当時は今と違いまだオリンピックに対する協力ムードはきわめて薄く、決ったことだからやらざるを得ないが、少しでも安くあげようという空気が支配的で随分苦しんだ。
それでも、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながらも、一番、難関であったワシントンハイツを移転して、その跡に選手村と屋内水泳場を作ることに成功して、ようやく東京大会開催の施設と運営の総路線が引き終ったところで私は退陣せざるをえなくなった。
私としては、ほとんど一人の知識、経験で、従来の慣例に創意工夫を加えて引いた路線の上に、素人ばかりの組織委員会事務局の手で、果して、立派に車を走らせ得るかということについて、非常に不安を感じた。
しかし、結果は立派にやってくれた。(後略)》
これは、1964年の東京オリンピックが閉幕した翌日、田畑政治が古巣の朝日新聞紙面に寄せた文章の一部である(「朝日新聞」1964年10月25日付朝刊)。私は何年か前、東京オリンピックについて調べていたときにこの文章を見つけたのだが、「私の書きおろした筋書とおぜん立てで……招致を実現」「私としては、ほとんど一人の知識、経験で、従来の慣例に創意工夫を加えて引いた路線」と、すべては自分の手柄だと言わんばかりの書きっぷりに、ちょっと眉につばをつけたものである。
しかし、先週11月24日放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第44話を見て、まーちゃん、ごめん、あんたの言っていたことは本当だった! と田畑に謝りたくなった。これまでオリンピックに向け、田畑がまさに「あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながらも」路線を引いてきたことは、ドラマでも描かれたとおりである。それが開催を前に、政治的な圧力により引きずりおろされてしまうとは、まったく無念であったことだろう。

田畑、30年前の自分に復讐される
オリンピックを2年後に控えていた1962年、アジア競技大会がジャカルタで開催されたが、主催国のインドネシアが台湾とイスラエルを締め出したため、国際社会の批判を浴びる。それにもかかわらず日本が参加すれば、東京オリンピックの開催が危うくなるのではないかとの憶測から、日本国内でもボイコットの声が上がった。現地では、開会式直前まで大会組織委員会事務総長の田畑(阿部サダヲ)ほか、同会長の津島寿一(井上順)、東京都知事の東龍太郎(松重豊)らJOC幹部が、現地にいたオリンピック担当大臣の川島正次郎(浅野忠信)を交えて、日本選手団の参加の是非が話し合われた。田畑は、悩んだ末に、持論である政治とスポーツは別物との考えを貫き、ついに参加を決断する。
この一件は、政治の介入を退けた田畑の勝利かと思われたが、しかし国内の反応は違った。
事態を憂慮した川島は記者を集めると、いまの組織委員会ではオリンピックは開けない、このさい膿を出し切って責任体制をはっきりさせるべく、国民に説明する場を早急に設けると発表。果たして田畑は国会へ参考人として召喚され、議員たちから質問攻めにあう。あからさまなスポーツへの政治介入に、田畑はしだいに不審を抱き始める。「おかしいな、何かおかしいぞ。これが『俺のオリンピック』か?」「違う……こんなんじゃなかったはずだ」「どこだ、どこで間違えた?」と自問自答しながら、頭のなかで過去をさかのぼっていく。
数日後、批判に耐えられなくなった津島は川島に辞意を伝える。ただしある条件をつけて……。
田畑、心ならずも事務総長辞任!
その日、部下の岩田幸彰(松坂桃李)より、国際陸上競技連盟からは、今回のアジア大会について日本をはじめ参加国にはお咎めなしとの通知を受け、田畑は安堵する。そして決まったばかりの「東京五輪音頭」の「オリンピックの顔と顔」という歌詞がいいだろうとご満悦だったのだが、直後に組織委員会で開かれた懇親会で一気に崖から突き落とされる。会場に入ったところ、議長の東からいきなり、この会は津島と田畑の責任問題を追及する場なので退出してくださいと切り出されたのだ。
1962年10月2日、事務総長を解任された田畑は、津島とともに記者会見にのぞむ。津島が発言するたびに口を挟み、「私はやめたくないんだ。私の情熱と経験をオリンピックに生かしたいんだ」「いいかい? 僕はいやなんだよ。やりたいんだ、最後まで! やっとレールを敷いたところなんだ」と何度も不満を漏らす田畑。そのやりとりをテレビで見ていた今松が、「間がいいや。芸人になったほうがいい」と妙な感心をする。当人はそんなことを言われてるとは知る由もなく、いつしかカメラの前をはばからず泣きながら「最後まで走りきれないのが、はなはだ残念でならない」と口にしていた。彼の妻・菊枝もその様子をテレビで見ながら一緒に涙する。
志ん生の復活、そして田畑は……
そのころ古今亭一門では、五りん(神木隆之介)が、師匠の志ん生(ビートたけし)と二人会に向けて一緒に稽古を重ねていた。しかし会の当日、五りんは寄席の楽屋に「足袋に出ます」との書置きを残して、とんずらしてしまう。結局、志ん生は一人で高座に上がった。それは彼が脳出血で倒れて以来、約1年ぶりの高座であった。客席から拍手喝采で迎えられ、「地獄の閻魔様に呼び止められまして、おまえはまだしゃばでしゃべってろと……」と言うと、志ん生は噺を始める。演目は、すでにドラマにも登場した「替り目」だ。
お役御免となった田畑はバー「ローズ」にて、テレビで三波春夫(浜野謙太)が「東京五輪音頭」を歌うのを見ながらクダを巻いていたのをママのマリー(薬師丸ひろ子)に追い出される。帰宅しても「替り目」の亭主よろしくしつこく酒をねだる田畑に菊枝はあきれていたが、結局、「おでんでも買ってきましょうか」と腰を上げた。
妻が台所を出ていくと、彼は「いい女房だな。おれにはもったいない女房だよ。こんな飲んだくれを世話してくれるのは三千世界に女房だけだよ」「本当、すまないと思ってるよ。
菊枝に言われて田畑が玄関に出ていくと、そこには岩田のほか、松澤一鶴(皆川猿時)、森西栄一(角田晃広)、大島鎌吉(平原テツ)と組織委員会の面々が立っていた。彼らは田畑が「俺のオリンピック」と呼んでいた競技場の模型を持ってきたのだ。「まーちゃん、ちゃんと完成させないと」と言われて田畑は感極まりながら「おまえら……オリンピックの顔と、顔と、顔と、顔と」と一人ひとり指さしたかと思うと、4人も田畑を指して「顔!」と大声を上げる。第44話を通して失墜の一途をたどった田畑だが、最後の最後で光明が見えた。果たして復活の芽はあるのか。きょう放送の第45話のサブタイトルも「火の鳥」と、何やら予感させる。(近藤正高)