■給与だけでなく「存在感」も下がっていく
定年前は50人の部下を抱え、毎日ひっきりなしに相談が来ていた。だが再雇用になった途端、デスクの電話は鳴らず、誰も自分を頼ってこない。周囲の忙しそうな声だけが遠く聞こえ、「自分はもう必要ないのか」と胸の奥が静かに冷えていく。
与えられた仕事はこなしているはずなのに、帰り道でふと「今日、自分は何をしたんだろう」と思う。以前のような達成感も、誰かに頼られる感覚もない。淡々と時間だけが過ぎていき、心にぽっかり穴が空いたような虚しさが残る。
後輩が自分を飛ばして、直接上司に報告しているのを見かけた。悪気がないのは分かるが、胸の奥がチクリと痛む。かつては自分が中心だった会議も、今はただのオブザーバー。存在感が薄れていくのを、どう扱えばいいのかわからない。
こうした経験は、再雇用後の60代に非常によく見られるものです。
再雇用は、制度としては「働き続けられる」よい仕組みですが、実際には役割の縮小・裁量の減少・収入の大幅減という三重苦に直面することになります。
私は産業カウンセラーとして、週に1~2回、人事や労務の方と打ち合わせを行います。そこで最近よく耳にするのが、定年後に再雇用で働く60代男性からの悩みです。60歳で定年を迎えてもその後、65歳までは嘱託という立場で同じ会社で再雇用されるケースがほとんどです。仕事の内容は変わらないのに収入が半減したという話も聞きます。
■数字が示す「二段階減収」の現実
定年・再雇用をめぐる環境は、数字の面でも厳しいものがあります。国税庁の「令和5年分民間給与実態統計調査」によると、55~59歳の平均年収は545万円ですが、60~64歳では445万円と約100万円減少します。さらに65~69歳になると354万円まで下がり、50代後半との差は約190万円にもなります。
厚生労働省の「平成20年高年齢者雇用実態調査結果の概況」でも、定年後の再雇用者の賃金は「定年時の6~7割程度」が最多(34.8%)で、「4~5割程度」になるケースも16.1%あります。役職定年の段階ですでに平均で約20~23%の年収ダウンが起き、そこから定年・再雇用でさらに下がるという、二段階の減収を経験する方も少なくありません。
しかし、再雇用後の苦しさの本質は、給与の減少だけではありません。多くの方が「お金よりも、存在感を失ったことがつらい」とおっしゃいます。
■「燃え尽きる人」に共通する思考パターン
再雇用後に意欲を失っていく方には、ある共通した思考パターンがあります。それは、承認欲求を「過去の地位・役職」で満たそうとすることです。
「以前は部長だった」「あの頃は自分が中心だった」という基準で現状を測るため、今の自分がどれだけ小さく見えるか、他人からどう映るのかだけが気になってしまいます。そして、遠慮なのか、プライドなのか自分から動くことはせず、「声をかけてもらうのを待つ」スタンスになりがちです。
また、仕事の価値を賃金や評価と結びつけて考えてしまうため、給与が下がった時点で「この仕事には意味がない」と感じてしまいがちです。若手の仕事のやり方には不満だが、口出しもできず、頼られないと「認められていない」とすぐに感じてしまう、という傾向も見られます。
こうした状態が続くと、職場での孤立が深まり、最終的にはメンタルの不調にまでつながることがあります。
■「挨拶は年下から」と自分から声をかけない
燃え尽きていく方に共通してもう一つ見られるのが、「挨拶は年下からするのが当たり前」という意識です。
長年、職場の上位にいた方ほど、挨拶とは目下の者が先にするものという感覚が染みついています。若手がきちんと挨拶してこないと「礼儀がない」と腹を立て、自分からは声をかけない。
しかし、再雇用後の立場でその意識を持ち続けることは、自分自身にとって大きなマイナスになります。若手社員からすれば、挨拶のない先輩社員は「近づきにくい人」に映るだけです。声をかけにくい、相談しにくい、という印象が定着すれば、仕事を頼まれることも自然と減っていきます。
職場における挨拶は、礼儀の問題である以前に、人間関係を自分からひらくための行動です。「おはようございます」「お疲れさまです」というひと言を自分から発することで、相手との間に小さな橋が架かります。それが積み重なって、「話しかけやすい人」という印象になり、やがて「相談したい人」という評価につながっていきます。
