―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

政治系ネット番組に連日出演し、時に政治家とけんか腰の大激論を行う“新人”フリー記者をご存じだろうか? 今年1月をもって朝日新聞を退職した今野忍氏だ。外資系コンサル大手から朝日新聞政治部記者に転身した経歴もさることながら、“朝日っぽくない”政治スタンスも異色。
20年以上、政治取材に身を捧げてきた男の半生を“逆取材”した。
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口の悪い“ポスト池上彰”

 今、最も勢いのある政治ジャーナリストといえば、この人か。「選挙ドットコム」や「ReHacQ」などの政治系ネット番組に出ずっぱりの今野忍氏だ。今年1月末には23年間勤めた朝日新聞を退社。50歳の“新人”は、かつて内側にいたからこそ知る政治と報道の裏側を容赦なく語り始めた。なぜ彼は今、これほどまでに支持を集めているのか──。男の素顔を丸裸にした。

――毎日ネットでお顔を見ます。

今野:選挙ドットコムは毎日出演していて、ReHacQには週2回ほど呼んでもらってます。ネット中心ですが、最近は民放の仕事も増えてきました。ただ、原稿を書く仕事は全然手につかない状況で、辞めてから2か月で2本しか書けてない……。

――抜群のトーク力を発揮していますが、あれは昔から?

今野:いえいえ、昔は普通の目立たない学生でしたよ(笑)。

――どんな環境で育ったのか?

今野:横浜生まれで毎日新聞の販売店を営む父のもとで育ちました。
中学は地元の公立校で“まじめな帰宅部”だったから同級生の僕への印象は薄いと思う。

「蓮舫批判で炎上、そして謹慎」朝日新聞を去った異色の記者が明かす“永田町の裏側”と“新聞社の限界”
永田町で撮影中、「おい!」と今野氏に声をかけてきたのは武田良太元総務大臣だった
――今の(※1)口の悪い今野さんからは想像もできませんね。

今野:そんなに口悪い!? でも、高校時代はおしゃべりなキャラだったかも。県立の進学校に通ったんだけど、尾崎豊にドハマりして勉強しなかったから、1年生のときのテストは学年でビリから3番目でした。2人休みだったから実質ビリ。その後2浪して中央大学に進学しました。

――朝日新聞記者だからエリートなのかと思ってました。

今野:全然ですよ! 朝日には東大卒なんてゴロゴロいましたから、僕はゴロツキみたいなもの。でも、大学時代はバイトを頑張りましたね。2年生から住み込みの新聞奨学生をやったんです。毎日朝2時半に起きて朝日と日経新聞を配ってました。

アクセンチュアで学んだことが、記者生活に生きた

――新聞には縁があるけど、最初の就職先は異業種。

今野:外資系コンサルのアクセンチュアに入社しました。
なんか、モテそうだなという浅い理由で(笑)。あの会社、すごいことに入社直後にシカゴで新人研修をやるんですよ。リムジンで迎えに来てくれて、アメックスのコーポレートカードが配られる。僕はそれでGUCCIのサングラスを買いました。でもね、すぐ気づいたんですよ。「俺はITと英語が好きじゃない」って。だから、入社2週間で転職を考えるようになっていた。

――早すぎません!?

今野:でも、結局2年は働いて、いくつかの省庁関係のプロジェクトにアサインしましたね。

「蓮舫批判で炎上、そして謹慎」朝日新聞を去った異色の記者が明かす“永田町の裏側”と“新聞社の限界”
エッジな人々
――結局、モテました?

今野:僕は学生時代から付き合っていた彼女と、朝日に転職するタイミングで結婚しまして……今、子供3人いるんですよ。

――じゃあ、夜遊びもせず?

今野:そういう質問する!? ReHacQでも急に恋愛を語れと言われたときがあって、めちゃくちゃ焦ったんですよ……。高市政権は、維新が閣僚を送り込んでいないので、「結婚というより“同棲”的連立」みたいな恋愛話はできるんだけど(笑)。

――夜の街でもそのトーク力を発揮していたのかと……。


今野:だから、ないって!!

――では、コンサルでの経験は記者生活に役立った?

