生い立ちや職場環境などの影響もあり、37歳でうつ病になった女性。その後、21歳上の夫も同じ病に。
夫婦は仕事を辞め、自宅で療養生活を送った。時は流れ、80代になった夫は12時間徘徊するなど認知症の症状が悪化したが、66歳になった女性は現在も献身的な介護を続けている。その理由とは――。(後編/全2回)
前編のあらすじ】松竹夏子さん(仮名・現在66歳)は、家庭内いじめを受けて育った。男の子が欲しかった両親からは「お前は川で拾った子」となじられ、姉からは叩かれた。一方で、幼少期から音楽の才能に恵まれ、音大に進み、卒業後は音楽療法を実践する施設に就職。さらに音楽療法を学ぶため、アメリカ留学を考え、語学学校に入学。そこで21歳年上の男性と出会い、28歳で結婚。しかし37歳の時、職場の先輩からいじめに遭いうつ病に。休職した後、退職した。夫も63歳で病になり、人生の歯車が狂い始めた――。
■初めての要介護認定
1990年代半ばに松竹夏子さん(仮名・現在66歳)も夫(現在87歳)もうつ病で仕事を辞めた。
夫婦の収入は主に語学学校の職員として長年働いた夫の年金とわずかな貯金のみだったが、何とか食いつないだ。楽しみは、飼っていたチワワ3頭の散歩、そしてたまに行くドライブや旅行だった。
2010年。72歳になった夫は、月一度の通院投薬は継続するが、ようやく病気が落ち着き始めたため、野良犬だった犬を保護する「保護犬」の活動を始めた。
2020年。夫は80代に入り、足腰の痛みを強く訴えるようになった。しかし、整形外科を複数受診するも、いずれも「異常なし」と診断され、精神科医から漢方薬を処方されるのみだった。
「年齢とともに気難しく、わがままが目立ち、自己中心的になりました。歩道を歩いていて自転車に邪魔されると憤慨して、自転車に乗っている人に直接抗議したり、同行する私に怒りをぶつけたりすることが多くなりました。私はそれが嫌で、一緒に散歩に出かけなくなりました。勝手に散歩して、勝手に憤慨していればいいと思いました」
精神科医から「要介護認定を受けたらどうか」という話が出始めたが、夫は強く拒否するため、なかなか受けることができなかった。
そして2024年。
松竹さんが、「要介護認定を受けることを主治医から強く勧められているんだけど、受けても必ずしも利用しなくても良いから、受けるだけ受けてみない?』と伝えると、夫は渋々受け、結果は「要介護1」だった。
「要介護認定の結果が出た後は、『使わないと権利が消滅するから、週に一度だけ訪問リハビリに来てもらおう』と説得しました。ちょっと嘘をつきました」
夫は抵抗したが、松竹さんは訪問リハビリを依頼。だが本人にリハビリの意欲は全くなく、「必要ない」「自分で歩く」「いつまでやるんだ」という調子だった。
だが、このリハビリがきっかけで、夫は左右の足の長さに大きな差があることに気づく。
「訪問リハビリの理学療法士さんが言うには、『変形性股関節症』だそうです。これは脚が短くなったのではなく、骨盤に大腿骨がめり込んだ状態で、手術しか治す方法がないと言われました。でも、夫は精神的に不安定で、整形外科を受診することは難しく、手術なんて無理です。そこで私は、専門の靴屋さんを探し、自宅で計測してもらい、『補高靴』を作っていただきました。とても丁寧な対応で、比較的安価に短い脚をサポートする靴が出来上がり、夫は愛用しています」
この補高靴(整形靴)の作成費用は、外反母趾、リウマチ、障害足など、足の疾病の治療や改善のために、医師が診断に基づいて治療上、靴型装具が必要と認めた場合に、健康保険制度が利用できるとされている。
「でも実際は、医師が処方する『装具としての靴』は15万円程度かかります。保険適応のハードルはとても高く、かつ、一足しか保険がきかないので屋内用も必要な場合は私費になります。
専門の病院は予約制の上、紹介状が必須。予約を取るにも何カ月もかかることがわかり、受診はあきらめました。最終的には、持っている靴の修正で済み、15万円もかかりませんでした」
この靴を履くようになって、夫は曲がった背中がだんだんまっすぐに戻っていった。
■12時間以上行方不明になった夫
2024年秋。86歳の夫はスマホを忘れて出かけることが増え、やがてスマホが鳴っても出られなくなる。それでも、一人で歩行器を押して、近隣の歯科への通院はできていた。
