日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年5月の特集は、今年4月にデビュー40周年を迎えた松田聖子特集。
デビュー40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』のリリースが9月30日に予定されている彼女の軌跡をデビュー年である1980年から遡っていく。第3週目となる今回は1984年から1988年までの10曲を選出し解説する。

こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは松田聖子さんの「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」。

1983年のシングルでしたが、4月1日に配信で発売になった40周年バージョンで、英語の部分が日本語になっております。
元々は日本語の歌詞で書かれていたんですが、その原詞がマスターテープと共に発見され、それを知った松田聖子さんが、是非歌い直したいということで再録音されました。今月2020年5月の特集は松田聖子。このゆったりとした感じが今の聖子さんだなあと思いながら、3週目になります。

先週までのおさらいをちょっと。1週目はデビューの「裸足の季節」から1982年の「小麦色のマーメイド」まで辿りました。デビューした時に彼女が他のアイドルと違っていた事。
制作側が何を意図していたか? 文学性と音楽性、これが差別化のキーワードだったんですね。文学性というのが、作詞家に松本隆さんを起用した事ですね。音楽性というのが作曲家にニュー・ミュージック系のシンガー・ソングライターを起用した。そして1980年代の松田聖子さんというのは、1960年代の加山雄三さんのような、女性にとっての若大将的な存在だったのではないかと、この番組中にふっと思いついたりもしました。

2週目は1982年の「野ばらのエチュード」から、1984年の「Rockn Rouge」まで辿ってみました。松本隆さんは、聖子さんのちょっと先に石を投げてきた。
それは1980年代の女性たちの憧れになるような存在として主人公を登場させてきたのではないか? そんな話をしてきました。生き方を歌うアイドルで、主体性を持った女の子を歌の主人公にしてきた。今週はその先に行ってみたいと思います。まずはこの曲から。1984年8月発売、18枚目のシングル『ピンクのモーツァルト』。

1984年8月発売、18枚目のシングル『ピンクのモーツァルト』。
作曲が細野晴臣さんで、アレンジが細野さんと松任谷正隆さん。このクラシックのような煌めきと大地のようなリズム隊と言うんでしょうか。いくつかの要素がここに入っている。シュールといえばシュールな曲だなという感じがしました。先週お送りした最後の曲「Rockn Rouge」の時に、松本隆さんが失踪したとユーミンが明かしておりました。この頃、松本さんは"第一次やる気無くす期"に差し掛かっていた時期です。
松本さんの色々なコメントを見ていますと、この曲については「ほとんどシュルレアリズムで、これでも売れるんだと思った」という話が残っていますね。歌詞も聴き方によってはとてもセクシーな歌詞と捉えられるわけで、関わっている作家陣にとっても転機が来ているなと感じられる曲だと思います。

1984年11月発売の『ハートのイアリング』。作詞が松本隆さんで、作曲がHolland Roseという英名になっているんですが、これは佐野元春さんのペンネームですね。音が大滝詠一さんの流れを継承していると言うんでしょうか、フィル・スペクターサウンド、ウォール・オブ・サウンドという音の造りですね。先週、先々週お聴きいただいた曲は財津和夫さん、大滝詠一さん、呉田軽穂(ユーミン)、細野晴臣さんらのシングルが多かったんですが、この辺から作家陣に世代交代が起こります。
次の世代が登場してくるんですね。佐野さんもその一人です。この曲の収録アルバムが1984年12月に出た『Windy Shadow』ですね。この話は先週もちょっとしましたが、1984年というのは松本隆さんが大滝詠一さんとアルバム『EACH TIME』を作り、南佳孝さんと『冒険王』を作った年です。『EACH TIME』は全曲作詞を手掛けており、『冒険王』ではプロデュースと作詞を手掛けておりますね。聖子さんもこの年にアルバムを2枚出してます、『Tinker Bell』と『Windy Shadow』。そして、この間に聖子さんはコンサートツアーを4回、映画『夏服のイヴ』でも主演してます。さらにTVや雑誌、CMもあったわけですよ。聖子さんはもちろん、関わった人がどれくらいのスケジュールでこのアルバムを作っていたんだろうかって考えると、ちょっと気が遠くなるくらいのハードスケジュールだったんではないかと思いますね。この『Windy Shadow』も、関わった人たちがずっと松田聖子像を作り続けてきて、ここに辿り着いたアルバムという気がします。アルバムの1曲目がそういう印象だったという事もあって、この曲をお聴き頂きます。「マンハッタンでブレックファスト」。

