん」が向田邦子賞を受賞するなど高い評価を受けたその腕を買ってのことだろう。
初回を見たかぎりでも、主人公の持つ動物的な本能を「鋭い嗅覚」で表現するなど随所に工夫が見られた。養子に入った篤蔵はこの嗅覚のおかげで昆布を産地別に仕分けてみせ、一目置かれるようになるのだが、出奔へといたらしめた西洋料理との出会いも、そもそもはこの能力がもたらしたものだった。

朝ドラといえば、「天皇の料理番」の出演陣には、近年の人気作で好演していた俳優が目立つ。前出の黒木華と、篤蔵の兄・周太郎役の鈴木亮平は「花子とアン」(2014年)での共演が記憶に新しい。篤蔵の両親役の杉本哲太と美保純は「あまちゃん」(2013年)で共演しているし、さらに東京の大学に通う周太郎の下宿の女将役の麻生佑未と、篤蔵の師匠となる華族会館の料理長役の小林薫は、「カーネーション」(2011~12年)でヒロインの両親を演じていた。考えてみれば、朝ドラの大半の作品も「天皇の料理番」も夢を追いかける人物を主人公としているのだから、キャスティングが重なるのはけっして偶然ではなさそうだ。

ふたたび『宮本武蔵』に話を戻すと、吉川英治のこの小説は、1930年代の日中戦争前後に新聞で連載され、富国強兵政策に傾く社会風潮のなかで人気を集めた。その人気は敗戦後、軍国主義への批判が集中する時代にあっても衰えず、なおも多くの読者を獲得し続けることになる。これについて評論家の矢野誠一は《その娯楽性豊かな話の運びに加えて、沢庵、柳生石舟斎、本阿弥光悦らとの出会いによって、人間的に自己を成長させていく生き方が評価されたためである》と説明している(『新版 日本架空伝承人名事典』)。

『宮本武蔵』と「天皇の料理番」の最大の共通点は、実在の人物をモデルとした成長物語ということに尽きるだろう。じつは吉川英治と、篤蔵のモデルである秋山徳蔵には長らく親交があり、秋山の著書『味』『舌』には吉川が序文を寄せている。小学校を中退後さまざまな職を転々としながら文筆活動に入った吉川はおそらく、自分と同じく素手で社会をのし上がっていった秋山に強い共感を抱いていたはずだ。

『宮本武蔵』は『バガボンド』(井上雄彦)のようにコミックス化されたり、市川海老蔵や木村拓哉の主演でドラマ化されるなど、近年にいたってもなお装いも新たにリメイクされ続けている。それはこの物語が持つ普遍性ゆえだろう。一方、「天皇の料理番」は連続ドラマとしては今回が1980年に続き二度目となる。旧作は鎌田敏夫らの脚本で堺正章が主演し、明石家さんまや鹿賀丈史などのちのスターも多数出ていたことからいまなお語り継がれている(残念ながらソフト化はされておらず、いま視聴できるのは、横浜の放送ライブラリーで公開されている第1話のみのようだが)。

21世紀になって新たな形でよみがえった「天皇の料理番」、その第1話は今後の展開を期待させるのに十分だった。普遍的なテーマを、どんな新しい表現で見せてくれるのか。今夜放送の第2話以降もそのあたりに注意しながら見ていきたい。
(近藤正高)