今の若手社員にはどんな傾向があるのか。文筆家の御田寺圭さんは「高校時代や大学時代の多くがコロナ禍だった世代が社会人となっている。
年齢相応の社会人適性を養う期間に、十分な経験ができなかった世代である」という――。
■コロナ直撃世代が「新卒」になった
「満員電車が嫌で新人が辞めてしまった」

「OJTをやっている最中に退職してしまった」
――こんな話題がSNSで波紋を呼んでいた。
いま新社会人として世に送り出されているのはいわゆるZ世代と呼ばれる若者たちで、なかでもここ数年は「コロナ禍」のなかで学生時代を過ごした“コロナ直撃世代”にあたる。
かれらが社会人の仲間入りをして数年が経つが、各所の諸先輩方からは「これまでの常識がまったく通用しない」といった悲痛な声が以前よりも上がっていて、とくに昨年や今年の、高校時代/大学時代のほぼすべてがコロナ禍と重なっていた世代の社会人デビューにより、その声は最高潮に達している。満員電車がつらくて辞めるならまだましで、初週のOJT中に、場合によっては入社初日の午前中で辞めてしまったというケースもあるという。
堪え性がなく、集団行動が苦手で、コミュニケーションも拙く、TPOの判断が不適格で、ビジネスパーソンとしての礼儀作法を知らず、フィードバックを受けたら泣き出しそうなほどショックを受けたり不貞腐れたりしてしまう――そんなネガティブな評判ばかりが聞こえてくる今日この頃だが、しかしながら私はそうした特徴を「かれら自身のせい」であると自己責任として片づけてしまうことには異議を申し立てたい。
■中高生の「数年」と大人の「数年」は違う
なぜならかれらは、社会人の先輩方が期待するような「年齢相応の社会人適性」を涵養するべき大事な時期を、先に大人になった人びとのコンセンサスによって生み出された「新しい生活様式」とやらで棒に振った(振らされた)人たちだからだ。
はっきり言明しておくが、中高年にとっての数年と、中高生にとっての数年では、その「重み」は雲泥の差だ。オジサンやオバサンからすれば数年などふっと気づけば経過しているくらい飛ぶように軽いものかもしれないが、中高生の数年はそうではない。脳も心も身体も認知も社会性もメキメキと急激に成長する(べき)大切な時期であり、ここで現代人としての「地力」をつけなければならない、本当に本当に重要な準備期間だからだ。
この大切な準備期間に、たとえば通常なら同世代の仲間や目上の人と関わったり、自分の知らない場所にいって見分を深めたり、スポーツや課外活動によって集団生活や競争を学んだり、バイトや職業体験をして働くことの基本的なプリンシプルを学んだりしていたわけだが、かれらはそうした営みのほとんどを「感染が広がって迷惑だからやめろ」「大切な人を死なせてもよいのか」と社会から半ば脅され、抑制されていたことを忘れてはいけない。
■「社会性」を養う機会を失っていた
いま諸先輩方の視界に「社会人として基本的なこと、いやそれどころか、人間としての基本的なスキルすらままならないザンネンな奴ら」として現れている人びとは、なりたくてそうなったわけではない。
むしろ先輩方の要望に粛々と応え、自分たちの大切な時間を「自粛」に費やしてきた人びとなのだ。かれらは「世間からの言いつけをそのとおりに履行した」人たちだからこそ、中学や高校や大学の「準備期間」を、ひと昔前ほどの密度で送ることができず、文字どおり「準備不足」で世に輩出されることになった。
外出はおろか部活や修学旅行すら「自粛」のうねりに呑まれていったコロナ騒動のさなか、私はこのプレジデントオンラインをはじめメディアの各所で「若い人たちは、大人の言うことなんか真に受けず、どんどん旅行に行ったり、仲間とつるんで遊んだり、課外活動を楽しむべきだ」と呼びかけていた。
私が当時なぜそう呼びかけていたかというと、従順に“言いつけ”を守ってそういうことをしなかったせいで「楽しい思い出づくり」はもちろん「社会性の涵養」ができなかったとしても、社会や世間や大人たちはなにも責任を取ったりしないことはわかっていたからだ。コロナ騒動が終われば、自分たちが子どもたちに求めて、押しつけてきた負担などまるで最初から何もなかったかのようにほっかむりして、そうして他人事みたく「最近の若者ってヤバくね?」と突き放すに違いないと最初からわかっていたからだ。
