法とモラルが危うく交錯するダークな世界観で話題を呼んでいるNetflixオリジナルシリーズ『九条の大罪』。柳楽優弥が熱演する悪徳弁護士の底知れぬ魅力もさることながら、本作がこれほどまでに私たちの心を深く掴んで離さないのは、原作から少し役の立ち回りが変わった烏丸真司、そして彼を演じる松村北斗の存在感あってのことではないだろうか。

烏丸は、なぜドラマ版において新たな立ち位置を与えられたのか。本稿では、映像作品としての成功を意識した計算としての烏丸というキャラクターの変容と、松村が彼を演じたことの必然性について、紐解いていきたい。

【写真】九条(柳楽優弥)と烏丸(松村北斗)、対照的な二人

 2026年4月2日に世界独占配信がスタートしたNetflixオリジナルシリーズ『九条の大罪』の勢いが止まらない。配信開始直後からNetflixの国内視聴ランキング(TV番組)で見事に2週連続1位を記録し、SNSでも連日話題が飛び交っている。真鍋昌平の同名コミックを実写化した本作は、半グレやヤクザ、あるいは社会の底辺で搾取される人々を容赦なく描く、ダークな法廷・クライムエンターテインメントだ。

 原作者自身が「どう生きていくかを問われている時代に、どう生きたいかを探求していくのが本作」と語るように、この作品が放つ毒は現代社会の淀みを鋭く抉り出している。柳楽優弥を主演に迎え、池田エライザ町田啓太音尾琢真生田斗真、そして笑いを一切封印し冷酷なヤクザを演じたムロツヨシなど、錚々たる実力派が顔を揃えている。だが、全10話というパッケージを一気見させる最大の原動力は、松村北斗演じる烏丸真司の立ち位置の変更にあったのではないだろうか。彼が原作からどのように変わり、なぜその改変がドラマ版の没入感をこれほどまでに高めたのか。紐解いていくと、映像作品としての極めてロジカルでスマートな選択が見えてくる。

■再設計されたドラマ版・烏丸の“視点”

 まず前提として、『九条の大罪』の世界観をおさらいしておきたい。主人公の九条間人(柳楽優弥)は、“厄介な案件”ばかりを引き受ける弁護士だ。
依頼人がどれほど倫理的にアウトな人間であろうと、道徳感情に流されず、ただ徹底して法的な権利を守ることに徹する。飲酒ひき逃げ犯や麻薬の売人などを無罪や執行猶予に導くその姿は、世間から見れば血も涙もない“悪徳弁護士”そのものだ。本作は、そんな九条のもとに持ち込まれる事件を通して、「法とは何か」「正義とは何か」という問いを私たちに容赦なく突きつけてくる。

 そんな本作の原作コミックにおいて、烏丸真司というキャラクターは物語の序盤からすでに九条の法律事務所で働き、彼をサポートする役として登場している。飄々としていて、どこか九条のやり方や裏社会のルールをすでに理解している、 “あっち側”の人間として描かれているのだ。そのため、九条との間に決定的なモラルの衝突が頻発するわけではなく、あくまで淡々と実務をこなす優秀な相棒として立ち回っている。

 ところが、ドラマ版はアプローチが全く異なる。物語は、烏丸が九条の事務所にやってくるところから幕を開け、クズのようなクライアントを平然と助ける九条のやり方に対し、強い疑問と反発を抱く。そして「バッジが飛ぶ」と、焦りながら、九条に対して真っ向からモラルの問いかける立場に置かれているのだ。この変更により、烏丸はドラマ版における“視聴者が最も寄り添いやすい視点”となった。視聴者にとって倫理観のバグった世界に投げ込まれた烏丸の戸惑いや葛藤など理解しやすい感情が先に描かれることで、物語が見やすく、受け入れやすくなるのだ。

