
ずっとSMAPが好き♡ SMAP特集
今回は2001年、2002年のSMAPについて。【前回レビュー】We♡SMAP #9|主演舞台・映画・ドラマと草なぎ剛が多忙を極めた1999年のSMAP
2001年7月28日にシングル「Smac」、オリジナルアルバムのリリースはなかったが、8月8日にベストアルバム『pamS』(ウラスマ)をリリース。翌年2002年は5月15日にシングル「freebird」、アルバム『SMAP 015/Drink! Smap!』を11月15日に発表した。
2001年9月にデビュー10年目を迎えたSMAP
“20世紀を代表するスターは? 50年後にそう聞かれた人たちはきっとこう答えるだろう「SMAP」だと。”から始まる「JUNON」2001年2月号。「SMAP伝説 ’00→’01」と題して、5人にたっぷりとインタビューを行っていた。●中居正広――ツアー最終日の終演後に、中居が必ずひとりですること
「ツアー最後の日って、セットが壊されるじゃない? あれをちゃんとねえ、見るのよ。ひとりで」。毎年客席から見ているという。「なんかこう、さみしくなるというか、なんかねえ…、やるんだろうけども、『来年できんんのかな』って、ふと思ったりするんだよね」。
ファンからすれば、月曜21時には『SMAP×SMAP』が放送されて、シングル、アルバムリリース、歌番組出演、ドラマ、CM……ライブだって開催されるのがすっかり“当たり前”になっていた頃。中居のようなステージに立つ側の人がこうした感覚を失わずにいてくれたのもSMAPが長く活動を続けてきた理由の一つではないだろうか。
「5人一緒にいろいろ学んできたわけじゃないですか、SMAPを10年以上やってきた。いろんなことの乗り越え方も。
アイドルの結婚について、当時はまだ前例が少なかった。ファンのことを思ったのだろう、「不安があったし、もちろん嬉しさもあったけど」とした上で、「これでまた新しい項目が教科書に載ったんで、今度、何かあっても大丈夫かなって」。
2001年1月14日からはドラマ『日曜劇場 白い影』がスタート。中居は外科医・直江役を演じた。真逆の役だとして、この当時はまだコンパスでは描けていないと語っていた。
●木村拓哉――“SMAPの中にいる自分”って部分で助けられた
2000年にドラマ『ビューティフルライフ』がヒットしたことを聞かれると、木村は「もう過ぎたことです(笑)」。ドラマ出演が相次ぎ、そのどれもが注目を集めてきた。その中心人物は意外にも!? さらりと語っていた。
「続編を望むファンがいるのでは?」の問にも「それはないんじゃないかな」とこれまたさらり。「ドラマは柊二だけの話じゃないし、それをやってしまったら、『ビューティフルライフ』じゃなくなっちゃうと思うしね」。
当時からテレビCMも盛んだった。NTT東日本「ガッチャマン」、NTT「オサゲします」では意外な姿も!
時間がないなかでのツアーに不安があったというが、「やっているうちにすごい楽しめるようになった」と2000年のツアーを振り返った木村。
「ツアー中にもかかわらず、ああいう私的なことが公になったんで。みんなをびっくりさせちゃったというのがあって。自分の中で今回のツアーは、ちょっと複雑な気持ちで終わったんだけど…」
「あまりうまく言葉では言えない」と言葉に悩んでいる様子が文面からも伝わってきた。
「この世界にいるからこそ言われちゃうような、思われちゃうようなことも、なんかSMAPでいた自分? SMAPの中にいる自分っていうのがあるから、自分の中ではすごく助かったし、横にメンバーがいてくれたりとか …そう思ったね」
1月8日からドラマ『HERO』がスタート。久利生公平役を演じた。
●稲垣吾郎――ナレーション、舞台、CM、充実の日々を振り返る
稲垣は舞台『七色インコ』で宮沢りえと共演。
「舞台、すごくよかった。宮沢りえっていう、すごい女優とも共演できたし、ああいうエンターテインメント色の強い舞台は初めてだったんで、そういった意味でも新しかったし、ぜんぜん違うものがやりたい」
ナレーションを担当した2000年スタートのドキュメンタリー番組『未来の瞳』から繋がったと言う。
「声だけで一次元的に表現するわけじゃない? 芝居や踊りと違って、そういった意味でそれに頼るしかないから。微妙な表現の違いっていうのを自分でも把握してなきゃいけないし」
コンディションにも左右され、ごまかしがきかないと稲垣。「いろいろイマジネーション湧くし、ミステリアスだしエロティックだし、そういう世界ってすごく好きだから」。
