映画『レオン』や『ミッション:インポッシブル』などへの出演で日本でも広く知られるジャン・レノが来日。ソロパフォーマンス『らくだ』上演にあわせ、単独インタビューに応じた。

『らくだ』はジャン・レノ自身の作による自叙伝的物語。取材では、『レオン』で共演したナタリー・ポートマンとの現在の関係や、そこから垣間見える「映画は友人ではない」という人生哲学、さらに感動的なラストシーンが生まれた舞台裏まで、率直に語った。スクリーンからは見えてこない、名優ジャン・レノの素顔がそこにあった。

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■ナタリー・ポートマンは「とても良い友人」

 日本が世界初演となる本公演は、語り・演技・歌唱を一人でこなすソロパフォーマンス。モロッコ・カサブランカに生まれて、フランスで演劇からキャリアをスタートさせ、世界的スターとなった自身の半生を、生のピアノ演奏を交えながら綴る。

 俳優ジャン・レノを語るうえで、映画『グラン・ブルー』(1988)や『レオン』(1994)ほかでコラボしてきたリュック・ベッソン監督との関係は避けて通れない。「彼は私の中に可能性を見てくれた人。彼の映画とともに世界に出ることができた。今もありがとうという気持ちです」。リュック・ベッソンについて、ジャン・レノはそう口にする。

 今も世界に根強いファンを持つ映画『レオン』も、ソロパフォーマンス『らくだ』に登場。殺し屋と少女という孤独なふたりの交流を描いた作品で、共演者はナタリー・ポートマン。
撮影当時、ナタリーはまだ12歳だった。ジャン・レノは自身の役柄の孤独を体現するため、あえて彼女と距離を置いて役作りに臨んだという。

 「彼女は今でもとても良い友人だ。素晴らしい才能を持つ女優だけれど、それ以上に非常に聡明で、他者への好奇心が強い人。『レオン』の撮影後、彼女は女優業をいったん離れ、大学に進んだ。それは、彼女が自分の人生を何より大切にしたという証明だと思う」と、ジャン・レノは語る。そしてこう続けた。

 「映画は名声もお金も与えてくれる。でも、それは“生きた人生”ではない。映画に飲み込まれてしまうと、自分の人生を失う。映画は友人ではない。彼女はそれをきちんと理解していた」。


 なお、ナタリーと最後に直接会ったのは4~5年前だという。「ナタリーが離婚したことは知っているよ。離婚は、誰にでもあること。音楽の世界でも、映画の世界でも。誰かと出会い、すごくうまくいっても、離れなければいけない時がある。好きだからといって、ずっと一緒にいられるわけではない。残念だけれどね」と“愛”を語った。

 また、数々の作品に出演してきたジャン・レノだが、「特に影響を受けた役は」という問いには「挙げることはできない」とし、その理由に触れた。

 「例えて言うならば、私には6人の子どもがいるが、どの子を一番愛しているかなど選べないようなもの。それに、『この映画のこの役が、自分に一番影響を与えました』などと答えることは、俳優として傲慢なことだと思う。その役を最もうまく演じたと思っているから、そう答えてしまうわけで。俳優の仕事とは、明日演じる新しい役に向けて努力し続けることだ。
その役が自分についてまわるというのは、もう付きまとわないでくれという気分になる」。

 そんなジャン・レノが、まさに役につきまとわれ苦しんだことがあった。

■「みんな私のことをイタリア人だと思っていた」成功後の苦悩

 『らくだ』では、1988年公開の『グラン・ブルー』当時のことも振り返る。リュック・ベッソン監督によるこの海洋ロマンは、フランス国内だけで観客動員数1000万人を記録した大ヒット作で、日本でも多くのファンを生んだ。ジャン・レノが演じたのは、イタリア人フリーダイバーのエンゾ。その存在感は圧倒的だったが、成功ゆえの苦悩が待っていた。