今野:いい質問ですね! コンサルってとにかくロジックが重要で、そのためにはデータやファクトによる裏づけが不可欠でしょ? それがないと、クライアントを納得させられないんだから。ところが、政治の現場ではしばしそうしたロジックが曖昧だったり、裏づけがない議論がなされている。イデオロギーばかりの記事はプロパガンダのようになりかねないのに。その点で、ファクトに基づくロジックの組み立て方をアクセンチュアで学べたのはよかったと思う。

派閥に属さず目をギラつかせる、菅さんに妙に惹かれたんです

――朝日はイデオロギー色が強めな印象ですが、なぜ朝日に?

今野:一番行きたかったのは日経新聞なんです。日経記者だった(※2)田勢康弘さんの本が好きだったから。小泉進次郎防衛相じゃないけど、セクシーな文章を書くんですよ。けど、朝日しか受からなかったので、’03年入社で甲府総局と秋田総局を経験。政治部に移ったのは’09年のこと。

――どんな政治家を取材した?

今野:最初は次の選挙での引退が決まっていた小泉純一郎元首相の番記者をやりました。「最近の麻生さんを見ると笑っちゃうよ」とユーモアと皮肉もたっぷりに首相をも批判する魅力的な人。当時は麻生政権末期で、「郵政民営化に賛成ではなかった」と失言した麻生さんと小泉さんの溝が深まっていたんです。

――影響を受けた政治家は?

今野:(※3)菅義偉元首相ですね。
菅さんは地元が秋田で横浜を選挙区にしていたけど、逆に僕は横浜が地元で秋田総局を経験した身。菅さんは長老たちに嫌われていたから、非エリートの自分と共通する部分が多いなぁと感じて取材するようになった。

「蓮舫批判で炎上、そして謹慎」朝日新聞を去った異色の記者が明かす“永田町の裏側”と“新聞社の限界”
最も影響を受けた菅氏と(写真は今野氏提供)
――嫌われていたんですか?

今野:菅さんは’07年総裁選で所属する宏池会が福田康夫さんを支持するのに麻生太郎さんを支持したり、世襲制限の導入を求めたりで、古賀誠さん(当時の宏池会会長)に煙たがられていたんです。清和会の実質的トップに君臨し続けた森喜朗さんとも溝があった。’09年に宏池会を退会してから無派閥を貫いた菅さんは一匹狼的で妙にギラついていたんですよね。’12年2月から取材し始めると「次の総裁選で安倍(元首相)さんを返り咲かせる」と野望を話してくれて、そのために麻生さんの支持を取りつけようと動いたのに、しょんぼり帰ってきたときの姿は忘れられない(苦笑)。麻生さんに「安倍は復活させるが、いきなり総理はねえ! お前の自己実現のために安倍を使うな」と怒られたと話していた。

蓮舫批判のポストで炎上して“謹慎”に……

――それが後の安倍―麻生―菅ラインになり、憲政史上最長政権に繋がったと思うと胸アツ!

今野:(※4)’12年総裁選は石破茂さんと石原伸晃さんが本命だったけど、菅さんは安倍さんに懸けていたからね。野党でカネがないのでマックのコーヒーを飲みながら菅さんは勝ち筋を探してた。

――瞬く間に官房長官、総理へとのし上がりましたね。

今野:一杯100円のコーヒーを一緒に飲んでいた人が、ザ・キャピトルホテル東急の(※5)「ORIGAMI」で2000円近くするコーヒーを飲むようになった。ああいう変化も政治の面白さ。


――今野さんは一時、テレビ朝日に出向してましたよね?

今野:’21~’23年にかけてね。あれが、僕の転機になった。政治ニュースの解説者としてABEMAにも出演させてもらって初めて、コメントや視聴数で反響が可視化される体験をしたので。

――ただ、朝日新聞復帰後、炎上騒ぎで現場を外された。

今野:よくご存じで(笑)。’24年都知事選で惨敗した(※6)蓮舫さんについて、「自分中心主義か」と批判的なポストをしたら大炎上した。でも、言い方に問題はあっても、批評の範疇で事実関係に齟齬はなかった。会社から事実上の謹慎処分を受けたので謝罪ポストをしたけど、それで息苦しさを感じて’25年の中頃には会社を辞める決心を固めていました。

「蓮舫批判で炎上、そして謹慎」朝日新聞を去った異色の記者が明かす“永田町の裏側”と“新聞社の限界”
エッジな人々
――朝日に嫌気が差した?

