『テトリス』は冷戦末期のソ連で生まれたゲームだ。なぜ世界中に広まったのか。
東京大学大学院教授でゲーム研究が専門の吉田寛さんは「単体としては『世界でもっとも売れたビデオゲーム』としてギネスブックで認定されている。70以上のプラットフォームに移植されていることや、220以上の公式バージョンがあることも世界記録だ」という――。
※本稿は、吉田寛『東京大学で教わるゲーム学入門』(世界文化社)の一部を再編集したものです。
■ルールの背後には数学的根拠
タイトル:『テトリス』(アレクセイ・パジトノフ、エレクトロニカ60、1985年6月)
冷戦末期のソ連で生まれたパズルゲームが世界中を熱狂の渦に巻き込んだ。「一度解いたら終わり」のパズルを、コンピュータの力で、半永久的に遊べるゲームへと昇華。競争や対戦の要素を加えたマルチプレイヤー版も登場。4つの正方形からなるブロック「テトリミノ」を組み合わせて消していくだけのシンプルなルールの背後には、計算された数学的根拠があった。ゲームがふだんの思考や夢にも影響する「テトリス効果」は研究者からも注目された。
■単体では「世界でもっとも売れたビデオゲーム」
『テトリス』は5億2000万本を売り上げ、『スーパーマリオブラザーズ』シリーズ(4億5000万本)や『マインクラフト』(3億本)を大きく引き離して、単体としては「世界でもっとも売れたビデオゲーム」として『ギネスブック』で世界記録として認定されています(なおシリーズものでは8億9000万本の「マリオ」シリーズが第1位です)。また70以上のプラットフォームに移植されていることや、220以上の公式バージョンがあることも、いずれも世界記録です。
『テトリス』は「落ち物」系パズルゲームの元祖です。ルールはごくシンプルです。
4つの正方形で構成されたブロック「テトリミノ」が1つずつ、画面上部から落下してくるので、プレイヤーは、それを左右に動かしたり回転させたりして、落下地点と向きを選びます。落下して地面に接したときに、ブロックが横一列に隙間なく並んでいると、その列は消えて、得点が入ります。
一度に消すことができる列幅(最大は4列)が多ければ多いほど高得点になります。ブロックが画面上部まで積み上がってしまうとゲーム終了となります。またゲームが進むにつれてブロックの落下速度が増し、徐々に難易度が上がります。『テトリス』には数多くのバージョンがあり、それぞれに細かなルールの違いが見られますが、以上はすべてのバージョンに共通する基本ルールです。
■世界各地で知られていた「箱詰めパズル」
4つの正方形で構成されたブロックは一般に「テトロミノ」と呼ばれます。「テトリミノ」はこのゲーム特有の名称です。テトロミノには全7種類の形状がありますが、『テトリス』のテトリミノは形状ごとに固有の色が決められています。4つではなく5つの正方形で構成されたブロックは「ペントミノ」と呼ばれますが、これを使った箱詰めパズルが古くから世界各地で知られてきました。
『テトリス』を開発したソビエト連邦科学アカデミーの科学者アレクセイ・パジトノフは、玩具屋で見つけた「ペントミノ」のパズルから着想を得ました。そのパズルをコンピュータで再現する過程で、パジトノフはブロックの正方形の数を5から4に減らし、また単にブロックを隙間なく敷きつめるだけでなく、1つの段が隙間なく埋まるとその段が消滅して下に詰まるというゲームのルールを思い付きました。

パズルは通常「一つの正解」が決まっており、「一度解いたら終わり」で、正解が分かればもうそれ以上は遊べません。それに対してゲームは「正解」が一つに定まっておらず、毎回、異なる展開を経て、異なる結果に到達します。そのためゲームは、パズルとは違い、何度でも繰り返し遊ぶことができるのです。
■「パズル」を「ゲーム」に昇華させた
この区別を踏まえるなら、『テトリス』は完全に「パズル」ではなく「ゲーム」です。プレイヤーは、毎回異なるパターンで落下してくるテトリミノを、左右に移動させたり回転させたりして並べて消していき、しかもテトリミノを消す度に、次のテトリミノの落下速度が上がって難しくなるので、どんなプレイヤーでも、それぞれの熟達度に応じて何度でも繰り返し、ほとんど半永久的に楽しむことができます。
『テトリス』のルールは、木やプラスティックで作られたアナログなパズルでは再現不可能です。『テトリス』は、システムの状態とモニター上の映像をリアルタイムに変化させることができるコンピュータの力を使って、「パズル」を「ゲーム」に昇華させたのです。
また「競争」や「対立」も、ゲームをパズルから区別する重要な要素です。パズルは基本的に「一人で遊ぶこと」を前提として作られていますが、ゲームは「競争相手」(それは人間ではなくコンピュータでもかまいません)との「対立」をその本質的要素として含みます。
■「落ち物」系パズルゲームの発展
『テトリス』には1人用のものだけでなく、2人同時プレイモードを備えたバージョンもあります。アタリのアーケード版やテンゲンのNES版では、左右に分割された画面上で二人のプレイヤーが同時にプレイをして「競争」することができます。さらに2台の機械を通信ケーブルでつないで遊ぶ「ゲームボーイ」版の2人プレイモードでは、2段以上のブロックを同時に消すことで、相手のフィールドをせり上げるという「攻撃」も可能になっています。

