クマと人間は共生することができるのか。クマに9回襲われた経験を持つNPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦さんの著書『家に帰ったらクマがいた』(PHP新書)より、クマと遭遇したエピソードを紹介する――。
(第2回)
■3メートル以内に潜むメスグマの気配
昔は私も、クマにどんなことをすれば危険なのかわからなかったので、随分無茶したものだ。1988年12月、私はメスグマたちの越冬穴探しに必死だった。その年はドングリ類が凶作だったのでメスグマたちは栄養状態が悪く、出産しないはずだと思っていた。このメスグマは、私たちが4年間、必死に追い続けていた。
23日、学生4人と共に3時間かけて、積雪2メートルの登山道をラッセル(雪をかきわけ、踏み固めながら道をつくること)した。さらに秋田市太平山の旭川の激流を渡ると対岸は垂直の崖なので小枝をつかみ、小岩の出っ張りに爪先を乗せて体を押し上げ標高600メートルを疲労困憊の体で尾根に出た。アンテナを回すと受信機が飽和して、クマのいる方向がわからない。
「尾根の上とかにいるときの電波特性だ。まずメシを食うべえ」
雪の長い盛り上がりがあって、下には太い倒木が横たわっているようだ。そこで並んで弁当を開け、学生たちと茶を回して飲んだ。
「捕まったとき、いやだいやだと泣くやつでな、登山道に近いから、このまま置いちゃおけねえと思ってモッコに乗せて、オメエたちの先輩と遠くへ運んだんだ」
学生のうち3人は5年間、危険かつ過酷なクマ調査を手伝い、北海道と広島でのクマ追跡に参加して留年組となる。
■知らずにクマの真上で弁当を食べていた
アンテナのコネクター部分が雪で濡れるのを防ぐため、ビニール袋に入れようと外したのに受信機は「こん、こん」と力強いパルスを打った。
愕然!アンテナを外しても、この強さなら3メートル以内にメスグマがいるはずだ。私は受信機を手に慎重に雪原を歩いた。皆が座っている長い雪の盛り上がりを受信機でなぞると、学生のT君の尻の下で最大感度となった。
ぞっとして皆の顔を見た。ここへ座って20分間、弁当を食ってクマたちの話をしていたのだ。私は雪の下を想像した。倒木だから長い雪の盛り上がりの尾根側が高いので、こちら側が入り口だ。
「ええか、入り口に雪を詰めて固めてしまえ」
4人はスコップで雪を猛烈に搔き集め、入り口を踏みつけてかちかちに固めてしまった。
その次に、倒木全体を雪で固めていった。この時代はまだ、クマ撃退スプレーを所持していなかった。クマに襲われたこともなく、その恐怖を知らないからか無限の力を発揮できるようだった。
「小さな穴を開けて俺が中をのぞく。
クマが出ようとしたらスコップを入り口に立てろ。クマは内側に引き込むはずだ。クマは自分で自分を閉じ込めるんだ」
スコップを肩に担いだ学生最年長のT君の髭面が笑った。
■震えは人間への恐怖ではなかった
棒で3センチメートルほどの穴を開けて電灯の光を差し込むと、3メートルほど奥にクマの目が光る。クマは土管状の穴の奥で丸くなっており、凶作年とは思えないほど肥(ふと)っていた。
「いたいた、震えているぞ」
クマを見て皆、笑った。そういえば秋田で越冬中を観察した多くのメスグマも震えていた。
クマが我々を恐れて震えているのだと、ずっと、ずっと思ってきた。
しかし、そうではなかった
あれから30年後、アメリカでの観察報告の中に「越冬クマは体温が下がり過ぎるのを防ぐため時々震える」とあった。あのクマたちは全身に温かい血を巡らして、我々に反撃しようとしていたのだ。
■クマと「ダルマさんが転んだ」
山野でクマに会うと、クマはさほど視力が良くないと思えることが起こる。クマがこちらから視線を外したら私が数歩クマに向かっていき、こちらを直視したら止まることを繰り返して直近まで近寄る。
いわば「ダルマさんが転んだ」みたいにして10メートルほどまで近づくと、クマは怒りを振りまいて慌てて逃げる。
クマは数秒前の位置といまの位置との差が測れないようで、深視力が弱いのではないか。すなわち、前後の距離感をつかみにくいのだ。このことから私は、クマと遭遇したときの対処法として「正対しながら後ろに下がる」方法を提案している。
