中村雅俊(75)の妻で女優の五十嵐淳子さんが4月28日に急病のため73歳で亡くなったと、中村の所属事務所ノースプロダクションが2日に発表した際、中村はこうコメントした。


《俺の人生最大のラッキーは妻と出会ったことでした。

その妻を亡くすことなど考えたことがなくて、今はその現実を受け止めることができません。これから少しずつ前を向いて生きて行こうと思っているので、今はただ静かに見守ってください》


 五十嵐さんは1970年代に一世風靡した清純派の美人女優として知られ、中村は1975年に日本テレビドラマ「俺たちの勲章」での共演で知り合い、ひと目惚れだったと報道などで語ってきた。


「楽屋であいさつをしたとき、その場ではそっけなく『うーす』と返したものの、彼女が去ったあと『え~かわいー』と大はしゃぎしたそうです。翌76年には映画『凍河』で恋人役を演じ、77年に結婚。雅俊さんは24歳、五十嵐さんは22歳でした」


 とは、元スポーツ紙の芸能ライター。


「いわゆる『デキ婚』で、五十嵐さんは結婚当時、妊娠5カ月。その後、1男3女に恵まれましたが、当代きってのアイドルとの結婚には周囲から猛反対されたそうです。人気絶頂期の2人でしたが、結婚によって、人気が落ちると言われていたからです。そして『仕事がなくなるぞ』とも言われた通り、雅俊さんはファンクラブ会員が1万人から1800人に減って驚いたと振り返っていますね」(同)


「おしどり夫婦」「昭和の理想夫妻」などと呼ばれることになる夫妻も、船出は必ずしも祝福されるものではなかったようだ。


松田優作をも虜にした伝説の美女


「それでも雅俊さんが結婚を急いだ背景として、おめでたのみならず、松田優作さんとの三角関係もメディアで取り沙汰されていましたね」と、夫妻を知る芸能関係者はこう言う。


「五十嵐さんがゲスト出演した『俺たちの勲章』は雅俊さんと優作さんのW主演で、淳子さんに好意を寄せたのも雅俊さんだけじゃなかったという恋の噂です。3人で食事に出かけていたという話もあり、当時の芸能マスコミは『五十嵐を巡って、中村と松田がライバル関係になった』とか『松田は中村に対して口もきかなくなった』など報じ、三角関係として、こぞって書き立てた。

結婚式では、優作さんが『乱入』し『殴り込み』したと、司会の徳光和夫さんがネタとして、よく語っていました」


 五十嵐さんはこの噂について「そもそも(松田から)デートの誘いを受けたこともない」「三角関係は事実ではない」などと否定していたというが、スター俳優の松田優作をも虜にしてしまうくらい、美しく、輝いていたということだろう。


「結婚後、家庭に入ったあとも、オファーが途切れることはなく、1988年にドラマ『教師びんびん物語』で女優復帰し、再び表舞台に。還暦を過ぎてからは、フラワーショップを開いたり、美容関連の仕事もはじめ、そのスタイルや肌の美しさを保ち続けた。淳子さんを『お姫さま』などと称して、あこがれてきた同級生や芸能関係者は数知れず、今回の訃報に大きなショックを受けていますよ」(同)


 訃報を伝えたサイトには、こう記されている。


《あまりに突然の出来事に、ご遺族一同、未だ深い悲しみの渦中におります。今はただ、故人の冥福を祈り、静かに見守っていただければ幸いです》


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