8月15日の終戦記念日が近づくと思い出さずにはいられない映画『火垂るの墓』。原作は作家の野坂昭如。
自身の戦争体験を題材としているこの作品。つまり、主人公の清太のモデルは野坂なのである。
清太は涙なくしては語れない悲劇の結末を迎えているが、野坂昭如自身は85歳の人生をまっとうしている。

無類の酒好きであり、高校時代に酔っ払って真っ裸で深夜の街を歩いたり、大学時代に酔っ払って教室の窓から入ったりなどの逸話を残すほどだ。
そして、その酒癖の悪さが引き起こした事件があった。映画監督・大島渚を公衆の面前でぶん殴ったあの事件である。


野坂昭如が帰ってしまったと思い込んだ大島渚の勘違いで起きた


1990年10月、東京プリンスホテルで大島渚・小山明子夫妻の結婚30周年パーティーが開かれていた。
当時の大島監督は、今も続くテレビ朝日の名物番組『朝まで生テレビ!』でのパネリストとしての活躍が目覚ましかった。討論相手を「バカヤロー!」と一喝する、血気盛んな論客である。
約1,500名もの参加者との盛大なパーティーがお開きとなる寸前、大島監督は慌てて壇上に野坂昭如を招き入れた。自らがホスト役も務めていた大島監督は、バタつく進行の中、野坂が途中で帰ってしまったと思い込み、挨拶をカットしてしまっていたのだ。
会場がざわつく中、壇上に上がった野坂は落ち着いて祝辞の和歌を読み上げる。会場は再び盛り上がり、夫妻の笑顔もこぼれるフィナーレになると誰もが思ったのだが……。


大島監督のメガネを吹っ飛ばした野坂昭如の右フック


しかし、大島監督が「ありがとうございました」と言い終わるが早いか、野坂のフック気味の右パンチが大島監督にジャストミート! 大島監督はメガネを吹っ飛ばされ、よろけて後ろに倒れそうになりながらも、すぐにマイクで反撃! 野坂の頭を叩く「ゴン!」という鈍い音がマイクを通じて会場中に響き渡った。
会場は突然の乱闘に呆然。笑顔で2人を取りなす明子夫人の“大人な対応”が印象的な事件だった。
最終的には、大島監督が「悪いのは僕です」と場内に向かってマイクアピール。対する野坂は「わざと俺を忘れただろう!」とわめき散らし、怒りが収まらないままに関係者に引きずられるように場外へフェードアウトしていった。

待ちくたびれて泥酔状態だった野坂昭如 怒りが爆発!?


野坂は今回の祝辞のために、10日ほど前から和歌を6首も作って張り切っていたという。普段からシャイな野坂は、テレビに出るときも緊張を紛らわすために酒を飲むことが多かった。

この日は挨拶に備えて待つ内に、ダブルのウイスキーを10杯ほども飲んでいたとされている。最後の最後に慌てて呼ばれたときはすでに泥酔状態。忘れられたことに対する怒りが鉄拳となって爆発してしまったようである。

結局、お互いすぐに謝罪し合うことで、遺恨は精算。この件をきっかけにこれまで以上に交流が深まったのだから、まさに「拳で語り合う」を地で行く2人である。
大島監督の妻・明子夫人は「どちらも子供でしたよね」とこの一件を振り返る。
そしてこうも続けている。「でもあんな魅力的な男たちはなかなかいない。どちらも大酒飲みで、やりたいことを貫いて生き抜いた。スケールの大きな男たちだった」と。
今も天国で仲良く(ときにケンカしながら)酒を酌み交わしているに違いない。
(バーグマン田形)