 「『グラン・ブルー』はカンヌ国際映画祭のオープニングを飾った。みんな私のことをエンゾと同じイタリア人だと思い込んでいた。そうした受け入れられ方を自分自身が消化するのに、すごく時間がかかった」。その苦悩もさらけ出す台本で、ジャン・レノは、エンゾの呪いへの叫びを上げる。

 「『グラン・ブルー』の後、映画の仕事が全くなくなり、どうやって食べていくかとなった時、自分のキャリアの始まりを思い出した。演劇の世界に戻って、そこで生きていくしかなかった。
私にとって演劇はオアシスのようなものだった」。映画の成功後、自ら映画界を離れていたのではなく、仕事がなくなっていたというのは、驚きだ。

 追い打ちをかけるように、プライベートで自身の離婚も重なった。18カ月、ジャン・レノは地方の劇場の舞台に立ち続けた。名声も肩書きも関係ない場所で、一から自分を取り戻していく時間だった。「この世からいなくなってしまう可能性だってあった。実際、僕の仕事の仲間の中にも、アルコールに溺れたりして亡くなってしまう人がいる……。生きていられてラッキーです」。ジャン・レノは包み隠さず、そのときの思いを語った。

■稽古が始まっても探し続けた「ラストシーン」

 『らくだ』というタイトルには、ジャン・レノ自身の自己認識が込められている。先に行われた舞台会見でタイトルの意味を問われた時、ジャン・レノは次のように語っていた。

 「長年、私は自分のトーテム(内なる動物)が何かを考えてきた。
私はワシのようにさっと飛んでいくタイプではない。ゆっくり反芻する。ゆっくり観察する。足元を確かめながら進む。自分の中にいるのはラクダだと思った」と。

 そのラクダが歩き始める場所が、幼少期の記憶だ。物語の冒頭、幼いジャン・レノは母とともに、カサブランカのアパルトマンのバルコニーから通りを行き交う人々を眺めている。「見てごらん! 見て、向かいの歩道を歩いていくあの青年、あの人が将来どうなるか分かる?」。母が出した小さななぞなぞの思い出が、舞台の出発点になった。

 “らくだ”が運んできたものを「家族、苦しみ、孤独」というジャン・レノ。「自分が演じてきた役は孤独を抱えたものが多かった。でも他の人との出会いに自分は養われてきた」としみじみ語った。


 ラストシーンが決まったのは、8~9カ月前のことだった。

 最初は別のアイデアがあった。「イザベル・アジャーニ、ナタリー・ポートマン、ロバート・デ・ニーロ、トム・ハンクス……、これまでの仕事のパートナーたちが客席に混じっている想定で、彼らと語り合う形でのラストを考えていた」。しかし、そのアイデアは決定に至らず、演出のラディスラス・ショラーとニューヨークで稽古を重ねながら、ふたりはずっと「終わり方」を探した。そしてショラーが提案したのが、“今は亡き母からの電話”だった。

 会見でジャン・レノは「子どもたちに自分の人生を伝えたかった」と語っていた。しかし、完成した台本を貫いたのは、亡き両親への想いだった。

 そのエモーショナルなラストに、こちらが「台本を読むだけで胸が震えた」と素直な感想を伝えると、ジャン・レノは大スターではなく、母となぞなぞをしていた男の子に戻ったように、「Merci(メルシー)」と、とても嬉しそうな表情を全面に出した。

 最後に「亡き両親への自分自身の思いを伝える、この場面を演じるのは難しくないか」と聞くと、ジャン・レノは胸をそっと押さえながらこう答えた。「セリフによっては、言葉が詰まってしまうかもしれないね」。役ではなく、自分の人生を語るジャン・レノは、どんな声、歌、芝居、そして感情を見せるのだろうか。(取材・文:望月ふみ 写真:山田健史)

 ソロパフォーマンス『らくだ』は5月10日(日)~24日(日)東京芸術劇場 シアターウエスト、ほか7月19日(日)まで富山・兵庫・静岡・宮城・石川・高知・福岡・山口・京都・愛知・岡山の全国11都市にて上演。

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