名門・首都大学東京(東京都立大学)時代から吉原で働き、在籍店でNo.1の座についた夢二さん(26歳)は、母親もかつて吉原で働いていたという血統。「愛情もお金もなかった」幼少期から、性風俗店勤務を経て人生が好転した。
壮絶な家庭環境の原因とも言える母親は、一昨年に交通事故で他界した。その母に、いま思うこととは――。
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それぞれ父が違う3人きょうだいの長女

――夢二さんは秋田県でお生まれになったそうですね。

夢二:そうです。母は生涯ずっと恋愛が絶えなかった人で、私、妹、弟とそれぞれ父親が別々なんです。母が結婚したことは一度きりで、弟のお父さんにあたる人との間で婚姻関係を結びました。私は父の顔を見たこともなくて、今どこで何をしているのかもよくわかりません。ギャンブル依存症だったと母から聞いたことがあります。妹の父親とは、同棲をしていました。

――その妹さんのお父さんにあたる人からの虐待が苛烈だった。

夢二:はい。その人は定職に就かず、お酒がなくなると不機嫌になる人でした。秋田県を離れて、福島県で一緒に暮らしていたと思います。
母はその人のために夜職で働いていましたが、暮らし向きはなかなかよくなりません。私が小学校入学前後だと思いますが、その男性が「酒がないじゃないか」と怒り狂って、私を雪山に投げ捨ててそのまま帰宅したことがありました。また、ベランダに裸で立たされたこともあります。真冬の福島県は、たぶん多くの人が想像するよりもずっと寒さが厳しくて、死んでしまうのではないかと思いました。

母に対して「どうして産んだ」という思いが

――周囲は虐待を止めようとしなかった。

夢二:いや、何度か通報も入ったようですね。それで児童相談所が介入してきて、「あなたたちでは育てられないから」ということで、私は祖父母の家に預けられることになりました。また秋田県に戻ったわけですね。しかし祖父母も年金で暮らしていますから、たとえば私は中学時代は陸上部でしたが、部活で使うものも遠慮なく買ってもらえる環境ではなかったですね。

――お母様が吉原で働いていた時期というのは……。

夢二:ちょうど、妹のお父さんと同棲しているときだと思いますね。弟のお父さんは地元で有名なお金持ちで、昔からの知り合いでもあったようで、それ以降はいわゆる水揚げみたいな形で性風俗業には従事していないと記憶しています。

――お母様に対して、当時はどう思っていましたか。


夢二:早く死んでくれと思っていましたよ。こんな目に遭うなら、どうして産んだのか、とも。それを本人に伝えたこともあります。当時は、母のことが理解できなかったし、許せませんでした。

吉原勤務は「自傷行為」に近い

――しかし夢二さんは18歳になるとすぐに吉原で働き始めますよね。嫌いだったお母様と同じ職業に就いたのはどうしてでしょうか。

夢二:そうですね。あの当時は「金のためだ」と思っていました。でも今振り返ってみると、母に対して「あなたの子育てはこんな女性を産み出したんだよ」と見せつけて、現実と向き合わせたかったのかもしれません。しかもお客様のどんなリクエストにもお応えして、No.1になって。半分くらいは自傷行為ですよね。

――奇しくも、その吉原で人の優しさに触れた。

夢二:そうですね。
お客様はもちろん、スタッフの皆さんが本当にサポートしてくれて。自分が抱えている問題について親身になってくれる人もいました。性的な関係でつながる場所で、人間として扱ってもらえたのは意外でしたが、嬉しく思いました。結果として、働いてよかったなと感じます。

最高月収600万円も、同棲相手に持ち逃げされる

――お母様も男性には失敗してきましたが、夢二さんも男性で失敗したことがあるとか。

夢二:本当に。もっともショックだったのは、18歳から22歳くらいまで交際した男性との話ですね。吉原で働くかたわら通っていたスポーツジムで出会いました。ホストなどの夜職ではない、ごく普通のサラリーマンです。同棲もしていました。私は吉原で稼いだ金のほとんどをタンス預金していたのですが、あるとき帰宅したら、タンス預金どころか家具も丸ごとなくなっていて。本当に呆然とするしかありませんでした。

――男性の失敗というか、怖い話な気もしますが……前兆のようなものもなかった。


夢二:ないです、まったくない。別れ話に向かっていたとか、ギクシャクしたとかもないです。別にいいのですが、持ち逃げされたお金だけで、家が建つような金額です。

――吉原No.1ともなると相当稼いでそうですよね。

夢二:最高月収は600万円くらいだと思います。ちなみに、きちんと毎年確定申告をしていたので、かなり税金で取られてしまいますが……それでも結婚まで考えていた男性に取られるとは思いませんでした。

――ショックでしょうね。

夢二:ショックですよ。それで、預金に残っていたお金を使って、世界一周の旅に出ることにしたんです。予算の少ない貧乏旅行なので、その場で男性と恋に落ちてしばらく一緒にいて、また別の国に行って……みたいな。

――日本人女性はモテると聞きますよね。

夢二:モテると思いますが、それは「おしとやかで、尽くしてくれる、献身的な女性」というステレオタイプなイメージがあるからだと思います。
そういう女性であることを求められているなぁと思う場面がたくさんありました。

今となっては「母に対する恨みはない」

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妹と弟を支えていきたいと力強く宣言
――居心地のよかった吉原を離れたきっかけはあるのでしょうか。

夢二:これは家庭環境からくるものだと思うのですが、愛着障害を患っていて。求めていただけると、逆に居心地が悪くなってしまうんですよね。申し訳なくなってしまうというか。それで、現在は大阪のクラブブレンダという店で新人の気持ちになってまた接客を勉強しているところです。

――一昨年他界されたお母様に対する思いはどのように変化しましたか。

夢二:母が私を産んだとき、17~18歳だったと思います。母はきっと、母になりきれず女性で居続けたかった人なんだなと。私もこの年になって、母の気持ちが少しだけわかるんです。私が惹かれる男性は、「この人、きっと私がいなきゃ駄目なんだろうな」と思える、可愛げのある男性なんですよね。

 母は酔っ払って車道に乗り出したところを車に撥ねられて亡くなりました。
昔は母が許せなかったけど、亡くなった今、母に対する感情は完全な無なんですよね。悲しいとかさみしいとかもなく、恨みもありません。

――夢二さんはこれから新しい挑戦もしていくのだとか。

夢二:そうなんですよ。私は自分にあまりお金を使わなくて、ブランド品も買わないし洋服もほとんどジャージで2着で使いまわしているような状況なのですが、動画配信をしようと思ってきちんとした機材を買いました。これから、配信者としても生きていけたらと思っています。

 また、妹と弟にとっては私が親代わりのようなものなので、これからも稼いで支えていきたいなと考えています。私が思う存分謳歌できなかった青春を満喫させてあげるのが私の夢です。

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 夢二さんは、なかば“自傷行為”のような吉原勤務によって、人間を信頼する心を取り戻した。亡き母への思いがまったくないというのは、極めてリアルで的を射た感想だろう。傷ついた気持ちを癒す過程で、誰かのために生きることが最良の薬になることがある。精神が摩耗し擦り切れないよう、日々を噛み締めて歩んでほしい。

<取材・文/黒島暁生>

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【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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