1984年12月に出た10枚目のアルバム『Windy Shadow』の1曲目、「マンハッタンでブレックファスト」。作曲は大村雅朗さん、先ほどの「ハートにイアリング」の編曲も大村雅朗さんですね。これを改めて聴いて笑ってしまいました。朝目が覚めると、横に見知らぬ男が眠っているわけですよ。あなたは誰? と覚えていないんですよ。バーボンで上機嫌で、あとは記憶が消えているという歌です。ママが見たら気絶するわと歌っておりましたが、この歌は当時聴いたファンはどう思ったんでしょうね。気絶した方もいらっしゃったかもしれない(笑)。でも、これに嫌味がないっていうのが松田聖子だなあと思いましたね。だって、乱暴に言ってしまうと、知らない男と寝ちゃったっていう話ですよ。でもそんな風に下世話にならないのが松本隆さんの作詞であり、大村さんの曲であり、聖子さんの歌ですね。妙なニューヨークのセレブ感や不潔感が全くない、嫌味のない歌になっているのは、ひとえに聖子さんの声ですね。松本さんはこの歌を映画のような歌という風に語っていましたが、聖子さんはこの映画の主演ですね。このアルバム『Windy Shadow』の中には「銀色のオートバイ」という曲もあるんですが、これもセクシーですよ。素肌に革の繋ぎを着ているというバイカーの歌なんです。ここまで松田聖子主演でいろんな歌を書いてきて、松本さんもここまで書いたからちょっと休もうかなっていう気になったんじゃないでしょうかね。それぞれのスタッフがいろいろなことを考えながら、一旦ここで流れを変えてみようということで次のシングルが発売されました。

1985年1月発売、20枚目のシングル『天使のウィンク』。作詞作曲が尾崎亜美さんですね。松田聖子さんのシングルで作詞作曲が同じ人というのは、これが初めてですね。いろいろなシンガー・ソングライターが曲を提供してきたわけですが、作詞は松本隆というのが厳然とありました。この「天使とウィンク」のように、作詞も作曲も尾崎亜美さんにお任せしたというのは初めてのことですね。この時代のシンガー・ソングライターで曲を提供しなかった人はどのくらいいたか? 吉田拓郎さんや井上陽水さんは、世代やスタイルが違うということなんでしょうが、浜田省吾さんや小田和正さん、山下達郎さんくらいですよね。他の人たちはほとんどが書いていると言っても過言ではないでしょう。1985年というのは音楽シーンで大きな出来事がありました。国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」という、1970年代、1980年代のミュージシャンが一堂に介するという壮大なイベントがあったり、吉田拓郎さんが1970年代の幕を引くんだと言って、静岡県掛川市・つま恋の多目的広場でオールナイトイベントをやりました。松田聖子さんも1985年が一つの分水嶺、それまでの流れが変わる年になってますね。結婚。破局と結婚が同じ年でした。この「天使のウィンク」が入ったアルバム『The 9th Wave』は、1985年6月5日発売です。結婚式の前です。そして、『The 9th Wave』から作家陣が一変します。特に、作詞。銀色夏生さん、吉田美奈子さん、矢野顕子さん、来生えつこさんなど全員女性になった。作詞が、松本隆さんから離れたというアルバムでありました。1985年には、もう一つの新しいチャレンジがありました。すごい年ですよねえ。「天使のウインク」の次のシングルが、やはり尾崎亜美さんの作詞作曲の『ボーイの季節』でその次がこの曲です。1985年6月24日発売、『DANCING SHOES』。

SEIKO / 「DANCING SHOES(Club Mix)」

これがシングルですよ。1985年6月24日発売、22枚目のシングル『DANCING SHOES(Club Mix)』。12インチシングルで発売されてクラブMIXですよ。作詞作曲がSteve Kipner&Paul Blissでして、オリビア・ニュートン=ジョンで知られるコンビです。この曲のプロデューサーが、フィル・ラモーン。僕らでも知っている凄い方です。この曲の入った『SOUND OF MY HEART』は英語のアルバムなんですが、フィル・ラモーンがプロデュースなんです。フィル・ラモーンという人は、ボブ・ディランの『血の轍』、ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』、サイモンとガーファンクルの『セントラルパーク・コンサート』など、これぞニューヨークという代表的な、色々な作品をプロデュースをされている方です。「DANCING SHOES」のMVが残っているんですが、いきなりタイムズスクエアですよ。SONYビルが出てくるんですね。そこで聖子さんが本当にウキウキしながら、私はニューヨークに来たのよ! と言わんばかりのステップを踏む。そして、この「DANCING SHOES」がアップになっていく。ニューヨークのいろいろな場面、ラジオ・シティホールなどが出て、レコード会社に入っていくという。まさに松田聖子がニューヨークに入ってきたという映像です。これが日本のシングルチャートで1位ですからね。名義も松田聖子じゃなくてSEIKOです。そしてこのシングルの発売日6月24日は、神田正輝さんとの結婚式の日です。1980年代から1990年代にかけての聖子さんのキャリアというのは、改めて今見てみると驚くことがたくさん詰まっています。この曲もそんな1曲ではないでしょうか。

