日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年7月の特集は、ライブ盤。
第8週となる今回は、井上陽水吉田拓郎のライブアルバムを語っていく。

こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、吉田拓郎さんの「もう寝ます」。丸々聴いてしまいました。1971年6月に発売になったライブアルバム『よしだたくろう オンステージ ともだち』からお送りしております。
今日の前テーマはこの曲です。

今月2020年7月の特集はライブ盤。早くライブが再開される日が来て欲しい。そんな心からの願いを込めて2ヶ月連続でのライブ盤特集。今日は2人のライブアルバムもご紹介したいと思います。題して"初期拓郎・陽水伝説"。
日本の音楽業界は70年代に入って、劇的に変化しました。その最たるものがシンガー・ソングライターの登場ですね、自分で作って自分で歌う。その最大のヒーローであり、パイオニアが吉田拓郎さんと井上陽水さん。シンガー・ソングライター革命の両輪ですね。

でも、2人の作風は相当違います。当時は「動の拓郎、静の陽水」、「陽の拓郎と陰の陽水」というイメージがありました。
もちろんそれぞれの中には両面があるわけですが、デビュー当時はそこまで見抜けませんでしたからね。本人たちもそこまで見せていなかったので、かなり対照的なイメージでした。デビュー直後の2人は、一体どういう存在だったのか? どんなステージをやっていたのか? ということを、本日はお楽しみいただけたらと思います。

拓郎さんの最初のライブアルバムは『よしだたくろう オンステージ ともだち』なんですが、驚きましたね。ライブアルバム自体が珍しい時代に、MCが丸々入っているんです。こんなに自由で楽しいアルバムがあるんだという驚きでしたね。
拓郎さんの最初のイメージはこれでした。お客さんは女の子が多かったし、皆が楽しく笑っている。一方、井上陽水さんはどうだったのか? 1973年に出たライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』は、未だに史上最も売れたライブアルバムです。前半はこの『陽水ライヴ もどり道』から、何曲かお聴きいただきます。まずはアルバムの1曲目です、「夏まつり」。

「陽の拓郎と陰の陽水」という当時のキャッチフレーズが、どこまで的を得ていたのか? ここまでの2曲が物語っているんではないかと思っております。
陽水さんは、今のライブでは楽しそうにトークをしますけども、当時は耳を澄まさないとなかなか聞き取れないというMCをしておりました。

1973年7月に発売になりました井上陽水さんのライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』から「紙飛行機」です。どこに辿り着くのかわからない、漂っている儚い感じが、この1970年代初めの若者の共通の心情だったんだなと改めて思ってます。このライブは、1973年4月17日に今は無き新宿・東京厚生年金ホールの小ホールで収録されたんですね。陽水さんは、1972年3月のシングル『人生が二度あれば』でデビューしてます。アルバムは1972年5月の『断絶』がデビューアルバムです。
その中に収録されていた「傘がない」がシングルカットされて、1972年12月にアルバム『陽水II センチメンタル』が出るんですね。このアルバムがじわじわ売れ始めて、シングル『夢の中へ』が決定打になって陽水ブームが起きる。

陽水さんは、1969年にアンドレ・カンドレという芸名でのデビューもあったんですが、そこで結果が出せず、この『陽水ライヴ もどり道』まで3年経っているんですね。この『陽水ライヴ もどり道』というタイトルは陽水さんが付けたものだと聞いた事があります。陽水さんは元々ライブから入った人じゃないわけですね、フォークルとビートルズに影響されて音楽を始めた、多重録音・宅録の人だったんです。ですから、自分がじわじわ売れ始めた中で、ライブアルバムという形でどこまで歌をライブとして残せるか? という課題を課したのがこのアルバムでしたね。この中では、自分のデビューシングルの話もしております。

1973年7月に発売になりました井上陽水さんのライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』から、デビュー曲「人生が二度あれば」。世の中を変えるとかスター街道を突っ走るとか、そういう始まりじゃなかったことは容易に想像ができますね。本人もそんな風になるとは思わずデビューした。自分の思い残す事がないように、自分の人生、自分がその時に思っていた事、親のこと、家族のこと、そういうことを歌った一曲ですね。陽水さんは、喋りながら涙ぐんでいるようにも聴こえました。

