上海万博の化粧品部門スポンサーとなることでますます中国市場での存在感を高め、さらなる発展に邁進し続けている資生堂。中国市場向けオリジナル商品を開発しながらも、常に「資生堂らしさ」を追求し続けている。
日本オリジンのアイデンティティへのこだわりと中国市場への浸透を両立させる秘訣を聞くため、中国駐在歴15年以上という鎌田正志総経理を訪ねた。

――パリではなく「東洋のパリ」へ、入社3年で決まった中国行き

 1872(明治5)年に調剤薬局として創業し、その社名の由来を中国の古典『易経』に持つ資生堂が、中国での事業展開を開始したのは、中国が改革開放路線に進み始めて間もない1981年。その当時から同社はその広大なマーケットに可能性を見出し、将来の中国市場に向けたビジネス要員の育成を始めていた。そして83年、入社して3年になる鎌田氏に白羽の矢が立った。

 「当社には海外研修制度があり、国際要員育成のために海外に社員を送り、語学を中心に学ばせています。当時はまだ中国留学が難しく、私が行った先はシンガポール。現地の大学で20か月にもわたり中国語漬けの暮らしを送りました。実は、私自身はパリに行きたくて、上司にはそのことをずっと言っていたんです。そして今は、東洋のパリに(笑)。シンガポールに行くと聞いたとき、ああ、自分は将来中国に行くんだなと分かりました。ただ、まさかここまで長く中国に駐在することになるとは思ってもみませんでしたね」

 留学を終えていったんは帰国したが、日本に腰を落着ける暇もなく、86年に鎌田氏は北京駐在員事務所の初代駐在員として、初めて中国の地を踏んだ。

 「その当時、北京の人たちが着ていたのは人民服がほとんどで、化粧もまだ一般的ではなく、化粧をしている女性は皆無でした。
ただ、日中のさまざまな交流は当時もありましたので、日本からのお土産やプレゼントとして化粧品が贈られることもあったようです。そのため、すでに資生堂ブランドは北京の方々に密かな人気があったんです。これを見て、中国の化粧品市場は将来とんでもなく大きくなるのでは、という予感がしたのを覚えています」

――メイド・イン・チャイナ化粧品が、これから中国で成功していく

 中国に進出した日系企業の多くが中国を低コストの生産拠点と見なしていた時代から、すでに資生堂は中国を巨大な市場ととらえ、事業を展開してきた。その表れが中国専用ブランド「オプレ(AUPRES 中国語名・欧珀莱)」と「ウララ(URARA 同・悠莱)」の展開である。特に、94年に販売を開始したオプレは、化粧や美容に関心の高い女性たちに歓迎され、大ヒットブランドとなった。そして2004年アテネオリンピックでは中国選手団の公式化粧品に指定されるなど、化粧品の高級ブランドとして中国にしっかりと定着している。

 「オプレとウララは中国で開発し、生産して販売しているメイド・イン・チャイナの化粧品です。やはり中国の女性たちの肌質や肌の色、嗜好性に合わせた化粧品を作ったことが、多くの支持を得ることができた理由だと思います。日本製の化粧品が日本で成功したのと同様、これからは中国製の化粧品が中国では成功していくでしょう」

 とはいえ、日本のヒットブランドのグローバル展開も、当然、事業の柱として掲げている。その一つとして、この6月に、同社のメーキャップブランドとして日本で若い女性に人気の高い「マキアージュ」の製品を中国で発売した。

 「これは日本からの輸入品ですが、中国で流行のトレンドを作っている“80后”の若い女性たちに向けた戦略的な商品。その背景には、資生堂のイメージをより広い層に浸透させる狙いがあります。
当社の製品は働く女性や30代の女性からの支持率は高いのですが、その一方で、マキアージュに代表されるようなファッション性の高い商品を好む若い女性たちにも、資生堂ブランドをもっと使ってもらいたい。そのためにマキアージュを投入しました。前評判は上々なので、中国の女性たちが待ちに待ったブランドなのではと期待しています」


――どのような場合においても「資生堂らしさ」を常に考える

 28年にわたり中国で事業を行っている資生堂は、中国でのCSR活動にも力を入れており、植樹事業や希望小学校(寄付等により貧困地域に創立した小学校)の開校、芸術家への支援などを行っている。また化粧品メーカーならではの活動として、アザ、白斑、傷あとなどで肌に深刻な悩みを持つ女性のために、化粧でそれをカバーする方法を教える「資生堂ライフクオリティービューティセンター」の開設も挙げられる。

 「このセンターは4月に上海でオープンしました。市内の病院や医師の紹介などによる完全予約制で、専門性のあるお手伝いをしています。肌の悩みから内にこもっていた人が、それを化粧でカバーすることで自信を持ち、社会と関わりを持つようになったり、生活を楽しむようになるなど、ポジティブな効果があります。このように化粧を通じた豊かな生活へのお手伝いが資生堂らしさと言えるでしょう」

 この「らしさ」の追求が、資生堂にとっての重要なキーワード。中国市場をにらんだ戦略から日本の色を薄めていく日系企業も多いなか、ひたすらに「資生堂らしさ」を追い求めている。

 「どのような場合においても、資生堂らしさが出ているだろうか、これは資生堂的なんだろうかと意識しています。資生堂は日本で生まれて日本で育った会社。外国での事業でも、この日本オリジンというアイデンティティは大事にしたい。
それと同時に、中国でお客様の心の琴線に触れるようなビジネスをしていけるよう、大きな課題を持ってチャンレンジしていきたい」

 中国の消費者は「資生堂らしさ」を求めて資生堂の製品を手に取ってくれていると鎌田氏は言う。この中国における「資生堂らしさ」は、同社がこれまで培ってきた中国市場でのブランド力と、日本オリジンの資生堂のDNAが、見事に融合した結果といえるのではないだろうか。(情報提供:China Concierge)

鎌田正志(かまたまさし)
資生堂(中国)投資有限公司 総経理
1980年、資生堂入社。83年に海外派遣研修生としてシンガポールへ。86年に北京の初代駐在員となって以来、同社の中国事業に従事。2004年に資生堂(中国)投資有限公司副総経理、今年4月より現職。趣味は旅行、テニス、ゴルフなど。座右の銘は「天は自ら助くるものを助く」。

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