なんで私がプロ野球選手に⁉︎
阪神・湯浅京己(前編)
「過去に僕が湯浅と接していたのは事実ですが、『僕が育てた』という気持ちは1ミリもありません。今は僕の手から離れて、あれだけビッグな選手になっているのですから。
大阪府で会社員をしている岩永圭司は当初、取材に対して消極的だった。岩永はかつて聖光学院(福島)でコーチを務め、湯浅京己(あつき/阪神)を指導した経歴がある。
それでも、岩永の口からは自然と湯浅への思いがあふれ出てきた。
「世の中の人は湯浅が病気(胸椎黄色靱帯骨化症)から復活して、(2023年の)WBCと同じイメージでいると思うんです。でも、僕は投げていること自体が奇跡だと思っています。ふつうの人なら乗り越えられない状況でも、あいつは下を向いたことがない。『マジですごいことなんやぞ』と知ってほしいんです」
【あの時の自分は死んだ】
2022年に43ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手を受賞。2023年にはWBC日本代表に選出され、世界一を経験。湯浅は阪神の若きリリーバーとして脚光を浴びていた。
だが、2024年に国指定の難病である胸椎黄色靱帯骨化症に罹患し、選手生命の危機に立たされる。翌2025年には一軍復帰し、4勝22ホールドを挙げてリーグ優勝に貢献した。だが、その投球内容は本人の満足のいくものではなかった。
まだ病気以前の自分には戻っていないのか。
「病気をした時点で、あの時の自分は死んだと思っています。今は新しい自分をつくることしか考えていません」
湯浅京己は死んだ──。
絶望しても不思議ではない逆境を前にしても、湯浅が変わらずマウンドに立てる理由はどこにあるのか。
湯浅が逆境を経験したのは、初めてではない。そもそもプロ野球選手になるまでの経歴が、奇跡といっていい。なにしろ、湯浅は高校2年の秋まで野球部のマネージャーだったのだから。
あらためて、湯浅の不屈の野球人生を紐解いてみたい。
【入学早々マネージャーに転身】
三重県尾鷲市で生まれ育った湯浅は、福島の甲子園常連校・聖光学院へと進学している。聖光学院は有望選手をスカウトしない方針で、野球部長の横山博英は「聖光の厳しい環境で鍛えてもらいたいと、強い思いを持った選手が集まってきます」と語る。
横山は聖光学院のBチームの指導を担当しているが、入学当初の湯浅の印象が残っていないという。
「湯浅は内野手として入学したんですけど、1年生をB(チーム)と育成で振り分ける段階でも、彼のプレーが記憶にないんです。おそらくレベルは高くなかったはずです」
そして、湯浅は長いブランクに突入する。
練習ができない1年生の湯浅に対して、部長の横山がある提案を投げかけた。「マネージャーをやってみないか?」と。
湯浅は当時の心境を振り返る。
「実際、何もできないわけですから。マネージャーという役職を与えてもらえて、逆にありがたかったですね。腰が治ったら復帰させてもらう条件で、マネージャーをやることにしました。どうせやるからには、ちゃんとやりたいなと」
マネージャーの仕事は多岐にわたる。ジャグや補食(おにぎり)の準備、片づけ、シートノックのボール出し、ピッチングマシンのボール入れ、遠征準備。試合中は記録員として、スコアブックの記入もこなした。
横山は湯浅の仕事ぶりを高く評価していた。
「マネージャーの仕事は完璧でしたね。気は利くし、かゆいところに手が届く感じで」
チーム内の評判も上々だった。同期の投手だった前田秀紀(現・鷺宮製作所)はこう証言する。
「湯浅は誰にでもやさしくて、人間的にいいヤツでした。嫌われることもなく、周りにいじられることが多かった印象です。学校の成績もよくて、こっちが困っていたらよく教えてくれましたね」
血気盛んな問題児も多い学年だったが、湯浅は極めて温厚な気性だった。ミーティングでは選手間で激しい議論の応酬が繰り広げられたが、前田は「湯浅が何かを言っているところを見たことがない」と語る。
【野球に関しての頭脳は成長した】
部長の横山は「おまえが史上最高のマネージャーになったら、強いチームになるんじゃないか?」と説いたという。
「マネージャーの立場と選手の立場は違います。客観的な立場から、チームのダメなところを指摘していかないと、チームはよくならないんじゃないか。そんなことは伝えた記憶があります」
なぜ、マネージャーの立場から発言をしなかったのか。そう聞くと、湯浅は苦笑交じりにこう答えた。
「自分は何もしてないのに、野球をしている人のことは言えないですよ。みんなも自分みたいな人間からどうやこうや言われても......と思っていたんじゃないですか。言えることといったら、寮でご飯を食べた後に食器を片さずに置いて帰るヤツに『当たり前のことをやろう』と言ったくらいですね」
マネージャーの仕事にやりがいは見出せたのか。そう尋ねると、湯浅はシンプルな本音を打ち明けた。
「一切ないです。面白くないですよ。『オレ、何してんだろう?』と思っていました」
ただし、湯浅にとってマネージャーとして過ごした日々は、無為な時間だったわけではない。湯浅は「野球に関しての頭脳は成長したと思う」と振り返る。
「ベンチでスコアを書いていると、監督やコーチが選手に対していろいろ言うことが聞こえてきます。これがめちゃくちゃ勉強になりました。『なんで同じことを何回も言われるの?』と思いながら、スコアをつけていましたね」
一方で、悩まされてきた腰痛は時間の経過とともに沈静化していった。湯浅は徐々に動きの強度を高めていく。
すでに最上級生である。復帰の報告を受けた横山は「そうか、頑張れよ」と湯浅を激励している。
「ベンチ入りメンバーに食い込めるように頑張れとは言いましたけど、はっきり言って期待感はゼロでした。ただ、湯浅が『ピッチャーをやる』と言った時には、『え、大丈夫?』と聞き返しました。『おまえ、内野じゃなかったっけ?』って」
本格復帰に際して、湯浅は重大な決断をした。入学時の内野手から、投手へと転向することにしたのだ。
つづく>>
湯浅京己(ゆあさ・あつき)/1999年7月17日生まれ、三重県出身。聖光学院高では、ケガのために当初マネージャーを務めていたが、のちに選手へ転向し、その潜在能力を開花させた。BCリーグ・富山を経て、2018年のドラフトで阪神から6位指名を受け入団。力強いストレートとフォークを武器に頭角を現し、22年には43ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝いた。










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