■3歳児が異様に怖がる意外な場所
3歳児Kは、慎重な性格だ。
はじめての料理には口をつけない。ストライダーに乗っても、同年代の子に比べて、スピードは抑え気味だ。はじめて足を運んだ公園で、ジャングルジムや、滑り台などの新しい遊具に一度は上ってみるものの「Kには、まだ早いから」と言ってすぐに下りてしまう。
慎重というより、臆病なのではないか。そう感じる瞬間もあるが、無茶な冒険をしたがらない慎重な3歳児は親としては安心だ。
しかしあまりの慎重さが、私たちを悩ませる。慎重すぎて、遠出ができないのだ。
原因が、トイレだ。
3歳になった頃には、日中のオムツは必要なくなった。家のトイレでは、おしっこもうんちもできるようになった。
だが、ハードルとなっているのが、外出先のトイレ。
Kは知らないトイレに入るのを極端にイヤがる。外出する際にはオムツをはかせたいのだが、イヤがる日も少なくない。外出前にトイレを済ませたとしても、行動範囲が限られてしまう。
■「トイレを怖がるお子さんは多い」
ある日、Kの足に湿疹が出た。皮膚科で診察を受けたあと、処方箋をもらうために待合室で待っていた。
「トット(父である私のこと)、おしっこ」
そう訴えるKの手を引いて、トイレに連れて行った。
「ここでしよう」と促したが、「こわい。おうちにかえる」と言って聞かない。
「怖くないよ」と実演して見せたが、Kは頑なに言い張った。
「でも、こわいの。Kはおうちのおトイレがいいの」
「かえるって言ってるでしょ!」
病院でおしっこをもらすわけにはいかない。
私が逡巡している間も、Kは「おしっこ」と股間を押さえている。
やり取りを見ていた受付の女性が笑って「いま出しますからね」と言って、すぐに処方箋を出してくれた。
その日はなんとか間に合って、事なきをえた。しかしKの要望で自宅から離れた公園に向かう途中、「おしっこ」と言い出して慌てて引き返したり、外食を途中で切り上げて帰宅したりしたこともある。Kが外出先のトイレを怖がるようになり、10カ月近くになる。
Kがもう少し成長すれば、解決する問題なのだろう。だが、いつまで続くのか。
トイレに対するKの恐怖心を取り除くにはどうすればいいのだろう。
『安心感が子どもの心を育む』の著者で、東京大学大学院で教育学の教鞭を執る遠藤利彦先生は「トイレを怖がるお子さんは多いんですよ」と切り出した。
■恐怖の正体とは
「トイレの個室に閉じ込められる感覚に怯えたり、外出先のトイレにいるたくさんの人に恐怖を感じたりするお子さんもいます。個室に1人になっている間に、お父さんやお母さんがいなくなってしまうのではないか、と不安を覚えるお子さんもいます。
心がけてほしいのが、トイレに限らずに、お子さんが怖がったり、不安がったりしているときに、何が怖いのか、何が不安なのか、知ろうとすること。トイレが怖いと言っても、恐怖や不安の原因はお子さんにとってまったく違うんです」(遠藤先生)
なぜ、外のトイレがイヤなのか。以前、Kに聞いたことがある。
「『ボー』ってなるでしょ。Kはね、あれがこわいの」
“ボー”とは、商業施設などのトイレに設置されているハンドドライヤーの音らしい。しかし先述した病院のトイレにはハンドドライヤーはなかった。
「ここのトイレには、ボーはないよ」と説明したが、「かえる」と譲らなかった。
かつて耳にしたハンドドライヤーの音が、あまりにも恐ろしくて、Kのなかで外出先のトイレとハンドドライヤーが結びついているのかもしれない。遠藤先生は言う。
「大人の目線では何が怖いのか、理解しにくい面もありますが、一歩踏み込んで恐怖の理由を理解して受け止めてあげる。そうしたプロセスでお子さんは安心感を持つんです」
■克服のためにかけるべき言葉
では、どのようにトイレの恐怖を克服すればいいのか。
「大袈裟(おおげさ)に考えなくてもいいと思いますよ」と遠藤先生は答えた。
「ハンドドライヤーの音が聞こえてもそばにお父さんやお母さんがいて、自分が守ってもらえると思えれば、徐々に克服できるようになるはずです。
怖がったときは『一緒にいるよ』『音は怖いけど、痛くないから大丈夫だよ』と話してあげてもいいですし、実際にお父さんとお母さんがハンドドライヤーを使う様子や、音を怖がらない同じ年頃の子どもの姿を見れば、そんなに怖くはないと分かります。それでも音が怖ければ、使わなければいいんだ、と学んでいくのではないでしょうか」
遠藤先生の指摘は、アタッチメントを考える上で重要なポイントだ。