10月になると、通院の予約が入っているのをすっぽかすようになり、スケジュール管理を任せられなくなる。
トイレに間に合わず、下着だけでなく、場合によってはズボンを濡らすことが増えた。
「『トイレが空いていなかったからいけないんだ! 前のやつが出てこなかったんだ!』とユニバーサルトイレの少なさや他人に文句をつけていました。洗濯物が山になり、説得してリハビリパンツを導入したのは12月のことでした」
まだこの時点で精神科医は「一人での電車移動は可能」と判断していたが、夫が老年科の通院で午前中に出かけた後、家がわからなくなり、日付が変わった午前2時近くまで帰ってこなかったのだ(前編参照)。
この日をきっかけに、松竹さんは夫に1人での外出を禁止した。夫も不安があったようで、「夏子が付いてきてくれるほうが安心だ」と納得。
2025年になると夫は、認知症が一気に進んだ。
「方向感覚がまるでなくなり、短い距離でも外に出ると、家と反対に歩き始めました。『もう怖いから出かけない、散歩も行かない』と言うようになり、時間の感覚も怪しくなっていました。困っていることを人に説明する能力も残っていませんでした。強がっていたのは、プライドが高いせいだと思います」
夫は何をするにも、どこへ行くにも、「夏子と一緒がいい」と言った。
「1月の行方不明から、主治医に勧められてデイサービス開始につなげるまで、一人では何もできない大きな子どもとなった夫にべったりとくっつかれ、私は地獄の日々でした。2025年4月末にデイサービスにつなげた後も、プライドが邪魔して素直になれず、夫は『なんで俺だけ行くんだよ』とキレていました」
■「私の自由がなくなる」
夫は週1回の訪問リハビリと、月に1回の訪問看週に加え、週3回デイサービスに通い始めた。デイサービスで夕食も入浴も済ませてくる。
「一度、夫は浴室で大便を漏らし、それを隠蔽しようとして適当にシャワーで流し、知らん顔で出てきまして……。次に入ろうとした私が、茶色に濁るバスタブ、排水溝に残る大量の大便に気づき、ものすごく怒りました。その時に、『何か困ったことがあったら、怒らないから私を呼んで。隠そうとするから余計に酷いことになる』と言い聞かせたら、それ以降は何でも私を呼ぶようになりました。
でもそれは、『私の自由がなくなる』ということでもありました」
夫はもう、リハビリパンツを履いても、「便が出た」という感覚がわからなくなっていた。
「予定のない日は8時半頃夫を起こし、朝食。昼までの間、私は家事、夫はぼんやりリビングに座っています。ここで困るのは、デイサービスのスタッフさんの悪口などを言い始めると止まらなくなることです。そして、『記憶のすり替え』というそうですが、実際には意地悪なスタッフさんなんていないのに、仮想敵のようなものを作ってしまい、特定の人を悪者に仕立てて『あいつはひどい』とひたすら訴え続けるのです。この件では誤解が生じないように、デイサービスの責任者と話し合い、ケアマネさんとも情報を共有しました」
昼ご飯の後は、愛犬2頭と一緒に昼寝。愛犬たちは、夫が不機嫌なことが多かった頃は夫を避けていたが、最近は避けなくなった。
夕方に起きて、松竹さんは夕食の支度。夕食は決まって、夫が撮り溜めた「刑事コロンボ」を観ながら。
夫は自分で食べられるが、こぼす。途中でテレビに釘付けになって進まなくなる。トイレに頻繁通う。
などで、2時間近くかかることも。22時~23時には床についた。
「夫の睡眠時間は私の自由時間です。以前は寝るのを拒否するなど、私を縛り付けるような言動が目立ちましたが、最近は『とにかく施設に入りたくないから頑張る』そうで、言うことを聞いてくれるようになりました」
2025年4月。87歳になった夫は要介護2に。1人で着替えさせると脱いだ服をもう一度着てしまったり、服薬したのに「飲んでいない」と言い張ったりするなど、物忘れがひどくなった。
同じ話を何度も繰り返す夫に疲弊し、一緒にいる時間を減らそうと考えた松竹さん(66歳)は、利用しているデイサービスのスタッフに「空きが出た日は連絡ください」と伝え、自由時間の確保に努めた。
