ドジャース大谷翔平が昨年8月24日から続けていた連続試合出塁は、22日ジャイアンツ戦で終止符を打ち、53試合連続で止まった。球団史上歴代2位タイまで伸ばし、連日のように日米のMLB関連ニュースのトップを飾っていた。

 ただ、期間中の打率は2割7分9厘に終わっている。42四死球が連続試合出塁につながった(出塁率は4割2厘)感がある。大谷も記録が止まった際に「(連続試合出塁ストップは)気にしていない。1番打者なので出塁は大事。ただ、感じよく打席に立っていれば伸びる数字。その感じがまだ今一つ出ていない」と話した。自らの調子の良さが記録継続につながったわけではないと感じているかのようなコメントだった。

 MLBの最長記録は、「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズがレッドソックスで1949年にマークした84試合連続出塁。7月1日から9月27日までの約3か月に渡って続けた。期間中の打率は3割6分8厘で、試合数を超える92四球。出塁率は5割1分5厘と驚異の数字を残した。この年のウィリアムズは、3度目の3冠王を目前にしていたが、2毛差でタイガースのG・ケルに敗れたシーズンを過ごしたことでも知られる。

 連続試合出塁がストップしたのは9月28日セネタースとの試合。カーブが自慢の右腕レイ・スカーボローに、2三振含む3打数無安打。同投手に前の試合まで11連勝していたレッドソックスだったが、その日は29人で料理され、3番に入ったウィリアムズに4打席目は回ってこなかった。

 スカーボローとウィリアムズは、実は前年の同じ日にも対戦していた。ウィリアムズが3打数無安打1四球に抑えられ、レッドソックスは2―4で敗戦。最終的にインディアンス(現ガーディアンズ)と同率となり、1試合プレーオフで敗れただけに痛い1敗だった。

 歴史は繰り返すで、ウィリアムズの連続試合出塁が止まった試合も、後にレッドソックスの苦い思いに繋がる。1ゲームリードして迎えた2位ヤンキースとのレギュラーシーズン最終2連戦で連敗。2年連続してリーグ優勝を逃した。

 後年ウィリアムズは「我々はヤンキースに負けたのではない。スカーボローのせいだった。我がチームを困惑させた投手だった」と悔しそうに述懐している。

当時、メディアではあまり注目されなかった連続試合出塁ストップの裏には、こんなエピソードがあった。

 ウィリアムズの記録以前は74試合が最長記録だった。1941年に56試合連続安打のジョー・ディマジオ(ヤンキース)が達成、さらに41年に4割をキープしたウィリアムズが42年にかけて記録している。ウィリアムズは49年に自らの記録を大きく塗り替えたのだった。

※参考資料 ベースボール・リファレンス、アメリカ野球学会公式サイト

 蛭間豊章(ベースボール・ナリスト)

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