■「準備不足」なのは当然
そしていま、案の定そうなってしまった。早々に辞めたり病んだり飛んだり折れたりしている若者たちの姿を見て、いったいどこのだれが「自分たちのせいで、若者たちはこんな風になってしまったのだ」と反省しているか? だれもしていない。人手不足の超売り手市場だからこんな低レベルな奴でも採用しなきゃいけないのだ……と文句たらたらだ。
いま世に輩出されている、先輩方の主観ではどう甘く見積もっても「根性なし」にしか見えない若者たちの姿は、右も左も関係なくコロナに怯えて自粛だのステイホームだのと大騒ぎし、若者たちの大切な時間を奪ってまで「感染拡大防止」に奔走した結果でしかない。
かれらは「大人になるための準備期間」にやるべきことを「やるな」と言われた世代であり、「準備不足」なのは当然だ。逆にこの状況でも「準備万端」に見えるのは、社会や世間や大人からの言いつけをあえて守らず面従腹背で旅行したりデートしたりスポーツしたりしていた人たちで、かつての時分には皆さんが「けしからん」「間接的な人殺し」とまで呼んでいた若者たちであることを忘れてはならない。
■大人世代に求められる「埋め合わせ」
先輩世代の皆さんは、コロナ直撃世代の皆さんに対しては――かれらがコロナ騒動のなかで自分たちの大事な準備期間を犠牲にしてくれたことへの敬意と感謝として――ちゃんと埋め合わせをするべきだろう。
「一人前になるための準備期間」が、学生時代までに終えられず社会人にズレ込んでしまったのだから、皆さんがかれらに本来の「準備期間」で得られるはずだったものを補填してあげるべきではないか。
具体的にいうと「使い物にならねーなコイツ」と早々に見限って突き放すのではなく、実年齢に対しておおよそ「7掛け(≒3割引き)」くらいの心身の成熟度であると見越してコミュニケーションをするべきだということだ。たとえば22~23歳の大卒新社会人は、だいたい成熟度でいえばひと昔前の16歳くらいの仕上がりであるといった想定だ。
念のため強調しておくが、けっして冗談や茶化しで言っているわけではないし、若い人たちへの誹謗で言っているわけでもない。いたって真剣に述べている。私たちが生み出した「外出自粛」という壮大な社会実験は、本当にそれくらい大きな禍根をこの社会に、若い世代に残してしまったのだ。
■今の若者にはポテンシャルがある
Z世代の皆さんはおそらく、ゆとり世代や氷河期世代といった現在の日本社会のメインの「稼ぎ頭」となっている世代よりもポテンシャル的には優秀で伸び代もあるはずだ。AIをはじめ最新のテクノロジーに親しんでいた人たちは、そうしたテクノロジーが働いている途中にやってきた世代よりも新しい価値を創造する力を持っているともいえる。
そのポテンシャルをなかなか発揮できない状態にしてしまったのは、ほかでもない私たち先輩世代だ。若者が根性なし? すぐ飛ぶ? すぐ拗ねる? すぐ逃げる? だからなんだというのか。そうなるようにしたのは私たちなのだ。私たちがかれらに付き合わせた社会実験の結果でしかない。

4月をどうにか耐え抜いたコロナ直撃世代の若者たちでも、ゴールデンウィーク明けの日常と直面し、さすがに心が疲弊しているだろう。社会人生活はクソだし、東京の満員電車はさらにクソだから仕方ない。皆さんはかれらを「そんなんで折れるような奴はいらない」というのではなく、かれらについて「得られるはずだった準備期間が後ろにずれこんでしまっただけだ」と考え、いまよりもう少しだけ、やさしく、見守り、支えてあげてほしい。これはもう二度と戻らない時間への埋め合わせであり、もっと大げさにいえば“つぐない”である。

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御田寺 圭(みたてら・けい)

文筆家・ラジオパーソナリティー

会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)
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