「介護サービスの利用を増やしたいのですが、通っているデイはいっぱい。ショートステイもなかなか空きがなく、2026年1月にようやく2泊3日で利用してみましたが、『うるさい人がいるからもう行きたくない!』『デイのほうがいい』と、夫は大変不機嫌になりました。それもそのはず。日中はほったらかしで、車いすに座っているだけの時間が永遠に続くわけで、機嫌が悪くなるのは当然のこと。もうショートステイは当面無理でしょう。もっと病状が重くなれば別ですが……」
■老老介護が抱える問題
今年夫は88歳に。松竹さんは67歳になる。65歳以上の高齢者が、65歳以上の高齢者を介護する状態を「老老介護」という。
「今でも私たち夫婦はお互いに『今幸せかどうか』を確認し合っています。夫は『夏子が何でもやってくれて、俺は幸せ者だ。愛している』と言葉に表してくれますし、『ありがとう』ともよく言ってくれます」
そんな松竹さんの今一番不安なことは、お金のことと、松竹さん自身の体力・気力のことだと言う。
「問題は、『介護するにもお金がかかる』ということです。私たち夫婦は、国民年金だった期間が長かったので、年金が多くはありません。持ち家なので家賃は要らないですが、最近の物価高で食費が重くのしかかります。贅沢はしませんが、必死にやりくりしています」
貯金は数百万円あるが、生活は2人で月20万円ほどの年金で回している。
「ヘルパーさんは、夫の食事の用意や夫の部屋の掃除はやってくれますが、1日の大半を過ごすリビングや夫婦の寝室の掃除はやってもらえないなど、制限が多いです。私が入院などすれば頼めますが、夫はもう、1人では暮らせません。最近は、私自身の体力と気力の限界を感じていて、浴室や換気扇の掃除などはもう、1年以上やっていません」
元気な頃は夫がやってくれた、高いところの掃除や電球交換などは、シルバー人材センターに依頼した。
「気持ちの面でつらいのは、子供返りしてしまった人としてなら夫と話し合えますが、大人として話し合うのは難しいということ。悲しいです」
■介護者として大事にしていること
現在の夫は、短時間の留守番はできるが、その間に1人で飲食することはできない。
「デイサービスのない日は、夫が起きている間は“フルタイム介護状態”です。だから自分を楽にするために、あえて夫には『施設に入りたくないなら私の言うことを聞いて』と言って、自分の時間を作ることに努めました。同じ屋根の下にいても、別の部屋で軽く昼寝をしたり、YouTubeを観たり、趣味に没頭したりしています。それでもたまに、『どこにいるの~?』と大声で探されますが……」
松竹さんはうつ病になって退職した後、38歳でフルートを習い始め、60代になってからは、チェロを習い始めた。
「素晴らしい先生との出会いもあり、日々充実しています。レッスンの間、夫はデイサービスです。お土産の菓子パンやチョコパイを楽しみにしてくれています。今、思い切り音楽に打ち込むことが、私のエネルギーになっています。主治医からも、『介護者が何かをあきらめてはいけない』と言われています」
厚生労働省による最新データ(2022年)によると、男性の健康寿命は72.57歳、平均寿命は81.05歳。松竹さんの夫は88歳で要介護2なら、かなり元気なほうだ。
松竹さんは最期まで夫を在宅で介護したいと考えている。
「主治医からは『要介護3になったら特養を』と勧められていますが、特養に入る=ラッキーというわけにはいきません。特養に入れば、最低限、国の決める基準でスタッフが配置され、食事とおむつの世話、お風呂は週2回と決められ、ケアは最低限になってしまいます。かといって、有料老人ホームにも現状、夫を預けたいホームはありません。お金があったとしても、豪華なシャンデリアは必要ない。一番は、介護スタッフのきちんとした処遇、そして、その人たちが心からケアしてくれる環境。それがあってこその介護だと思います」
介護は被介護者が優先されがちだが、筆者はむしろ介護者を優先し、介護者が納得のいく介護をすることが重要だと考えている。なぜなら、被介護者を看取った後も、介護者の人生は続くからだ。
近年は、特養にもさまざまな施設が登場している。一部の施設を見て全てを判断するのではなく、限界を迎える前に既成概念を取り払い、実際に複数の施設に足を運んでみてほしい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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