必要とされ続けている60代の方を見ていると、職場で一番よく挨拶しているのは、実はそういった方々だということに気づきます。肩書きに関係なく、自分から先に声をかける。それだけで、職場における存在感はまったく変わってくるのです。
■「必要とされ続ける人」は承認の方向が逆向き
一方、再雇用後も生き生きと働き続ける方には、まったく異なる特徴があります。
最大の違いは、承認を「求める」のではなく「与える」側に回っていることです。
また、小さな仕事にも「自分が担う意味」を見出せることも大きな違いです。「この仕事は自分の経験が活かせる」「誰かの助けになっている」という感覚を、日常の中に見つけ続けられる人は、役職や賃金が変わっても意欲を保ちやすいのです。
「ありがとう」と言える・言われる関係を自分から作っていくことも、こうした方に共通しています。感謝を受け取ることで承認欲求が満たされ、感謝を伝えることで相手との信頼関係が育まれていきます。
そして何より、今いる場所で「自分にできること」を探し続けています。過去の肩書きではなく、今日の自分が誰かの役に立てるかどうか。その問いを毎日持ち続けているかどうかが、燃え尽きる人と必要とされ続ける人の、最も根本的な差です。再雇用後の仕事は、派手さはないけれども、若手にとっては「助かる」「ありがたい」ことが山ほどあります。
必要とされ続ける人は、その小さな貢献を軽視しません。
■今日からできる4つの処方箋
では、具体的に何をすればよいでしょうか。
①自分から先に挨拶する
「挨拶は年下からするもの」という意識を手放しましょう。職場で一番元気よく挨拶する人が、一番話しかけやすい人になります。たったひと言が、孤立を防ぐ最初の一歩になります。
②「今日、誰かの役に立てたか」を一日の終わりに問う
成果の大小ではなく、「貢献できたかどうか」を自分の評価軸にする習慣をつけましょう。「面倒なことを引き受けた」でも構いません。もちろん、理不尽なことをあえてする必要はありませんが、小さな貢献の積み重ねが、自己肯定感を下支えしてくれます。
③若手に「教わる」機会を週1回つくる
ITツールの使い方、最新のトレンド、若い世代の感覚など、教えてもらえることはたくさんあります。「教わる」姿勢を持つことで、若手との距離が自然と縮まります。
④「穏やかさ」こそ、60代最大の武器にする
再雇用後の60代に、若手と同じスピードや成果量を求める職場はほとんどありません。それよりも、周囲が求めているのは「安定感」です。感情的にならない、焦らない、どんな状況でも落ち着いている。そうした穏やかさが、チーム全体の心理的安全性を高め、若手が「この人の近くにいると安心する」と感じる雰囲気をつくります。
再雇用後の働き方に正解はありません。しかし、「必要とされ続ける人」に共通しているのは、承認を求める方向を変えたことです。過去の自分ではなく、今日の自分が誰かの役に立てているかどうか。そのシンプルな問いと、自分から先に「おはようございます」と声をかける小さな勇気が、再雇用後の人生を大きく変えていきます。
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大野 萌子(おおの・もえこ)
公認心理師、2級キャリアコンサルティング技能士
一般社団法人日本メンタルアップ支援機構(メンタルアップマネージャ資格認定機関)代表理事、産業カウンセラー。法政大学卒。企業内カウンセラーとしての長年の現場経験を生かした、人間関係改善に必須のコミュニケーション、ストレスマネジメントなどの分野を得意とする。現在は防衛省、文部科学省などの官公庁をはじめ、大手企業、大学、医療機関などで講演・研修を行う。著書に『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』(サンマーク出版)、『好かれる人の神対応 嫌われる人の塩対応』(幻冬舎)『「かまってちゃん」社員の上手なかまい方』(ディスカヴァー携書)、『電話恐怖症』(朝日新書)などがある。
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(公認心理師、2級キャリアコンサルティング技能士 大野 萌子)

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