「自分ではあまり実感がないんですが、皆さんに“父上”とか“パパ”と声かけていただいてます」

6月22日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でそう語ったのは『鎌倉殿の13人』(NHK)で主演・小栗旬(39)演じる北条義時の父・北条時政を好演中の坂東彌十郎(66)だ。黒柳から身長を聞かれ183センチと答えた後、「歌舞伎界で49年になるんですが、ずっと身長は一番です。

身長だけですね」と苦笑いしていた。

「彌十郎さんは大河ドラマはもちろん、初の連ドラ出演でした。抜擢理由は『時政は彌十郎さんで』という三谷幸喜さんの鶴の一声だったと聞いています。’19年に三谷さんが作・演出を手掛けた歌舞伎作品に出演した彌十郎さんの存在感に感銘を受けたそうです」

そう語るのはNHK関係者。

「当初は撮影シーンがバラバラで放送どおりの順序ではないテレビドラマの現場に戸惑っていました。そこで、彌十郎さんは長男役の片岡愛之助さんや、梶原景時役の中村獅童さんら歌舞伎役者の後輩たちに助言を求めたそうです。

また、妻・りく役の宮沢りえさんについて“歌舞伎では女優さん相手に芝居をしたことがないから、共演当初は緊張感が半端なかった”と苦笑いしていましたね。ロケでは傾斜の激しい山中での立ち回りで左ふくらはぎの肉離れを起こして病院へ行くハプニングもありました。それでもテーピングをして次の撮影も遅れることなく無事乗り切っていました」

何があっても仕事に穴をあけてはならないという信念は歌舞伎界49年の経験のたまものだとか。

■小栗は放送前から“父上”のブレイクを予言していた

「小栗さんは撮影現場で常に謙虚な彌十郎さんを『父上』と慕い、迫真の演技を目の当たりにして『(放送後)すごいことになります』と周囲にブレークを早々と予言していました」(制作関係者)

愛嬌ある役柄で、いまや「時政パパ」として視聴者から絶大な支持を受けている彌十郎だが、長年秘めている“夢”があるという。

「それは大名跡・守田勘彌の襲名なのです」(歌舞伎関係者)

“超遅咲き”の彌十郎は、実父の影響で歌舞伎界入りそのものに苦労をした経緯がある。

先の『徹子の部屋』で彌十郎は歌舞伎デビューが17歳と遅れた理由をこう語っている。

「父(坂東好太郎)が映画に行ってたのもありますけれども、歌舞伎へ戻ったころは僕はそのころから大きかったものですから、子役に出られる大きさじゃなかった。中途半端で大人の役ができる年まで待とうってなって……」

寸法が合う着物もなく、衣装屋さんに怒られることも。

「何人でひと組っていうような舞台の出方をしますと、演出の方に『そこのデカいの邪魔だ、端っこ行かっしゃい!』とか言われて、随分悔しい思いをしました」

歌舞伎一筋で生きていく決心をした彌十郎は、親戚筋の八代目坂東三津五郎の預かりに。

「しかし、その直後の’75年、三津五郎はフグ毒に当たって急死。続いて面倒を見てもらった十四代目守田勘彌も、また2カ月後に亡くなってしまったのです。『どういう運命なんだ!?』と自らの境遇を嘆くこともあったとか。

そのため、父親と一緒に山本富士子さんや杉良太郎さんらの商業演劇を回る日々が続きました。’83年にようやく、父親の尽力で市川猿翁の門下に入ったのです」(前出・歌舞伎関係者)

かわいがられた十八代目中村勘三郎一門の作品にも出演するようになり、歌舞伎界では知る人ぞ知る存在となったのだ。

「銀幕スターの父が名乗った坂東好太郎は、残念ながら歌舞伎界では“脇役”の名前です。

彌十郎さんは下積みが長く歌舞伎界に強い愛着を持っています。それだけに祖父・十三代目守田勘彌、そして弟子入りした十四代目勘彌への“恩返し”のためにも十五代目襲名へ意欲を示しているそうです」(別の歌舞伎関係者)

■初代尾上松也は十四代目勘彌の元芸養子だった

ただ、本来なら十五代目襲名に最も近い高名な歌舞伎役者がいる。十四代目の養子である坂東玉三郎(72)だ。

「しかし、玉三郎さんは『生涯、玉三郎を貫く』として勘彌を継ぐ意思はないと聞いています」(大和屋関係者)

一方で勘彌に関心を寄せるもう一人の歌舞伎役者がいるという。

「それは、守田家とは何かと縁のある尾上松也さんです。松也さんの父親・尾上松助さんは二代目尾上松緑さんに師事。本来なら松助の名を継ぐのでしょうが『松助は継がなくてもいい』という父の遺言があったそうです。

いまや松也さんは歌舞伎座の主役まで務める幹部となり、格上の名跡を探していたようです。叔父の初代松也さんは十四代目勘彌さんの元芸養子でした。松也さんの妹で劇団新派の春本由香さんも、十四代目守田勘彌の長女・水谷八重子さんに師事する縁もあり、勘彌の襲名を希望していると聞いています」(後援会関係者)

現状の歌舞伎界を冷静に見れば、確かに彌十郎、松也ともに大名跡・勘彌襲名を意識するポジションにいることは間違いない。

「彌十郎さんは『父ゆかりの大名跡は他の役者には譲れない』と考えていたそうですが、正直、『鎌倉殿』以前の彌十郎さんは一般的には知名度が低かった。66歳という年齢的にも十五代目の襲名は現実的ではありませんでした。松竹サイドも当初は“松也なら”と考えていたようですが、『鎌倉殿』のブレークで人気が高まっている彌十郎さんの十五代目襲名ががぜん現実味を帯びてきました」(前出・歌舞伎関係者)

“優勢”となった彌十郎だが、襲名興行は大名跡なら年に1人だといわれているという。

「長らく延期されていた市川團十郎白猿の襲名興行が今年11月から行われます。これで本格的に歌舞伎座に客足が戻ってきてほしいのが本音です。

歌舞伎熱が冷めやらぬうちに次の襲名興行でも話題を呼ぼうと“團十郎の次は、彌十郎の守田勘彌で”と水面下で動いているようです」(前出・歌舞伎関係者)

鎌倉幕府の初代執権にまで上りつめる時政だが、果たして彌十郎自身は、十五代目守田勘彌の座に就くことができるのか――。

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