春先の澄んだ大気の中で残雪上という条件なら、クマは500メートル離れた私を発見して逃げた。この場合、「見えた」というより私たちの動きを「察知した」感じだ。私は30代の頃は、800メートル先のクマやカモシカが見えたものだ。
森林に棲むツキノワグマは遠くの獲物を視力で探し出す必要がなく、目先の昆虫や果実類を食べるし、鼻を天に突き上げて臭いで状況を確認している。それでいて、距離5メートルの樹上にいるクマが樹下の私たちに気がつかないこともある。私はクマの観察の際、つねに被害対策を念頭に置いている。
■クマ避けベルを鳴らした時の意外な反応
1998年4月上旬、島根県匹見町(ひきみちょう)で越冬中の母子グマを観察し続けた。植林木へ巻きついたツルを切りに入った林業者たちが見つけたものだ。
沢筋にはすでに草萌が広がっていた。対岸の尾根の上に陣取って越冬場所を見ると、斜面にあるただの窪地で雨に打たれる構造なのに、寝床は鳥の巣状にススキを厚く敷いただけだ。
ここから30キロメートルほど北にあるアメダス測候地点では2月28日以降、積雪深がゼロだ。この冬、西日本では戦後2位の暖冬になっている。クマまでの距離は沢を隔てて50メートルほどだが、手前にある杉の幼木が邪魔をしていて姿が完全に見えるわけではない。クマが何に反応するか確かめるため、いろいろと試してみた。
大出力のラジオには反応がない。南部鉄でできたクマ避け鈴と称して販売している鈴の音にも反応がないのは意外だった。登山者がザック(リュック)につけている梵鐘(ぼんしょう)型のクマ避けベルは高音域が鋭く、クマは頭を上げた。
鉄板を成型したカウベルはがらがらと鳴るが、まったく反応がない。クマ避けに販売されている黄色いプラスチック製と運動会用の金属製のホイッスル音には首を回すが、吹き続けるのは息が切れた。
■観察者が明かすクマの素顔
この時期、母グマは子グマを腹の下から出そうとせず、また穴からも出ない。
母子グマということを考慮して、爆竹は使用しなかった。各種のクマ避け機材のテストの成果は芳しくなかった。次に、観察者のどのような動きに反応するかを試した。
こちらの様子がよく見えるようにし、まず笛を吹いてクマがこちらを見ている瞬間、私は立って両手を左右に振ったが、クマはすぐに丸くなった。続いて、ジャケットを枯れ木の先に結んで振った。今度は、はっきりとこちらを見た。
クマの興味が、振る旗の面積に比例するのかを確認するため翌日、竹竿と2平方メートルのシートで旗をつくって振った。最初の15秒ほどはこちらを見続けたが、その後に寝てしまった。ほかにはこのクマの気を引く方法を見いだせなかったので、ずっと座って観察を続けるだけだった。
私とクマとの距離50メートルの間に深い沢が横たわっていたので、絶対的な安心感があったようだ。このクマは私が観察しているということで駆除はされず、母子は4月下旬に旅立った。

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米田 一彦(まいた・かずひこ)

NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長

1948年青森県十和田市生まれ。
秋田大学教育学部卒業。秋田県庁生活環境部自然保護課勤務。86年に退職し、フリーの熊研究家となる。多数の助成により国内外で熊に関わる研究・活動を行う。島根、山口、鳥取県からの委託によりツキノワグマの生息状況調査(00~04年)のほか、環境省の下でも調査を行ってきた。十和田市民文化賞受賞(98年)。日本・毎日新聞社/韓国・朝鮮日報社共催「第14回日韓国際環境賞」受賞(08年)。主な著作に『熊が人を襲うとき』(つり人社)、『山でクマに会う方法』(ヤマケイ文庫)、『クマ追い犬 タロ』(小峰書店)、『クマを追う』(丸善出版)、『絵本 おいだらやまの くま』(福音館書店)ほか多数。◎日本ツキノワグマ研究所

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(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長 米田 一彦)
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