 原作コミックは、会話のテンポが非常に早く、メインキャラクターたちの表情が意図的に少なく描かれている。
周囲のクズ人間たちが奇声を発したり、暴力的な表情や言動を見せたりしても、九条や烏丸は至って淡々と、冷徹に会話を進めていく。この乾いた空気感や描かれる表情の力強さの対比こそが原作の魅力なのだが、生身の人間が演じる映像作品においてメインキャラクターが終始淡々としていると、観る側は感情の拠り所を見失いやすい。

■視聴者の“居心地の悪さ”を引き受けるキャラクター

 さらに、視聴側に生まれるこの戸惑いやジレンマは、主人公が「弁護士」という、本来ならば“正義の側”とされる職業に就いているからこそより厄介なものになる。真鍋氏の前作である『闇金ウシジマくん』では主人公の丑嶋が闇金業者であり、完全にアンダーグラウンドの住人だった。彼が表情や抑揚を抑え、冷酷に債務者を追い詰めるのは、闇の世界を冷徹に見つめる案内人として正解であり、視聴者もすんなり受け入れることができる。主人公に対するモラルのジレンマも発生しないのだ。

 しかし、九条は弁護士である。本来は弱者を救う正義の側であるべき存在が感情を排して極悪人を擁護しているのである。一般市民である私たち視聴者にとって、この構図はあまりにも居心地が悪い。もしドラマ版でも烏丸が最初から九条のやり方を許容し、淡々と業務をこなしていたら、視聴者は誰にも感情移入できず、ただ胸糞悪いダークな展開を受け入れていくことになっていたかもしれない。

 もちろん、原作も読み進めていけば、九条が実は法と真摯に向き合うアツい男であることが見えてくる。そして烏丸自身も伏見組などのヤクザとの関わりを巡って九条の選択を咎めるようになるし、母親との重いストーリーを通して、彼の奥底にある複雑な感情や人間性が徐々に浮かび上がる仕組みになっている。


 しかし、Netflixの限られた話数でこれを構成する場合、原作と同じゆっくりとしたスピードでキャラクターデベロップメントを待つのは得策ではない。だからこそ、烏丸が本来持っている「倫理と現実の狭間で葛藤する精神」の抽出を前倒しし、最初から「九条に異議を唱える一般市民の代弁者」として少し違う形で配置したのだ。この再構築は、ドラマの推進力を生む上で圧倒的にスマートな選択だったと感じる。

 そして、この重要な変更を成功させ、キャラクターに圧倒的な説得力を持たせたのは、他でもない松村の存在感と卓越した演技力なのだ。ではなぜ、この役に彼が最適だったのか。

■なぜ松村北斗でなければならなかったのか

 過去作を振り返ってみても、彼は常に「どこか影を落としながらも、懸命に正しさを手繰り寄せようとする青年」を演じることに長けている。連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の雉真稔が体現した清らかな誠実さ、映画『夜明けのすべて』の山添くんが抱えていた生きづらさと他者への微かな優しさ。彼が画面のなかに佇むとき、そこには嘘のない「戸惑い」と「知性」、そして「人間臭さ」が同居している。

 今回の烏丸役においても、松村は単なる反発心をむき出しにする部下ではなく、理知的な視点と繊細な心の揺れを見事に表現している。そして柳楽優弥が放つ仄暗く底知れない雰囲気に対し、松村は柔らかな光と葛藤を伴ってそれを反射する鏡の役割を完璧に果たしたように思う。

 ドラマの終盤、ヤクザの弁護を続ける九条に対し、烏丸は彼とのパートナーシップのあり方を深く見つめ直すことになる。壬生(町田)や京極(ムロ)を巻き込んだ暴力の連鎖が加速していくなか、烏丸が最終的にどのような「正義」の形を見出すのか。
その答えは、まだ完全には提示されていない。シーズン2の制作は公式でまだ発表されていないものの、最終話の終わり方を考えると続編の存在は明らかだ。原作の展開を踏まえつつ、実写版ならではの成長を遂げるであろう2人の物語の続きが、今はただ待ち遠しい。

(文:アナイス/ANAIS)

 Netflixオリジナルシリーズ『九条の大罪』は配信中。

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