●草なぎ剛――舞台にベストジーニスト2冠
舞台『蒲田行進曲』の再演で幕を開けた2001年。
「1週間くらいしかなくて、実質稽古したのは5回くらいなのよ。でもね、ほとんどセリフが入ってたから自分でもびっくりした。いや、つか(こうへい)さんが書くのは1回覚えたらなかなか忘れられないようなセリフばっかりなのね」
ソロ曲「巡恋歌」について。
「あれはねー、選曲も衣装も構成も全部、自分で考えてあったのよ、できるまで、けっこう大変だったよー、曲もなかなか決まんなくて」
たまたまテレビを観たら長渕剛が出ていて、「純恋歌」から着想を得たという。
ベストジーニスト2冠について。
「僕の始まりはジーパンなんですよ。中学の頃東京に初めて出てきたのもジーパン見るためだったし、仕事いっぱいしてお金貯まったら絶対買ってやろうって思ってのもジーパンだったし。友達ができるきっかけもジーパンだったし、ジーパンは僕が生きていく上で絶対欠かせないものなんだよね。ジーパンがないとこんなに人生楽しくないと思う」
流行り廃りのないジーパン愛をぶつけた草なぎ。穿けば穿くほど味が出ていくジーパンのように、年齢を重ねるごとに様々な役を演じて違った表情をみせてくれる草なぎのようだ。
●香取慎吾――「21世紀も、慎吾ママは不滅です!!」
2000年8月18日にリリースした『慎吾ママのおはロック』がヒットした慎吾ママ。
「慎吾ママっていうのは、男の気持ち100持ってるし、そこにどんどん、もう100になるまで女の気持ちもだんだん持ってきたっていう…。これはもう、いまだかつてないヒーローですね(笑)」
元気な挨拶と、チャーミングな笑顔ですーっと世間に溶け込んだ慎吾ママ。
「慎吾ママはホント、スタートしたばかりなので、『今後はもうないのかな~』ってところを見せておいて、もう、ありえないくらい活動したいなと」
2021年9月13日、事前告知なしにスタートした『ワルイコあつまれ』(NHK Eテレ)で再び慎吾ママが見られるとは! 変わらず元気な笑顔をみせて挨拶をする慎吾ママ、ページの見出しにあった通り“不滅”だ。
中居が10年を振り返る
「この10年間というのは、普通の人に比べれば内容が濃いという感覚ですし、そのぶん充実感でいっぱいです」(女性セブン/2001年8月9日号)記事にはこんな描写も。「ここまで話すと『ちょっと、待っていただけますか? ひげ剃ってこないと…』といって突然席を立った」。取材中にみせた中居のユニークな言動はいまなお健在だ。
初めて経験したメンバーの結婚。4人は木村を誘ってご飯に行こうと盛り上がっていたという。木村の結婚会見の夜、六本木の焼き肉店に行ったことや、会計のときに中居がカードで支払おうとしたら期限切れで、財布にあった1万円とマネージャーに借りたお金で無事にお会計を済ませたことなどが綴られていた。
香取が語るSMAP10年の軌跡
「10年前はまだマネージャーもいなくて、仕事も電車やスケボーで行ってた。ある時、SMAP6人分のスケボーを誰が持つかってジャンケンしたら僕が負けて、いちばん小さいのに両手に6枚持たされて、あれは本当に辛くて泣いたね(笑)」10年の歳月、年少者の香取は随分と大人になった。
「下積み。まだ下積みなんじゃないかな。これからの方がもっとSMAPおもしろそう。やっとカッコよくなってきたところだから。男としても。自分のその中にいるけど、メンバーのことはホントにカッコいいと思うし」
圧倒的な人気を誇るSMAP。メンバーの言葉の端々から感じるのは謙虚さ。人気に胡坐をかかずにどうしてこういう姿勢でいられるのか。
香取はメンバーを一言でこう表した。稲垣について、「ありのままでいられるのがカッコいい」。草なぎには「がんばりすぎ」、中居には「SMAPが大好き!」、木村は「カッコいい!」。
がんばりすぎと言われた草なぎ。
4月1日から草なぎの冠番組『チョナン・カン』(フジテレビ系)がスタートした。
(柚月裕実)
※次回の更新は11月15日(月)21時予定! レビューを更新しましたら、エキレビ!のツイッターでお知らせします
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柚月裕実
Web編集/ライター。ジャニヲタ。アイドルがサングラスを外しただけでも泣く涙腺ゆるめな30代。主にKAT-TUNとNEWSですが、もはや事務所担。
@hiromin2013