日本テレビ系『真相報道 バンキシャ!』のメインキャスターを長きに渡って務める福澤朗(あきら)。その前の代表作と言うと、あなたは何を思い浮かべますか。
『全国高等学校クイズ選手権』?、『アメリカ横断ウルトラクイズ』?、『ズームイン!!SUPER』?
いや、ひとつ忘れていないだろうか? そう、『全日本プロレス中継』だ。90年代の日曜深夜を熱く盛り上げた番組であり、福澤"ジャストミート"朗の異名もこの番組での絶叫から生まれている。
日本テレビ入社2年目の春にプロレス担当となった福澤アナ。実はプロレスをまったく観たことがなかったそう。 それなのになぜ抜擢されたのか。その理由は上司いわく「福澤のキャラはプロレス向きだから」。結果から言うと上司の目は正しかった訳だが、かなり無茶な人事である。
プロレス初観戦にしてプロレスアナとしての初仕事は、89年4月の大田区体育館。ジャンボ鶴田が初の三冠統一王者となった記念すべき試合の勝利者インタビューだ。会場に向かうバスの中で急遽決定したため、心の準備もできないままの福澤アナ。血みどろ汗だくのジャンボ鶴田を前に腰が引けるわ、その腰がハンディカメラを塞ぐわで、散々なデビューとなったのだった。
1990年4月には『全日本プロレス中継』は深夜に追いやられ(日曜24時30分~25時25分)、人気は下降の一途をたどっていた。
こんな世界があったのかと驚きながらもプロレスの世界に魅了された福澤アナは、この現状を憂う。そして、自身がプロレスに興味がなかったからこそ、同じ立場の人々をどうやって振り向かせるかを思案し始めた。
とにかく興味を持ってもらわねばと、プロレス中継にしては異質な真面目なニューススタイルのコーナー「プロレスニュース」をスタート。模索の中、真面目なトーンでコミカルなニュースを扱うスタイルにシフトしていく。「プロレスラーの声色を真似る」、「特徴的なフレーズでキャラを濃くする」、「微妙な外国人レスラーをピックアップする」、「試合のハプニングを面白おかしく紹介する」などなど、ユニークな切り口でわかりやすく面白いエンターテインメントに仕上げていった。
プロレス中継にバラエティ色を加えることで、新たなファンの獲得にひと役買ったが、今と違ってプロレスファンの頭も固かった時代である。福澤アナへの風当たりは意外と強く、「プロレスを冒涜するな!」「福澤がいる限り番組を見ない!」と叫ぶ過激なファンも多かった。確かに、レスラーの声色の真似や特徴的なフレーズは、福澤アナの勝手なイメージで作ったものも多く、小バカにした感も否めなかったのだが……。
良くも悪くも「プロレスニュース」の反響は大きく、視聴率も上昇する中、福澤アナは無謀な公約を掲げてしまう。それは、視聴率2桁を獲れなかったら小橋健太(現・建太)選手の必殺技「ムーンサルトプレス」を受けること。120kg近い小橋選手がコーナーポストからバク宙で飛び掛かる、大ダメージ必至の圧殺技だ。
目指せ、夢のゴールデンタイム進出! ある意味、体を張った願掛けだ。日本武道館でのビッグマッチも毎回超満員札止めだった時代、ファンの声援も後押しとなったが……。
結果、最高平均視聴率8%と大検討しつつも、結局1年間10%を超えられず! しかし、毎分視聴率では10%を超えていたと言う理由で、ギリギリセーフ裁定に。
結局ムーンサルトプレスはジャストミートしなかったが、後に『とんねるずの生でダラダラいかせて!』で闘牛にチャレンジさせられ、凶暴な牛の角にはジャストミートしてしまうのであった。ちなみに、福澤アナが『生ダラ』で司会に大抜擢されたのは、プロレス中継での奮闘ぶりがとんねるずの石橋貴明の目に留まったため。キャラが立っている福澤アナが面白いと番組に引っ張られたのだ。
プロレスは深夜番組のままだったが、本人はちゃっかりゴールデンタイムに進出。これを機に人気アナウンサーとしての快進撃が始まるのであった。
インタビューでは事あるごとに「プロレスが礎となった」と語っている福澤アナ。『全日本プロレス中継』は、2000年6月に27年9ヶ月に渡る長い歴史の幕を閉じた。しかし、全日本プロレス自体は団体のカラーを変えながらも現在も存続している。福澤アナが実況という形でプロレスに恩返しをする日は来るのだろうか?
「ジャストミ~~~~~ト!!」
あの魂の叫びがまた聞きたいものである。
(バーグマン田形)
声と言葉の教科書 勝てる日本語!勝てる話し方!
