![We♡SMAP #9|主演舞台・映画・ドラマと草なぎ剛が多忙を極めた1999年のSMAP](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FExcite_review%252Freviewmov%252F2021%252FE1635764750946_2f7d_1.jpg,quality=70,type=jpg)
ずっとSMAPが好き♡ SMAP特集
1999年のSMAP。シングルは2作、1月27日「朝日を見に行こうよ」、6月23日に30作目のシングル「Fly」をリリース。アルバムは7月14日に『BIRDMAN〜SMAP 013』をリリースした。【前回レビュー】We♡SMAP #8|中居正広「いつか、力尽きるときまでやっていきたい」と語った1998年
1月3日に『古畑任三郎 vs SMAP』(フジテレビ系)が放送された。1999年といえば当時「ノストラダムスの大予言」ブームだった。予言では1997年7月に人類は滅亡すると……。
無事にアルバム『BIRDMAN〜SMAP 013』が7月にリリースされ、ライブツアー『SMAP1999 TOUR "BIRDMAN"』もスタート。
木村拓哉が「ベストジーニスト」殿堂入り!
●『女性セブン』1999年12月9日号ベストジーニスト賞に木村拓哉が5年連続で選出され、ついに殿堂入りを果たした。誌面では1994年からのジーンズコーデを一挙紹介している。
初の受賞式では半袖シャツにインナーは白いTシャツ。
1995年はストライプのシャツにインナーは白いロゴT、そこへ控えめなダメージデニムをあわせた。1996年はタイトめなフライトジャケットに、太ももあたりから斜め下にダメージが入ったデニム。太すぎないほどよいフィット感。定番はリーバイスの501だそう。
1997年は購入してから3年洗っていないというデニムで会場を湧かせたとある。1998年はウォッシュ加工を施したダメージデニム。97、98は当時マネする男性が続出した“ロン毛”スタイル。そして1999年はサイドを少しカットしたさわやかカットで登場。
シャツのボタンを開けて、インナーにTシャツを合わせるのが授賞式の定番スタイル。シンプルなのにどうしてこうもカッコよく着こなせるのだろう。令和の時代に見ても、さすがとしか言いようがない。
多忙だった草なぎ剛
●連載「新・オトコの主張」/『MORE』1999年11月号「毎日の忙しさは、大変だと思えば大変だし、そう思わなければそうでもないよ」。つよぽん語録とも呼びたい草なぎ剛らしいコメント。主演舞台『蒲田行進曲』を経て、8月公開の映画『メッセンジャー』、10月から放送の主演ドラマ『TEAM』(フジテレビ系)と主演が続いた。
草なぎの仕事に対する姿勢についてこんなことを語っていた。
続けて、たまたまラジオの人生相談で聞いたという節約を余儀なくされている主婦のエピソードを例に挙げて、500円でやりくりする人もいれば、その日に1万2千円のシャツを買った自分がいて、でも自分も自分なりに苦労している、人の人生は比べられないと草なぎ。
「たとえば、歴史に名を残す人がいるよね。その人の運命は最初から決まっていて、がんばらなくても名前が残っちゃうかもしれない。精一杯やったか、手を抜いたかなんて、誰にもわからないわけですよ」
様々な立場の人を挙げて、「その人生をどうするかも、自分次第。だから、もしも運命っていうものがあるんだとしたら、ひるむことなく立ち向かおうと思う。ちょっと大きなこと言っちゃったけどね」。記事には一瞬熱くなってニコニコモードに戻った、と草なぎの表情の変化も記されていた。
25歳の草なぎ。ほのぼのとしたキャラのようにみえるけれど、芯はしっかりしている。
森且行にインタビュー
●『プレイボーイ』1991年10月12日号「半年前ですかね、やめるなんて新聞に出ちゃって。全然やめる気はないんですけど」。SMAPを離れてオートレーサーに転身したのが1997年7月。転身後しばらくは週刊誌の記者などが来ていたそう。こんなことが報じられていたとは……。
そんなデマを吹き飛ばすかのように、森は10月からA級に昇格していた。レースが始まったら宿舎に缶詰め、休日も出かけずに疲れて寝ているという。そして、「家で子供と遊ぶくらいです」。森は1998年2月に入籍、このインタビューを受けた時には1歳2カ月の息子のパパになっていた。目標は「4年目くらいで日本選手権を獲る予定です」。養成所に入ったときの坊主から少し伸びたオシャレな短髪姿、相変わらず爽やかな笑顔で写っていた。
ちなみに「JUNON」1999年6月号では、中居正広のインタビューが掲載されている。
「ーーところで今、恋をしてますか?」
なんというド直球な質問 これに中居は「今はしてないです。好きな人もいませんね。出会いはあっても、その子がいい子かどうか、なかなかわからないねぇ」。
続けて、「一歩目までは踏み出せるんだけど、二歩目がなかなか行けないんですよね、勇気がなくて。でも女の子の友達とは、ちょくちょく飲んだり。まったく女っ気がないわけじゃないから」。“国民的プレイボーイ”にもこういう時代があったのだ。
(柚月裕実)
※次回の更新は11月8日(月)21時予定! レビューを更新しましたら、エキレビ!のツイッターでお知らせします
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柚月裕実
Web編集/ライター。ジャニヲタ。アイドルがサングラスを外しただけでも泣く涙腺ゆるめな30代。主にKAT-TUNとNEWSですが、もはや事務所担。
@hiromin2013