先ほどの『DANCING SHOES(Club Mix)』の1年後、1986年6月1日に発売になったアルバム『SUPREME』の「瑠璃色の地球」。作詞が松本隆さん、作曲が平井夏美さんです。平井夏美さんは井上陽水さんと「少年時代」を一緒に作られた方。本名は川原伸司さんでビクターのディレクターでありました。聖子さんは1985年に結婚したわけですね。1986年は出産のために表立った活動はなかった。そして、このアルバムが制作されたわけですが、一旦は離れた松本隆さんがアルバム2枚を挟んでここでプロデユサーとして復帰するんですね。このアルバムはシングルカットはありませんでした。ですが、このアルバムは、彼女のキャリアで最高のセールスを記録しました。本人がそんなに稼働しなくてもアルバムがちゃんと売れていくという存在になっていたわけです。このアルバムで作曲が変わります。チューリップの宮城伸一郎さん、THE東南西北の久保田洋司さん、大沢誉志幸さん、玉置浩二さん、そしてこの平井夏美さん。1985年を境にそれまでと作曲家陣も変わってくるんですね。「瑠璃色の地球」も、これまでになかったメッセージソングですね。地球という名の船の誰もが旅人。1970年代の宇宙船地球号、あのヒッピー的なメッセージの聖子さん版ですね。地球と母性です。松本さんは、僕がメッセージソングを書くとこうなるという話をしておりました。そして、次も松本さんの作詞の曲をお聴きいただきます。結婚のお休みを挟んで2年ぶりに発売されたシングル『Strawberry Time』。

1987年4月に発売になった21枚目のシングル『Strawberry Time』。作曲がレベッカ土橋安騎夫さんです、これで21作連続1位ですね。結婚しても出産しても、英語でClub Mixのシングルを出しても人気が落ちなかった。そしてこの曲の入ったアルバム『Strawberry Time』。作家が当時のバンドブームを反映してますねえ。BARBEE BOYSのいまみちともたかさんがペンネームで参加している。それから米米クラブ小室哲哉さん、ピカソの辻畑鉄也さん、大江千里さん、UP-BEATの広石武彦さん。こういう人達が関わっているんですね。小室哲哉さんはまだTM NETWORKの時、avexで売れる前ですよ。ずっと関わっているのが、大村雅朗さんですね。1985年以前と顔ぶれが一変しました。プロデューサーは松本隆さん。プロデューサーが投げた次の石というのが次の世代ということだったんでしょうね。松本さんが描いている主人公もかなり大人になっていまして、小室哲哉さんが曲を書いた「Kimono Beat」では和服のお見合いを脱出するという設定だったりするんですね。「妖しいニュアンス」という曲には、「女がどう生きるべきかってその考え100年古い」っていう歌詞があったりする。今時黙って従う、そんなの幻想じゃないかと歌ったりしているわけで、松本さんが描いてきた聖子さんというのは変わらずここでもちょっと先を生きているというアルバムですね。そして松田聖子さんはどんな歌でも自分の歌にしてます。このアルバムの後に出たシングルがこちらです。1987年11月発売の『Pearl-White Eve』。

1987年11月発売の24枚目シングル『Pearl-White Eve』。作曲が大江千里さんですね。駆け引きなしの本当にピュアなラブソング、でも大人ですね。「不幸な恋なら前にしたけれど もう一度信じたい」、「かたく閉ざした貝のように生きて来たけど」といういろいろな痛い目や恋の挫折を経験して、不幸と幸福がどう違うかっていうこともわかってきた女性のラブソング。「ピンクのパジャマ リボンほどいて それが私の贈り物なの」。色っぽいでしょう。もうこれは少女の歌じゃないですね。25歳ですから。結婚もしている女性の歌。もうあの頃の私じゃないというラブソング。クリスマスソングですね。そして、こういう「Pearl-White Eve」の大人っぽさがあったから、ここに来たんだろうなあというのが次の曲ですね。1988年5月のアルバム『Citron』、ロサンゼルス録音です。前回のアルバム『SOUND OF MY HEART』は、英語の歌でフィル・ラモーンのプロデュースでしたが、今回はデイヴィッド・フォスターですよ。バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオンホイットニー・ヒューストンマドンナマイケル・ジャクソンなど挙げればキリがありません。過去にはグラミー賞を15回受賞しているプロデユーサーです。そんな彼が書いた曲で、作詞は松本隆さんです。