このように『テトリス』は、コンピュータの力を使い、競争や対立というゲームの本質的要素をも取り込んで、「パズルゲーム」というデジタルゲームのジャンルを確立しました。『テトリス』に始まる「落ち物」系パズルゲームは、その後『コラムス』(セガ、AC、1990年3月)や『ドクターマリオ』(任天堂、FC/GB、1990年7月)、『ぷよぷよ』(コンパイル、MSX2、1991年10月)へと発展していきます。
■テトリスは「ジャンル」になっている
冷戦時代のソ連で開発された『テトリス』にはきわめて複雑な開発と移植の歴史があります。220以上の公式バージョンの存在は『ギネスブック』が認める世界記録となっていますが、航空機の機内モニターでプレイできる『インフライト テトリス』(DTIソフトウェア、Android/Linux、2000年12月)のようなバージョンもそこに含まれます。誰もがどこかで何らかの『テトリス』を見たことや遊んだことがあるのではないでしょうか。
『テトリス』は単なるゲームタイトルであることをこえて、一つの「ジャンル」になっているともいえます。その開発と普及の過程を理解するために重要なものだけでも、次の11のバージョン(年代順)があります。
①エレクトロニカ60版(アレクセイ・パジトノフ、1985年6月または1984年6月6日)

②ソ連でのMS-DOS版(アレクセイ・パジトノフ&ヴァディム・ゲラシモフ、1985年夏)

③ 英米でのMS-DOS版(英:ミラーソフト、1988年1月27日/米:スペクトラム・ホロバイト、1988年1月29日)

④日本でのPC版(BPS、1988年11月18日)

⑤日本でのアーケード版(セガ、1988年12月上旬)

⑥日本でのファミリーコンピュータ版(BPS、1988年12月22日)

⑦アメリカでのアーケード版(アタリゲームズ、1989年2月)

⑧日本でのメガドライブ版(セガ、1989年4月15日発売予定、未発売)

⑨アメリカでのNES版(テンゲン、1989年5月17日)

⑩アメリカでのNES版(任天堂、1989年7月)

⑪ゲームボーイ版(任天堂、日:1989年6月14日/米:1989年7月31日)
■ソ連での誕生
①は『テトリス』のオリジナル版です。アレクセイ・パジトノフが「エレクトロニカ60(Electronika60)」(1978年)というソビエト連邦内で製造されたコンピュータのうえで開発しました。「エレクトロニカ60」は、アメリカのDEC社のミニコンピュータ「PDP-11」(1970年)の模造品でした。当時のソ連の研究機関は、西側ではとっくに時代遅れとなったコンピュータを使っていたことになります。
「エレクトロニカ60」にはグラフィックスを表示する機能がなかったため、テトリミノは文字(角括弧とスペース)を組み合わせた、いわゆる「アスキーアート」で描かれています。
画面はモノクロで、ビープ音の効果音が付いているだけで、音楽(BGM)はありませんでした。
■オリジナル版の「誕生日」
このオリジナル版がいつ作られたかははっきりしません。現在、ザ・テトリス・カンパニーは『テトリス』の公式な「誕生日」を「1984年6月6日」としています。しかし、かつては『テトリス』は「1985年6月」に作られたというのが定説でした。パジトノフ自身が「1985年」と証言している資料も存在します。さらに奇妙なことに「1984年6月6日」説は、2009年6月に突如として出現したものであり、それ以前のどの資料にも記載されていません。
そのため今日では、この説は、ロサンゼルスで2009年6月に開催された「E3」(世界最大級のゲームイベント)の関連企画として『テトリス』の「生誕25周年」を祝うために、ザ・テトリス・カンパニーや広告会社が急ごしらえで「捏造」したものだろうと推測されています。残念なことにゲームの歴史は、このようにいとも簡単に「改竄」されてしまうのです。したがって本講義では「1984年6月6日」は採用せず、「1985年6月」という従来の定説に従います。
■現在の『テトリス』へと一気に近づいた
②はIBM互換機で作動するMS-DOS版で、パジトノフが研究所の同僚のドミトリー・パブロフスキー、および彼の知り合いで当時まだ高校生だったヴァディム・ゲラシモフと3人で共作したバージョンです(クレジットはパジトノフとゲラシモフ)。
当時、IBM互換機は、西側だけでなくソ連でも新たな標準となりつつありました。そのため、パジトノフは、①をIBM互換機向けに移植することを思い付き、さまざまなプログラム言語を操る才能をもったゲラシモフに協力を依頼しました。
ゲラシモフはPASCALというプログラム言語を使って、②を作りました。②は1985年夏に完成し、同年11月にゼレノドリスクで開かれたコンピュータゲームのコンテストで第2位に選ばれています。
②は単なる①の「移植」ではなく、さまざまな点で①を改良していました。テトリミノは、もはや文字を使ったアスキーアートではなくなり、グラフィックスで表示されるようになりました。またカラーのグラフィックスが使用できることから、ゲラシモフは、7種類のテトリミノをそれぞれ別の色で塗り分けるという画期的なアイデアを思い付きました。さらにパブロフスキーは、ゲーム終了後にハイスコアが表示される機能を加えました。この機能によって、プレイヤー間の競争がさらに促進されました。こうしたさまざまな改良により、②は現在の『テトリス』へと一気に近づきました。

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吉田 寛(よしだ・ひろし)

東京大学大学院人文社会系研究科教授

1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授(美学芸術学)。同研究科博士課程修了。博士(文学)。
専門はゲーム研究、感性学。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授などを経て、2024年より現職。ゲーム研究の主著に『デジタルゲーム研究』(東京大学出版会、2023年、大川出版賞受賞)、音楽学の主著に『絶対音楽の美学と分裂する 』(青弓社、2015年、サントリー学芸賞受賞)など。

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(東京大学大学院人文社会系研究科教授 吉田 寛)
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