『全国高等学校クイズ選手権』?、『アメリカ横断ウルトラクイズ』?、『ズームイン!!SUPER』?
いや、ひとつ忘れていないだろうか? そう、『全日本プロレス中継』だ。90年代の日曜深夜を熱く盛り上げた番組であり、福澤"ジャストミート"朗の異名もこの番組での絶叫から生まれている。
大失敗だったプロレス実況デビュー
日本テレビ入社2年目の春にプロレス担当となった福澤アナ。実はプロレスをまったく観たことがなかったそう。 それなのになぜ抜擢されたのか。その理由は上司いわく「福澤のキャラはプロレス向きだから」。結果から言うと上司の目は正しかった訳だが、かなり無茶な人事である。
プロレス初観戦にしてプロレスアナとしての初仕事は、89年4月の大田区体育館。ジャンボ鶴田が初の三冠統一王者となった記念すべき試合の勝利者インタビューだ。会場に向かうバスの中で急遽決定したため、心の準備もできないままの福澤アナ。血みどろ汗だくのジャンボ鶴田を前に腰が引けるわ、その腰がハンディカメラを塞ぐわで、散々なデビューとなったのだった。
賛否両論巻き起こした「プロレスニュース」とは?
1990年4月には『全日本プロレス中継』は深夜に追いやられ(日曜24時30分~25時25分)、人気は下降の一途をたどっていた。
こんな世界があったのかと驚きながらもプロレスの世界に魅了された福澤アナは、この現状を憂う。そして、自身がプロレスに興味がなかったからこそ、同じ立場の人々をどうやって振り向かせるかを思案し始めた。
とにかく興味を持ってもらわねばと、プロレス中継にしては異質な真面目なニューススタイルのコーナー「プロレスニュース」をスタート。模索の中、真面目なトーンでコミカルなニュースを扱うスタイルにシフトしていく。「プロレスラーの声色を真似る」、「特徴的なフレーズでキャラを濃くする」、「微妙な外国人レスラーをピックアップする」、「試合のハプニングを面白おかしく紹介する」などなど、ユニークな切り口でわかりやすく面白いエンターテインメントに仕上げていった。
プロレス中継にバラエティ色を加えることで、新たなファンの獲得にひと役買ったが、今と違ってプロレスファンの頭も固かった時代である。福澤アナへの風当たりは意外と強く、「プロレスを冒涜するな!」「福澤がいる限り番組を見ない!」と叫ぶ過激なファンも多かった。確かに、レスラーの声色の真似や特徴的なフレーズは、福澤アナの勝手なイメージで作ったものも多く、小バカにした感も否めなかったのだが……。
深夜の快挙! 視聴率10%超え!?
良くも悪くも「プロレスニュース」の反響は大きく、視聴率も上昇する中、福澤アナは無謀な公約を掲げてしまう。それは、視聴率2桁を獲れなかったら小橋健太(現・建太)選手の必殺技「ムーンサルトプレス」を受けること。120kg近い小橋選手がコーナーポストからバク宙で飛び掛かる、大ダメージ必至の圧殺技だ。
目指せ、夢のゴールデンタイム進出! ある意味、体を張った願掛けだ。日本武道館でのビッグマッチも毎回超満員札止めだった時代、ファンの声援も後押しとなったが……。
結果、最高平均視聴率8%と大検討しつつも、結局1年間10%を超えられず! しかし、毎分視聴率では10%を超えていたと言う理由で、ギリギリセーフ裁定に。
結局ムーンサルトプレスはジャストミートしなかったが、後に『とんねるずの生でダラダラいかせて!』で闘牛にチャレンジさせられ、凶暴な牛の角にはジャストミートしてしまうのであった。ちなみに、福澤アナが『生ダラ』で司会に大抜擢されたのは、プロレス中継での奮闘ぶりがとんねるずの石橋貴明の目に留まったため。キャラが立っている福澤アナが面白いと番組に引っ張られたのだ。
プロレスは深夜番組のままだったが、本人はちゃっかりゴールデンタイムに進出。これを機に人気アナウンサーとしての快進撃が始まるのであった。
インタビューでは事あるごとに「プロレスが礎となった」と語っている福澤アナ。『全日本プロレス中継』は、2000年6月に27年9ヶ月に渡る長い歴史の幕を閉じた。しかし、全日本プロレス自体は団体のカラーを変えながらも現在も存続している。福澤アナが実況という形でプロレスに恩返しをする日は来るのだろうか?
「ジャストミ~~~~~ト!!」
あの魂の叫びがまた聞きたいものである。
(バーグマン田形)
声と言葉の教科書 勝てる日本語!勝てる話し方!
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