1988年5月のアルバム『Citron』より「抱いて…」。タイトルにインパクトがありましたね。でもこの曲はシングルじゃないんです。この曲も、ですね。シングルは『Marrakech~マラケッシュ~』。それでもこの曲が聖子さんのキャリアの中でも、一つのエポックメイキングな曲として残っている。もう大人のAOR。日本の歌謡曲じゃないですね。こうやってずっと聴いてきて分かること、聴いてこないと分からないことがたくさんあるんだなあっていうのが今月改めて思っていることなんです。聖子さんは、1980年代の女性の生き方をずっと辿っている。彼女自身がそうだったこともあるんでしょうけど、少女から大人になっていく、女になっていくという過程が作品として残っていますね。1981年から1988年という松本隆さんが書いた7年間。これは日本のバブルに向かっていく社会の中で、女性が一番輝いていた時代と言っていいんだと思います。それを反映している。それは松本隆さんがちょっと先に石を投げてきたということもあるんでしょうが、彼女自身がそうさせたくしてきたんじゃないかと思いましたね。彼女の音楽的な向上心、野心がなかったら、周りがいくらお膳立てしても形になりません。それを可能にしたのは松田聖子さんの、音楽に対しての強い情熱と言ってしまいましょう。さっきちょっと話した『SOUND OF MY HEART』はニューヨークでの録音で全曲英語だったんですが、今作はロサンゼルス録音で、英語の曲は2曲だけ。向こうの人が書いた曲に松本隆さんが詞をつけているんですね。『SOUND OF MY HEART』を越えるんだっていう思いが、彼女の中にも、周りの関わった人にも、全員の意思としてあったんだというアルバムでしょうね。デイヴィッド・フォスターが曲を書いて、松本隆が詞を書いた。そんな曲をもう一曲お聴きいただきます。

1988年5月のアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」。すごいでしょう、これがアルバムの最後の曲なんですね。別れの歌ですよ、「もうさよならね」と歌っております。1981年から続いてきた松本隆さんとのコンビが終わったアルバムの最後。もうさよならね、という歌詞は松本さんから聖子さんに向けた言葉という風に聞けない事もないなと思います。このアルバムには「続・赤いスイートピー」という曲もある。これは「赤いスイートピー」の、半年経っても手を握らなかった"あなた"とのその後のお話ですね。結局二人は上手くいかなかったんですね。それでもう一度あの駅を訪ねるという歌ですよ。そこで上手くいかなくて、別れてしまったあなたは結婚しているという噂を聞くんですね。優しいあなたには女らしく優しい人がいい、と歌っている。もう1980年代前半のあそこに私はいないんだっていう歌でもあります。

J-POP LEGEND FORUM」松田聖子40周年Part3。今年がデビュー40周年の松田聖子の軌跡を辿る1ヶ月。1984年「ピンクのモーツァルト」から1988年「林檎酒の日々」までお送りしました。今流れているのは、この番組の後テーマ曲、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。冒頭で、アイドルとしてだけでなく人間的、音楽的な成長を残してきたという話をしましたけども、聖子さんは19歳から26歳。女性が一番変わる年齢です。その間に結婚・出産もありました。歌の中の主人公が、ずっと歳を重ねて、成長して大人になってますよね。「風立ちぬ」や「赤いスイートピー」の主人公が「抱いて…」と歌うようになるんです。「抱いて…」の主人公は妊娠しているわけです。曲もはっぴぃえんど、松任谷由実さんなど1970年代の音楽シーンの立役者から、グラミー賞の常連の人まで登場するようになっている。これは来週も同じ話になると思うんですが、僕ら、日本のメディア、音楽ファンは、”松田聖子”という全体像をどんな風に捉えたんだろう? どんな風に見てたんだろう? どこまで語れたんだろう? と。ひょっとして何も紹介できていなかったんではないかなとも思うわけです。そういう色んな変化を一人の女性歌手が網羅している。これだけの作家の曲を歌ってきて、松田聖子という歌い手は全く変わっていないように見える。これに改めて驚かされる、愕然とするような今月でありますが、来週もこんな話をすることになると思います。

松田聖子、新世代の作家陣起用と女性主人公の成長を描いた1984〜88年

松田聖子について執筆した記事も掲載されているスタジオジブリの小冊子「熱風」を手にした田家秀樹

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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月 21:00-22:00
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