非難轟轟!W杯の歴史に残る“最凶”のダーティチーム6選

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ワールドカップは我々に多くのものを見せてくれる。華麗なスタイルで戦うチームもあれば、目を背けたくなるような醜い争いで勝利を目指す者もいる。



今回は『Planet Football』から、「W杯の歴史において最も記憶に刻まれたダーティーなチーム」のをご紹介する。



アルゼンチン(1990年)



1990年大会のアルゼンチンは、前回王者として大会に臨んだ。1986年大会で見せたディエゴ・マラドーナの「神の手」は、おそらく大会史上最大の“悪行”だったと言えるだろう。



もちろん、彼らは同時に素晴らしいチームでもあった。同じイングランド戦で見せたマラドーナの5人抜きゴールのように、崇高なプレーを見せる力も備えていた。



だが、4年後の彼らは違った。マラドーナはもはや全盛期の肉体ではなく、アルゼンチンが決勝へ進む道のりはより冷徹なものとなった。



決勝進出を果たしたアルゼンチンの戦いぶりは、全体的に極めて冷徹なものだった。初戦のカメルーン戦での敗北を経験しながら、彼らは何とか勝ち進み、ラウンド16でブラジルを破り、ユーゴスラビアとイタリアをPK戦の末に退けた。



大会を通じて退場者を出し続け、当時の1大会における最多レッドカード記録を樹立し、西ドイツとの決勝戦はわずか9人で終えることになった。



韓国(2002年)



2002年の共催大会で、韓国がスペインやイタリアを撃破して準決勝に進出したことは、表向きには素晴らしいシンデレラストーリーであった。そして、今なお大会史上最も物議を醸しているストーリーの一つである。その裏側では、審判から有利な判定を受けていたのではないかという疑惑の目が向けられ、厳しい批判にさらされることになった。



そこに腐敗があったのかどうかは、今もなお謎に包まれている。

単にレフェリングの質が低かっただけなのかもしれない。ラウンド16ではイタリアのフランチェスコ・トッティが退場となり、多くの不可解な判定が下された。準々決勝のスペイン戦でもゴールが取り消され、最終的にPK戦で決着がついた。



ただ確かなのは、フース・ヒディンク率いる韓国が、格上の相手に対して極めてフィジカルで激しいアプローチを仕掛けたということだ。



そのエネルギッシュな姿勢、フィットネス、そして恐れを知らないプレッシングは対戦相手にとって極めて厄介であり、ホームスタジアムの熱狂が彼らに強力な精神的優位性を与えたことは事実である。



ウルグアイ(2010年)



W杯でのハンドといえばマラドーナが最初に来るだろうが、ルイス・スアレスもそれに次ぐ存在だ。



2010年大会の準々決勝、ガーナの決定的なゴールをゴールライン上で阻止したスアレスのハンドは、大会の歴史を決定づける瞬間の一つとなった。それは計算された一つの「違法行為」によって永遠に記憶されるはずだ。



ガーナはこのPKを失敗。退場処分となったスアレスはトンネル内で狂喜乱舞し、結局ウルグアイがPK戦を制した。「謝罪はしない」とスアレスは12年後、再びガーナと対戦する際に語っている。「選手を怪我させたなら謝るが、ハンドについてはレッドカードをもらった。そもそも、PKを外したのは僕のせいじゃないからね」と。



彼らは短期決戦のW杯における最も過酷な真実を理解していた。それは「スタイルよりも生存が重要である」ということだ。才能と組織力、そしてルールが許すリスクを厭わない覚悟。それこそがウルグアイを準決勝へと導いた。



パラグアイ(2026年)



今年のラウンド32でドイツを撃破したパラグアイは、一部のファンを熱狂させた。しかし、ラウンド16でフランスに敗れた際の彼らへの評価は芳しくない。それは単にスコアのせいだけではなかった。



試合を通じて荒っぽいタックルを連発したにもかかわらず、パラグアイの選手にイエローカードが1枚も出なかったのは驚くべきことだった。警告に値するシーンは何度となくあったのだ。



決勝のPKを決めたキリアン・エムバペは、試合後にこう言い放った。「彼らは僕らがタキシードを着てプレーしに来るとでも思っていたんだろう。でも、僕らも泥臭い戦い方は知っている。自分たちが単なる攻撃一辺倒のチームではないことを証明できたよ」と。



パラグアイの振る舞いは識者から広く批判されたが、一方で彼らはフランスに異なる一面を証明させることを強いた。W杯という舞台において、彼らは誰も対戦したくない「厄介な存在」となった。



そしてフランスは、解説者たちから「恥さらし」とまで形容されたパラグアイの振る舞いに耐え、泥沼の戦いを制さなければならなかった。



西ドイツ(1982年)



「ヒホンの恥」として語り継がれる1982年の西ドイツ。それは狡猾な戦術というより、露骨な利己主義の産物だった。



グループステージ最終戦のオーストリア戦。他会場の結果を知っていた両チームは、西ドイツが先制すれば共依存関係が成立し、アルジェリアを敗退させられることを理解していた。



先制点を奪った後、試合は茶番劇へと化した。両者はそれ以上のリスクを冒すことを止め、ただ時間を潰したのだ。これに対する反発は凄まじく、このスキャンダルをきっかけに、FIFAはグループステージ最終戦を同時刻開催にするようルールを改めた。



さらに準決勝のフランス戦では、GKハラルト・シューマッハが飛び出した際、パトリック・バティストンに激突して気絶・骨折させたが、なんとこのプレーが無罪放免に。西ドイツの悪名は不動のものとなった。



西ドイツは決勝に進んだが、その大会が残した遺産は、冷酷な機会主義と議論、そして勝利のためにマージンを搾り取ろうとする執念という後味の悪いものだった。



オランダ(2010年)



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(C)Getty Images



2010年のオランダは、かつての彼らが作り上げた「トータル・フットボール」というロマンティックなイメージからは程遠いものだった。



ウェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベン、ロビン・ファン・ペルシーといった決定的な仕事ができる才能は健在だったが、スペインとの決勝戦はその「攻撃性」で有名になった。ナイジェル・デ・ヨングがシャビ・アロンソの胸に見舞った「飛び蹴り」がイエローカード1枚だったのは奇跡に近い。



スペイン戦のオランダには9枚のイエローカード(うち2枚でジョン・ハイティンハが退場)が提示され、相手にも5枚が出された。まさに、闘争そのものだった。スペインも決して無実ではなかったが、オランダのアプローチは意図的な対立を煽るようなものだった。



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※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。



筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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