去年は50周年ツアーを行なったわけですが、この時には50周年もキャリアを重ねるなんていうことは、本当に夢にも思わなかったでしょうね。この時のライブは基本が弾き語りで、途中にバンドが入るんですけど、そのバックバンドのギタリストの安田裕美さんは先日72歳でお亡くなりになられました。1970年代初めに、親父が61歳だったということをこんなに深く受け止める。当時は60歳を超えるというのは大変だったわけで、それが今は陽水さん自身も70歳を超えて現役であります。

この時のバンドの曲のアレンジは星勝さんですね。彼がプロデュース・アレンジで、『陽水ライヴ もどり道』の後にロンドンに行って、「氷の世界」をレコーディングするわけですね。色々な意味でのターニングポイントなんだということを意識して、このライブアルバムを作った。ライブアルバムというのは、その人にとってのターニングポイントになっている場合が多いですね。陽水さんも、このアレンジを越えたライブアルバムをたくさん出していますが、やはり出発点はこのアルバムですね。そしてアンコールがこの曲でした。

この「夢の中へ」がシングル盤で発売されて、それが売れて『陽水ライヴ もどり道』に繋がって、「氷の世界」に流れていくというのが1970年代の前半、井上陽水さんの序章ですね。東宝映画『放課後』の主題歌でした。安田裕美さん、ご冥福をお祈りいたします。

吉田拓郎さんの「マークⅡ」。デビューシングル『イメージの詩』のカップリングですね、この『よしだたくろう オンステージ ともだち』は1971年6月に発売になっているんですが、拓郎さんのアルバムでは2枚目です。1970年11月に1枚目のアルバム『青春の詩』でデビューしているのですが、アルバムでデビューしてから1年も経っていない時にライブアルバムを出しているんです。発売はエレックレコードですね。エレックレコードは、吉田拓郎の魅力を伝えるのならライブだと思ったんでしょうね。

エレックレコードというのは、元々ギターの教則本の通信販売で始まった会社なんです。最初に作ったレコードは、文化放送のDJ土居まさるさんの『カレンダー』というシングルでした。やはり新しい何かを求めていたんでしょうね。エレックレコードは、ニッポン放送や文化放送と繋がりがありましたから、深夜放送的な発想でこのライブアルバムを作ったんだと思います。このライブアルバムを聴いた時は、なんて自由なんだろうって思ったんですが、深夜放送的な楽しさがあったからですね。拓郎さん自身も、ラジオはTBS、ニッポン放送、文化放送、ラジオ関東など全曲の深夜放送を制覇した人です。その自由さの象徴のように、自分の「青春の詩」を「老人の歌」として替え歌で歌ったりもしているんですが、今日は時間の関係でご紹介できません。替え歌の楽しさも詰まってます。デビュー曲「イメージの詩」では、こんな風に歌っております。

1971年6月に発売になりましたライブアルバム『よしだたくろう オンステージ ともだち』から、デビュー曲「イメージの詩」をお聴きいただきました。陽水さんの「人生が二度あれば」もそうですけど、この「イメージの詩」も、当時の世の中に流れていた歌とは全然違う歌だ、こんな歌を歌う同世代の若者が出てきたんだ、というのが当時の僕らの拓郎さんに対しての最初の印象でした。

演奏しているのは、”ミニ・バンド”という、井口よしのりさんと田辺かずひろさんの2人組です。この2人は広島の音楽仲間ですが、フォーク村ではなかったんです。拓郎さんはダウンタウンズというロックバンドを組んでいたので、そういう流れのミュージシャンで、その後、田辺さんは広島の獣医さん、井口さんは老舗の家具屋さんの社長になりました。2人ともそろそろリタイアの時期ですね。まだプロのバンドをつけられなかった時代に、一番気心の知れた後輩と一緒にやったというステージですね。収録は、アルバムにクレジットされていないのですが、1971年3月の新宿厚生年金会館だろうと言われています。さっきの陽水さんは小ホールでしたが、拓郎さんは大ホールでした。

この翌年1972年に『結婚しようよ』をリリース、拓郎さんはフォークの貴公子として世の中の脚光を浴びて、時代の寵児になります。先週ご紹介した岡林信康さんには無かった華やかさ、明るさというのが、拓郎さんをそういう存在にしましたね。拓郎さんの当時の色々な面が現れているのが、このアルバムですね。

