アニメ『どろろ』(→公式サイト)。今日4月22日(月)22:00より、TOKYO MXほかで、第十六話「しらぬいの巻」が放映される。

Amazon Prime Videoで毎話24:00頃から配信予定。
「どろろ」原作とまったく違う!最悪の展開…どろろが百鬼丸に愛想をつかす15話
どろろBlue-ray BOXイメージイラスト

守られた村、滅びた村


十五話から続いたマイマイオンバ編は、かなりの部分が原作から変更されている。

原作は鯖目とマイマイオンバが恋愛の末結ばれ、その正体と連れ子を隠すために、尼寺と子どもたちを焼いた、という設定。
村の衆は妖怪を倒すべく団結し、皆で強く生きていく決意をする……という前向きなラストになっている。
鯖目は一途にマイマイオンバを愛していた。事件解決後は頭をそって子どもたちを弔う決意をするほど誠実だ。

一方アニメ版は真逆といっていい結果。

まず鯖目はマイマイオンバに対して、愛は抱いていない。彼女の「この地にて我らが生きることを許されるならば、必ずこの地を守り抜かん」という言葉と契約をしただけ。
鯖目の領地で幸せに暮らしている村人は全てを知っており、その選択をした鯖目に従う共犯者だ。

鯖目「何があろうと私はこの土地を守り抜く」「あやつらも私が守らねばならぬ民なのだ」
あやかしに力を借りる条件として、尼寺に引き取られていた孤児たちを皆で捕らえ、エサとして生贄にした。
村人は痛みを分かち合って身内から誰かを捧げたのではなく、リスクの低そうな人間を捧げたことになる。

原作では退治したことで、鯖目も村人もみな改心。
ただし百鬼丸だけは、バケモノ扱いされて追い出される、という皮肉な結果になった。
一方でアニメ版ラストは、鬼神だったマイマイオンバを倒したことで、一晩にして村は滅び、大勢の人間が家と田畑と蓄えと生命を失った。鯖目と思わしき死体が畑に倒れ込んでいるカットも入っている。

一人の身体と引き換えに国を滅ぼすか、百鬼丸に我慢してもらって領地の人を守るか、という天秤が、このアニメの主軸。
マイマイオンバ編は改変により、その規模を縮小版的に描写し、よりテーマを深く掘り下げている。
今まで以上に露骨に「鬼神を倒す=災厄」なのが表現されたのも重要な部分だ。


鯖目領では、領主だけの問題ではなく、村人も責任を負って選択している。
これは何も知らなかった醍醐領の民衆も、「醍醐景光が百鬼丸を犠牲に鬼神と契約した」ことを知った後に、何を選択するかにかかってくる。
多宝丸は、命をかけた責任を負った上で「倫理」を選ばず、民の命を選んだ。そのくらいの覚悟が、この後醍醐領の民衆一人ひとりにものしかかることが、今回暗示されたことになる。

どろろ、百鬼丸から離れる


後半どろろは、自ら百鬼丸から離れてしまった。
(原作ではどろろがイタチに拉致されて引き離されている)。


今回のアニメ版どろろは、知りすぎてしまった。
攻撃的になり続けると、百鬼丸自身が鬼になりうる可能性があること。
鬼神を斬ることで身体は戻るものの、領地の人が苦しみ死ぬ可能性があること。
無理に鬼神を斬らずに、自らの背中の地図を元に、農民のための財宝探しを百鬼丸と共に行う道もあること。

子供に、誰にも言わずに問題を決断せよ、というのはあまりにも酷すぎる。
どろろは鯖目領で、醍醐領と同じような「鬼神を倒す・倒さない」の決断を迫られた。

結果、生贄の子どもたちは殺されたのを知り、さらに鬼神を斬った後に村人たちも死ぬ、という追い打ちをかけられた。パンクもしてしまう。
鬼神退治の後、百鬼丸の背骨が戻った。
普段喜ぶどろろは、何も言わず冷ややかな目で見ていた。

15話自体は、俯瞰して見ると「人を生贄にして平穏を得ても、必ず因果応報が訪れる」という日本の寓話的な内容だ。
しかし実際に生贄になった人間、捧げてでも生きようとした村人側の両方に接し、さらに双方の死に直面したら、因果応報云々の問題じゃなくなってくる。

どろろの眼の前に突きつけられたのは、善でも悪でもない。
自分たちが引いた引き金によって、たくさんの死が生まれた、という事実だ。

「あにきは鬼神を殺せばそれでいいんだろ? 答えてくれよ、こんなのやっぱおかしいよ、これじゃあにきも同じんなっちまう」
人に災厄をもたらすものが「鬼神」であれば、鬼神を殺すことで次の災厄を生む百鬼丸も、鬼神と同じになってしまう。これは多宝丸も考えていた思想だ。
だから「あにき、おいら、おいらたちどうすればよかったのかな」と一人苦しむ。
誰よりも百鬼丸の身体が戻ることを願う人間だからこその悩みだ。
それに対して百鬼丸は「関係ない」としか言わない。

どろろは、自分と百鬼丸の意見が食い違ったから離れたわけではない。
せめてわからなくても聞いてほしいことを、ポツリと漏らしている。
知識も知恵もないまま、赤子のように「返せ」と刀を振るう百鬼丸。今までの回を見直すと、どろろによる身体での制止以外、きちんと主義主張をぶつけあったことはほぼない。
せめてここで言い争いできればよかった。ケンカすらできないのは、心が折れる。

ネットの意見で「どろろが愛想をつかしてよかった、安心した」という意見もあった。
ここから先を乗り切るためには、どろろが一旦感情を爆発させることも必要だ。
それでもなお、どろろが親役として踏ん張りすぎていて、大声をあげて泣けないのが見ていて辛いところ。彼女は静かに涙をこぼすことしかできない。

百鬼丸が一心不乱に歩いて次に向かおうとした時、どろろが当然いるものだと感じていた描写は救いだった。
どろろがいないと気づいた時の彼のたじろぎは、一見デパートで親からはぐれた子供のよう。
これは百鬼丸の、感情の「気づき」だ。

ラストでイタチが、母親の背中に刻まれていたはずの刺青の文様を知っていたことが明かされた。
これにはファンもざわめいた。
母親の死はどろろしか立ち会っていない。
だとしたら死体を漁ったとしか思えない。割といいやつ感強かったイタチ、果たして……?

(たまごまご)