アタッチメントとは、怖くて不安になったときに、特定の決まった人に一緒にいることで、安心感をえて、感情の崩れを調整すること。『安心感が子どもの心を育む』では、アタッチメントの特徴を5つ挙げている。
1、特定の相手との間で形成される。
2、子どもの不安や恐れに応答する力をもつ
3、安全な避難場所と安心の基地という2つの役割がある
4、探索行動を支える基盤となる
5、生涯発達の土台となる
■信頼する大人がいるから成長できる
子どもが信頼する大人は、不安や恐怖を覚えた子どもの安全な避難場所の役割を果たす。
遠藤先生は言う。
「安心感に浸れているお子さんは、『あれがしたい』『これがしたい』という好奇心がどんどん膨らんでいきます。そんなお子さんは、夢中になっていろんなことにチャレンジができる。逆に、不安や恐怖をずっと抱えていたら、新しいことに興味を向けたり、自由に遊んでいる余裕なんてありません」
これは身に覚えがある。私の実家に帰省したときのことだ。
「トット、ちょっとこっちきてよ」とKに呼ばれた。
どうやらふだんは物置にしている部屋に入りたかったらしい。その部屋は薄暗く、ふだんは誰も入らない。1人で入るのが、怖かったのだろう。
つまりKは、不安を抱えながらも、未知の部屋を探検したかった。だから私を呼んだのだろう。
そう思えたのは、もうひとつのKの成長に関する不安を遠藤先生に相談したからだ。
それもまたトイレの話だ。
■子どもの成長は行きつ戻りつ
冒頭で、Kは3歳になった頃にオムツが外れ、トイレでうんちもできるようになったと書いた。ウソではない。けれど、最近は少し様子が変わった。
うんちのとき、わざわざオムツをはく。せっかく便器でできるようになったのに、なぜなのか。不思議だった。保育園では便座で用を足しているからなおさらだ。本人が「オムツがいい」と言っても、トイレでさせるべきなのだろうか。遠藤先生に聞いてみた。
「基本的に子どもの成長は行きつ戻りつです。一本道で育っていくわけではありません。二歩進んだと思ったら、一歩下がるそんな感覚で見守っていけばいいと思います。なかには保育園や幼稚園でできるのに、なぜ、おうちではできないんだと責める親御さんもいるそうです。でも、責める必要はないんです」
■外ではできるのに家だとできない
「お友だちや先生と遊ぶ園は楽しい場所であると同時に、お父さんやお母さんと離れて、ムリをしている場合もあります。園でがんばって帰宅したら、ホッとする。お子さんにとって、家も安全な避難所であり、安心の基地で、自由に振る舞える場所なんです」
確かに。それは大人も同じだろう。遠藤先生はこう話を締め括った。
「おうちと外で行動が違っても、そんなに心配する必要はないですよ」
先生の言葉が現実になるのは数日後だった。
その日、私たち家族は電車に乗って、少しだけ遠くの公園に足を延ばした。Kのトイレ問題を考慮して、昼食を食べたらすぐに帰宅するつもりだった。
ハンバーガーを食べ終わり、電車に乗る前にダメ元でKに声をかけた。
「K、トイレ行ったら」
「うん」
Kは母に手を引かれて、あっさりとトイレに消えた。あまりにも自然すぎて拍子抜けした。外出先のトイレに振り回された、この10カ月はなんだったのか。笑いがこみ上げてきた。これが、成長なのか、と。
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遠藤 利彦(えんどう・としひこ)
東京大学大学院教育学研究科教授・教育心理学者
山形県生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。聖心女子大学文学部講師、九州大学大学院人間環境学研究院助教授、京都大学大学院教育学研究科准教授などを経て、2013年から現職。専門は発達心理学、感情心理学、進化心理学。NHK子育て番組「すくすく子育て」にも専門家として登場。
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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。
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(東京大学大学院教育学研究科教授・教育心理学者 遠藤 利彦、ノンフィクションライター 山川 徹)

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