あらゆるディテールがこの映画を読み解くヒントだ!
『思い出のマーニー』は2014年に公開されたスタジオジブリの長編アニメ。原作は1967年に出版されたイギリスの児童文学作品だ。

『借りぐらしのアリエッティ』のように「人間の暮らしの横に極小の異界が存在している」みたいなギミックはない。わかりやすく盛り上がってくれるポイントがないので「ジブリだから」とこの作品を目にした人で、なんだか肩透かしを食ったような気分になった人も多いのではないだろうか。筆者もその1人である。
この映画はディテールをよく見て、そこから自分なりの解釈を積み上げることを要求してくる作品だ。ストーリーの起伏も話の規模も小さいのでハリウッドの娯楽作品なんかを見慣れていると「地味!」という感想になってしまうけど、ぐっとこらえて登場人物の心理や関係性を表す細かい動きや場面の天候に注目し、その意味を考えつつ見ることで面白みがわかってくる。
『マーニー』では杏奈とマーニーが物理的によく触れ合う。片方が片方を抱きしめたり手を繋いだりするのだが、この時に「どちらがどちらに対して行動を起こしたり、気遣ったりしているか」に注目したい。これらの行動は、登場人物のややこしい心理状態を読み解くためのヒントになっている。
初めてマーニーと杏奈が接触して「これは夢?」と動揺する杏奈の手を優しく両手で握るマーニー。
画面全体で物を語る映画なので、「ながら」で見ると振り落とされる。登場人物の動きや湿っ地屋敷に続く湿地の水の満ち引き、場面ごとの天候などから杏奈たちの心情を想像し読み取ろうとすることで、この映画はパズルのような面白さが出てくる。
先週の『アリエッティ』から立て続けに米林作品を見てみると、なるほど観客に自分から情報を取りに行く姿勢を要求してくる人なんだなこの監督は……という独特の持ち味が感じられる。そう思って見ると絵柄も普通のジブリ作品より若干情報量が多くて、より実際の人間に近い芝居ができるようになっている(そのせいで杏奈は若干つのだじろうの漫画みたいな顔になっちゃってるけど)。米林監督の映画は初見では物足りなく感じられるが、持ち味がわかってくるとそれなりに興味深く見えてくるはずだ。
おっさんにももっと興味を持ってくれ!
そんな丁寧な作品が『マーニー』なんだけど、一点だけ納得いかなかったのが謎の老人、十一(といち)である。
無口で10年に一度しか口をきかず、なぜかマーニーの家の前の湿地にボートを浮かべている男、十一。物語のけっこう最初の方から登場し、無言のうちに杏奈と打ち解け、湿っ地屋敷の近所までボートで乗せていってやる。その姿からは、「このおっさん絶対後半で話に絡んでくるでしょ」という感じが濃厚に漂っていた。
しかしこの十一、序盤で杏奈をボートに乗せて屋敷から連れ帰る役割を果たすものの、それ以降全然本筋に絡まない。十一が若干目立つのは終盤も終盤、あらかたいろいろな問題が片付いてしまった後に「実はマーニーのことを知ってた」的なことをいきなり言い出したところくらい。しかも本当にいきなりなので「えっ!?」という印象しかないし、その後特にその話がフォローされることもない。
いやほんと、この人出す必要ありました? だいたい『思い出のマーニー』公式サイトを見てみたら「キャラクターと声の出演」のページに十一がいないじゃん! どうなっとるんじゃい!
思えば『借りぐらしのアリエッティ』のアリエッティの父ポッドも映画の後半になればなるほど存在感がなくなり、自分の妻がいきなり人間に誘拐されるという非常事態でも一切活躍しなかった。米林監督、さてはおっさんに対して欠片も興味がないな……。もう最初から美少女だけがたくさん出てくるアニメを作ればいいと思うけど、経済的規模がでかい作品でそれをやるとなると難しいんでしょうね。美少女の心の機微を繊細に描いた"だけ"の米林作品にもドバッとお金を突っ込んでくれるような理解と度胸のあるスポンサー、どっかにいませんかね?
(しげる)