今野:朝日の部数は今後も減り続けると思うけど、一次情報を取る記者の仕事は非常に重要だから続けたい気持ちもあった。ただ、認識のズレもあった。この4月に朝日新聞の角田克社長が“AI全振り”宣言をしたじゃない? AIを駆使する「スーパージャーナリスト」を育成すると。角田さんはいい人だけど……それは違うよね。
AIを叩いても出てこない情報を集めるのが記者の役割なんだから。年配の人ほど先が見えていない感じがするので、オールドメディアと言われる媒体は、50歳定年制にすべきだと思う。

――週刊誌にとっても耳の痛い話です……。ちなみに、辞めるときは誰に挨拶に行きました?

今野:菅さんと松井一郎さん(元大阪府知事)には挨拶に行ったね。維新が大阪系と非大阪系に分裂した’15年に菅さんに呼ばれて3人で食事してから親しくさせてもらっていたので。大阪万博会場が決まったときは、いち早く朝日で書かせてもらったりもした。辞めるとき、菅さんは「がんばれ」と応援してくれたけど、松井さんは「まだ娘がおるやろ? YouTubeなんて稼げんから、やめとけ」と心配してくれたんですよ。

――ご家族の反応は?

今野:妻は「朝日時代の半分の年収は稼いでね」と。3人の娘は何も言わないけど、高校生の次女が急にバイトを始めた(笑)。

――今後はどんな活動を?

今野:今や新聞を購読している世帯は半分にも満たず、若い単身男性の4割がテレビを持たないという時代だから、新聞・テレビを見ない人と政治の(※7)“架け橋”になりたい。ロールモデルは池上彰さんですね。わかりにくい政治の話を、データと裏取り取材に基づいた情報をベースに解説していきたい。

少々口の悪い“ポスト池上彰”から目を離せそうにない!

【Shinobu Konno】
1975年、神奈川県生まれ。中央大学総合政策部卒業後はアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。’03年に朝日新聞に転職し、山梨総局、秋田総局を経て’09年から政治部に。菅元首相や岸田文雄元首相の番記者を長く務めた。’26年1月に独立

(※1)口の悪い今野さん
’26年2月25日のReHacQでの、憲法9条を巡る小西洋之参院議員との討論では「小西さんの議論を聞いても時間のムダだ」と“今野節”がさく裂!

(※2)田勢康弘
元日経新聞政治記者、論説副主幹。1990年代には覆面作家として非自民連立政権誕生を予想する小説を書いて見事的中。『政治ジャーナリズムの罪と罰』『総理の座』などの著書を残す

(※3)菅義偉元首相
’12~’20年に官房長官を務め、’20年9月に第99代内閣総理大臣に。イスラエルの近接戦闘術・クラヴマガを趣味とする今野氏に対し、空手名誉九段の菅氏は「空手も政治も間合いが重要」と話したとか。菅氏は今野氏の退職と同時期の’26年1月に政界引退

(※4)’12年総裁選
町村信孝氏、林芳正氏ら5人が立候補。投票の結果、地方票を最も多く獲得した石破茂氏が1位、安倍氏が2位、議員票トップの石原伸晃氏が3位で石破・安倍両氏による議員票のみの決選投票へと持ち込まれると、安倍氏が逆転して総裁に返り咲いた

(※5)「ORIGAMI」
菅氏が官房長官、首相時代に行きつけにしていたレストラン。今野氏もたびたび菅氏に朝食に誘われ、名物のパーコー麺などを一緒に食したという

(※6)蓮舫さんについて~
’24年都知事選の後、連合の芳野友子会長が蓮舫氏の敗因を「共産党が前面に出すぎ」たことではと指摘した記事が配信されると、蓮舫氏が「現職(小池百合子氏)を支持した貴方が評論ですか(中略)組合離れはこういうトップの姿勢にあるかもしれませんね」とX上で反応。これに対して今野氏が「共産べったりなんて事実じゃん(中略)自分を(連合が)支持しない、批判したから衰退しているって、自己中心主義か本当に恐ろしい」とポストしたところ大炎上

(※7)“架け橋”
今野氏は’26年2月に、ポリティカル・ブリッジを設立。「政治の架け橋に」という意味を込めたが、その社名を考えてくれたのは生成AIの「Gemini」

取材・文/小川匡則 撮影/菊竹規

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