「動の拓郎、静の陽水」という2人の比較をお楽しみいただけたらと思うんですが、今日はもう1枚ご紹介しようと思うんです。1973年12月21日に出た、拓郎さんのライブアルバム『よしだたくろうLIVE73』です。井上陽水さんの『陽水ライヴ もどり道』の5ヶ月後ですよ。1971年の拓郎さんとはガラッと変わったライブですが、どんな風に変わったのか? 先ほどの「マークⅡ」がこうなりました。

吉田拓郎さんが1973年12月に発売した、ライブアルバム『よしだたくろうLIVE73』から「マークⅡ」。先ほどお聴かせしたものとは同じ曲とは思えないと思われた方もいらっしゃるでしょうね。ギターが、ワカチョコワカチョコ鳴っております。この『よしだたくろうLIVE73』は、12月1日に出た陽水さんの『氷の世界』と同じ月に発売しているんですね。それから3週間後にこのアルバムが出ました。拓郎さんも陽水さんも1970年代フォークという括りでまとめられることもあるわけですけど、『氷の世界』もフォークとはいえない、ファンクだったりするわけです。拓郎さんもそこには収まらないという一つの証明のような曲ですね。

この『よしだたくろうLIVE73』は11月26、27日に中野サンプラザで録音されました。ミュージシャンは、ギターが高中正義さん、ベース岡澤章さん、ドラム田中清司さん、キーボード松任谷正隆さん、そして猫の田口清さん、常富喜雄さん、内山修さん。そこにストリングスとホーンが入っているんですね。そしてアレンジが瀬尾一三さんですよ。俺はこういう音楽をやりたいんだ、こうやって歌いたいんだと、フォークの拓郎というイメージに対して強烈な自己主張をした。そんなライブアルバムです。全13曲のうち9曲が新曲でした。続けて、1972年のアルバム『元気です。』の中の「春だったね」と新曲だった「落陽」お聴きください。

この『よしだたくろうLIVE73』が行われた1973年の拓郎さんは、新・六文銭でもツアーをやっているんですね。2つのスタイルでツアーを行いました。新・六文銭のメンバーは、後藤次利さん、柳田ヒロさん、チト河内さん、小室等さん。柳田ヒロさんは、先週ご紹介した岡林信康さんの日比谷野音公演のバック・バンドのリーダーでしたね。「落陽」のイントロのギターは、高中正義さんですが、あのイントロはずっとあの形のままです。そして、高中さんと後藤さんは先週ご紹介した矢沢永吉さんの日比谷野音公演のバックでした。やっぱり「出来る」ミュージシャンは少なかった。そういう人たちの情熱が時代を動かしていた、そんなアルバムです。

「J-POP LEGEND FORUM」ライブ盤特集8週目、”初期の拓郎・陽水伝説”。今週は、1973年の陽水さんのライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』、拓郎さんの1971年の『よしだたくろう オンステージ ともだち』と、1973年の『よしだたくろうLIVE73』の3枚をご紹介しました。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

「春だってね」が収録されていたアルバム『元気です。』は、1972年の年間チャート4位、15週間1位を続けたというアルバムです。そして1973年から1974年にかけては、井上陽水さんがそういう場所に行くんですね。『氷の世界』は、1974年と1975年の2年間の年間チャート1位なんです。年間チャート1位を2年続けたんですよ。そして、1975年にこの2人がフォー・ライフレコードで一緒になるんですね。1970年代前半がそこで完結したという時代です。

1973年の陽水さんの『陽水ライヴ もどり道』は、『氷の世界』の前の一番素朴な陽水さんが記録されてます。拓郎さんの『よしだたくろう オンステージ ともだち』の「イメージの詩」で、歌詞で拍手が起きました。自分の気に入っている箇所で拍手をするというのは、当時で言うと異議なし、という意味であります。拓郎さんは、この後2009年に丸ごとMCまで収録した『18時開演 ~TAKURO YOSHIDA LIVE at TOKYO INTERNATIONAL FORUM~』というライブアルバムをリリースしております。そして、去年、拓郎さんは73歳で「LIVE73」を行いました。そこでは全曲を自分の詞曲の曲で行いました。陽水さんは、『氷の世界』の40周年版でツアーも行いました。それぞれ自分の過去を塗り替えながらずっと生きてきている、そんな2人であります。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

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